第六感
直政は着替えもせずに城へ向かった。穴山信正は不在で梅雪も不在だった。どうしようかと思っていると、女の声がした。
「もし、井伊殿ではありませんか?」
声をかけてきたのは信正の正室、夏だった。夏とは城を引き継ぐ時に顔を合わせている。信平との掛け合いが面白くて印象に残っていたのです。しかも直政は結構イケメンなので小山では人気がありました。
「夏様、城下で変わったことがありまして穴山様にご報告をと思ったのですがご不在で」
「そうですか。それでは小山を呼びましょうか?」
小山というのは結城家を継いだ信平の義父の親族のはず。直政は勝頼の東北制圧には参加していないので詳しい事情はわからないが、夏の言うことだし信じる事にした。
「かたじけなく存じます」
夏は侍女に小山を呼ぶように指示した後、
「春姉様から仙台でおかしな病が流行ったと手紙が来ました。吾郎殿からも殿へも連絡があったとか。井伊殿のご用件がそれと関係なければいいのですが?」
「例の菓子を食べた者が暴れるという話ですね。それがしはその件はあまり詳しくないのです。ちょうどこちらへ向かっている時の話のようで」
事実、直政は小山へ来る道中で話を聞いただけだった。小田原の馬場は忙しそうだったし、武蔵の山県昌景も不在だった。直政には信玄が危篤だったことは知らされていないし、遠江を出る時には信玄は生きていた。
そうこうしていると、小山秀広が現れた。小山家は武田と北条の戦では北条に味方していて、結城に攻められ降伏した。結城も小山家の出ということもあり、結城の家臣として存続を許された。当主の秀綱は浜松へ引っ越したが、小山の地に小山家の者がいた方がいいだろうということで嫡男の秀広がそのまま残り、穴山に仕えている。故に直政とも顔見知りだ。
「これは井伊殿、何やら城下で変わった事があったとか。何があったのです?」
「実は見たことの無い女がそれがしの領地だったところにおりまして、声をかけると逃げ出したのです。その逃げ方がまるで忍びのようで」
直政は影猫の事を思い出した。動きが忍びと言ったのも影猫の動きを見た事があるからだ。直政は影猫が家康の娘だとは知らない。一方的な片思いだ。
「忍びが一体何を?この地に探りを入れているという事ですか?」
「分かり申さぬ。ただ。嫌な予感がするのです」
小山はあまり重要だとは思っていないようだ。忍びが城下に現れるくらいあっても不思議では無い。武田の領地は人の出入りが多い。商人が移動し税を落としていく仕組みが財政を豊かにしている。その弊害として当然忍びも入ってきてしまう。ただ、重要なところへは近づけないように警戒を厳重にしているので、心配はないと小山は言っているのだ。直政は何か見落としている気がしてならなかった。あそこには何があった?
直政はその日に遠江に向かって出発する予定だったが、どうしても気になるので日程を変える事にした。遠江に戻る日が多少遅れても大丈夫だと判断した。遠江には竹中半兵衛や真田幸村もいるのだ。直政1人くらいいなくてもという勝手な解釈だ。そして翌朝、再び早朝ランニングという調査を開始した。
「なんか気になる。徳様が言う五感とは違う人の秘めた力というやつだろうか?」
あの女はここにいた。どっちから来たのだろうか?あの女が向いていた方向と逆に行ってみるとそこには湧き水が出ていた。この水は再び地面を通り確か………、井戸に繋がっている。水はチョロチョロとしか出ていない。水量が多いわけではないので少しづつ井戸の底に溜まっていくようになっている。城の水の使用量が多いのでほぼ無駄がなく城で使われているはずだ。
「もしや、毒?」
毒なら毒味役がいるので穴山や夏に害が及ぶ事はないだろう。それにそれならすでに城で被害が出ているはずだ。直政は再び城へ向かった。
城で小山を呼び出すがまだ出仕前だったので待たせてもらった。その時、小山の屋敷にはおくにが来ていたのだ。
「おくに。井伊直政に出会ったようだな。昨日帰るはずが居残ってしまったぞ」
「昨日の男か。あれが井伊直政、邪魔なら消してしまえばいい。疑われたようだが何をしようとしているかはわかるまい。それにもうすでに種は蒔かれた」
「わしに害が及ぶのは避けねばならん。小山の権威を取り戻すには武田は邪魔なのだ。父上は叔父上に降伏したがわしは違う。この機にのし上がってやるのだ。まずは穴山を排除し、少しづつのし上がってやる。本多正信はわしを利用しようとしておるのだろうが、それはこちらも同じ事」
本多正信は本願寺を出てから各地を回り、小山のような反乱分子を見極めていた。今回、仙台に向かう途中で昔の情報からそういう輩にあたりをつけた。誘いに乗らない者も多かったが仙台の関口やこの小山のように機に乗っかる者もいる。その、正信はすでに移動している。勝頼が向かってきているという情報が入ったのだ。敵地で遭遇してはひとたまりもない。正信は武田の領地の入ってはいけない事になっている。見つかったらただでは済まない。
小山は小山城主になるはずだったのだ。武田が来なければ北条の大屋台の下で這い上がっていくつもりだった。それが今では甲斐からきた山猿にこき使われる身だ。俺はこんなのでは終わらない!




