捨て駒
源三郎信之は、滝川一益、丹羽長秀の姿が見えなくなった後、勢いに乗る敵兵を抑えながら少しづつ後退していった。悲しんでいる暇はなかった。ここで一気に逃げては追ってこないだろう。敵を逃すわけにはいかない。それに追ってこられてもまずい。勢いよく突っ込まれたら織田様が危うくなる。乙作戦を依頼した以上増援が来るまではこの付近で持ち堪えなければならない。そうでなければ織田軍に申しわけが立たない。試しに与助を呼んでみたが現れない。どうなっているのか?信じるしかなかった。
馬上の武士が味方まで斬りながら進んでくるのが見えた。阿呆だ、どうやら俺を狙って焦っている。つい笑ってしまった。
前田利家は川を渡り終わった。兵はだいぶ減ったが二万五千の兵が今戦場にいる。目的は織田信忠の首だ。できれば他人にやらせたかった。前の主家に背いたのだから今更ではあるが、信忠の小さい頃、奇妙と呼ばれていた子供の頃を知っている身としてはできれば自分の手を汚したくはなかった。
「これも主君を裏切った罰なのかもしれんな。だが、こうなれば止めを我が軍が刺せると言うのは天の導きであろう。全軍織田兵を蹴散らし信忠の首をわしの元へ!」
利家は掛け声に合わせて床几前へ突き出した。兵が前線へと繰り出していく。
そしてその頃前田利長は、兵を多数失いながらも丹羽長秀、滝川一益を討ち取った。自身も槍傷を受けているが、アドレナリンが出まくっていて痛みを感じいていない。前方に六文銭の兜をしている若侍がいる。あれが武藤信之、あいつを討ち取れば敵の士気が下がる。勝ち戦の流れだ。この混戦では変な武器は使えない、勢いのある方が有利だ。
「信之ーー!逃さんぞ!あの兜目掛けて進めー!」
馬上の利長は槍を振り回しながら六文銭の兜の方へ進んでいく。勢い余って味方兵も斬ってしまい、しまった、と思ったが馬は止まらない。その後を慌てて旗本が追いかけていく。兜の男と目が合った。笑われた、確かに笑ったように見えた。そう感じて怒りが込み上げていく。
織田軍は善戦していた。前方からの敵、伏兵の攻撃にも良く耐えた。だが、本来なら数で勝る武田、織田、上杉連合軍が有利なところを地形がそれを逆転させた。敵は川を広く使い、こちらは後ろは狭い街道で山と川に挟まれている。元々はここでは小競り合いのみで引き上げる構想だったのだが、色々な偶然が重なり前田利家が出しゃばって前面に出てきた事で時が動いた。
織田信忠は、一般兵の格好をした武田信豊、お市とともに戦場に雪崩れ込んだ。敵味方が入り乱れ遠方からの攻撃が難しかった。劣勢に見えた。
「丹羽は、一益はどこだ?」
信忠の姿を見た織田の兵が駆け寄ってきた。
「殿。丹羽様、滝川様ともお討死した模様。武藤様が指揮を取られ我らはゆっくり後退しております」
「お、おのれ。と、利家め。許さん」
信忠は震えながらも前へ出ようとしている。それを見たお市に止められる。
「信忠殿。利家の狙いは其方の首。源三郎を信じましょう。信豊殿、お願いいたします」
信豊は結果的に織田には申し訳なかったと思いつつ、そうも言えないので
「織田殿。ここからは武田に任されよ。織田の戦いを無駄にはせん」
と信忠を強い目で見る。織田は捨て駒では無いと目で訴えている。信忠は頷いた後、お市の出した携帯椅子に座り考え込んだ。お市は、
「信忠殿、まだ戦は終わってはおりませぬ。織田の未来を考えるときではありません」
「叔母上。それがしのどこが悪いのでしょう。皆居なくなってしまう」
信忠に忠義を持つべき部下が離れていく。こんなので織田は、織田は。
「悪くはありません。証拠に其方はまだ生きています。信豊殿、信忠は私が守ります。ゼットの面々も戦へ投入ください。お前達、いいな!」
お市の周囲にいた親衛隊が頷く。川根にある特殊部隊ゼットの訓練生の中からお市が選出した親衛隊5名だ。その下に勝頼がつけてくれた百名の兵がいる。ただの百名では無い、戦闘訓練された百名だ。右向け右と言えば1秒の誤差もなく全員が右を向ける。この兵はさっきまでは後方にいて信豊を護っていた。信豊は一般兵の格好をしてお市の兵の間に隠れていたのだ。お市が信豊へ伝えたかったのは返してもらいますよ、その代わりゼットの例の連中はお返ししますと言う事だ。お市親衛隊は信忠とお市を囲んで陣を敷いた。名付けて「ゆで卵の黄身」を護る陣。楕円形の守備兵の中に信忠とお市がいる。
信豊は着替えた、味方にも見分けがつかないのはやり辛いのだ。
「お前達は、例のアレを使え。頼んだぞ。そのうちに喜兵衛が来る。そうしたら喜兵衛の指示に従え」
「承知」
さて、行くか。源三郎が頼んできた乙作戦は元々わしの案、負けないと決めた以上、負けはない。
その頃、川を渡らずにいた立花宗茂は早馬に乗り大阪城を目指していた。見届け役の後藤信尹を置いて。




