影
前田利家は自軍がなかなか前に進めずイライラしている。砲撃が止まったのを好機と見て進軍したのだが、少ししてからまた砲撃が始まったのだ。しかも前よりも数が多い。川の真ん中辺りでマキビシが散乱していてなかなか前に進めないのだ。そこを狙ったように砲弾が降ってくる。
「奥村、わしは騙されたのか?」
罠だったのか?と奥村助右衛門に聞いた。
「違うと思われます。利長様が敵の砲撃隊を亡き者にした、その後の挽回が凄まじく早いのだと」
「武藤喜兵衛か?あの蒲生が負けた相手、簡単にはいかんな」
そうしているとまた砲撃の音が止んだ。利家は、
「丹波衆、やっと動いたか。局面が動いたぞ、これは勝ったな。全軍、敵の大砲は封じた。前へ!」
と大声で叫んだ。このまま攻めれば勝てると信じた兵達に活気が戻る。こういう時は大声に限る。兵の士気を上げるのに最も有効なのは有利になったと知らせる事だ。兵達はマキビシを避けながらどんどん利長隊に合流して行く。
「信忠の首は取る。この戦はそこまででいい」
利家はそう心の中でつぶやいた。八万の敵全部を相手にするほど怖いもの知らずではない。それで十分に勝った事になる。
織田陣では滝川一益がよく堪えていた。一時は利長を討とうというところまで攻めたが敵に増援があり下がらざるを得なかった。側面では丹羽長秀の隊が苦戦している。そして丹羽長秀が槍で傷を負った。武藤信之は手勢を向かわせ自らも丹羽長秀の周りの敵を薙ぎ倒す。
「丹羽様、ここは」
「お主は下がれ。わしはここで喰い止める」
「いけません、丹羽様にはまだ教えていただきたいことがたくさんあるのです」
「この傷では長くは保たん。殿を頼む」
信之は長秀の傷を見た。足は大したこと無さそうだが横腹の傷はかすり傷には見えなかった。
「こちら側の敵を放置はできません」
そう言った時、川を渡ってくる敵兵がこっちにも向かって来ているのが見えた。不味い、乙作戦はどうなったのだ?ここで喰い止めるか下がるか?もう味方は近くまで来ているはずだ。それを見た丹羽長秀は信之に喝を入れた。
「お前は生き残れ!わしは上様がお亡くなりになった時にこの命はもう捨てておる。信忠様も立派になられた。思い残すことはない、行け!」
信之は、自分の兵を連れて戦いながら下がって行く。目には涙を溜めながら。丹羽長秀は、
「丹羽長秀である。この首、簡単に取れると思うな!」
と声を上げて敵を引きつける。その時間を使って信之は下がることができた。
下がって行くと滝川一益の兵が前田利長の兵と乱戦しているところにぶつかった。とても信忠のところまでは下がれなかった。滝川の兵が戦っている側面から加わり敵を薙ぎ倒していく。増援が来たと滝川兵は士気を上げるが、敵兵がどんどん増えていく。
「まだか、乙作戦はどうなった?」
前田利家は川を渡り切った。後藤信尹の兵千名を残して二万数千の兵が戦場へ合流した。だが戦っているのは前側の兵だけだ。戦うスペースがその人数に見合っていない。利家は利長へ伝令を出した。一度下がって奥村の兵と変わるようにだ。そろそろ疲労が溜まっているはずだ。だが、利長は聞かなかった。
「すぐそこに滝川一益がいる。そこに六文銭の旗印、武藤もいる。ここで引けるか!父上には奥村の加勢を寄越すように伝えよ!わしは下がらん」
そして前田利長がついに滝川一益を取り囲んだ。若武者の利長に対し一益はおっさんだ。一益は疲れているが気合いで動いている状態なのに対し、同じ疲れてはいても若い方が体力が残っている。一益の周囲の兵が必死に一益を守ろうとするが徐々に数が減っていく。
「滝川一益の首を取れー!」
利長の号令が戦場に響き渡る。武藤信之はそこに近づくことができない。信之も同じように囲まれつつあったが、戻ってきた武藤の弓兵による狙撃隊が道を開いてくれた。その方向は下がる方向で滝川の方ではない。弓兵を率いて来たのは矢沢頼康だった。矢沢は砲撃隊を無事に下がらせた後、五百の兵を連れて戻って来たのだ。矢沢は囲まれつつある信之の周囲の敵に襲い掛かり退路を作った。矢沢は信之の元へ駆け寄りざまに
「殿、今引かねば間に合いませぬ」
と焦った顔で言う。だが、信之は滝川一益が気になっている。
「滝川様がやられる」
そしてその言葉が終わる前に馬上の滝川一益が見えなくなった。無念、そう呟きながらそれを見て信之は下がる指示を出した。そして矢沢に聞いた。
「頼康、乙作戦はどうなった?」
「それがしはその作戦の事を聞いておりません。ですが、すぐ信豊様と織田様が兵を連れてまいります」
そうだった。作戦の事はごく一部の者にしか伝えられていない。だが、信豊様が自ら?父上はどうしたのだ?
そしてその父上こと武藤喜兵衛は、奇襲を受けていた。横には武田信豊(影)がいる。




