明智では
明智十兵衛。斎藤道三に仕えていた時に、自分の生き様を道三に問われました。十兵衛はその時に、
「自分がこの戦国に誕生した意味を考えつつ答えを見出しとう存じます」
と、しっかり道三の目を見て答えたのです。それがきっかけで道三は十兵衛を可愛がるようになりました。その道三が家督を譲った義龍に攻められ倒された。義龍からはこちらに味方するように何度も説得された。が、十兵衛は不利と知りつつ道三に味方し、敗北後、美濃を追いやられた。そしてなんとか越前に逃れ、松永弾正の紹介で朝倉義景を頼り、客分扱いで捨て扶持でなんとか生活ができるようになりました。
そして、新しく将軍となる足利義昭が細川藤孝と朝倉を頼って越前に来たのです。十兵衛の人生はここから大きく動き出します。足利義昭はなんの権力も権威も持っていませんでした。それなのに将軍?亡くなった斎藤道三は商人から己の実力で大名になり上がりました。道三には覇気があり、人を惹きつける魅力がありました。
ところが、この将軍になる足利義昭からは何も感じません。ついこの間まで坊主だったそうで、周囲に担ぎ出されたのです。本人はは担がれた神輿の上にいれば安泰と思ったわけではなく、寺にいる時に見た民の暮らしを豊かにしたいと考えたから、神輿に乗ったのです。ですが、実際その神輿は泥舟のようなものでした。住むところにさえ困ってしまっていました。
十兵衛は、義昭と話をするうちに昔、道三と話をした自分の生きる道が見えました。自分が道三のようになればいい、と。しがない捨て扶持の客人待遇から天下人まで成り上がろうと決めたのです。それには目の前の将軍を利用する、それが近道です。
十兵衛は朝倉義景に暇を願い出て、怒りを買いましたが、足利義昭が手勢に欲しいというと渋々許してくれました。それから、義昭は死に、信長も死にました。そして今、日本は東の武田勝頼、西の木下秀吉、中央の明智十兵衛の三大勢力となっています。
十兵衛は勝頼が東北へ行っている間に織田を調略しようとしました。この背景にはキリシタンが絡んでいます。織田信長は海外からの武器の輸入に目を付け、キリシタンの活動を許す代わりに色々な珍しい物を手に入れていました。信長の死後、宣教師は十兵衛に接触してきました。そしてその軍資金を得る代わりに布教を認めたのですが、織田信長がよほどいい条件を出していたのか、織田という名前にこだわるのです。
そして結局、織田は従わず戦になりました。宣教師は日本の王は織田信長だと思っています。これを倒せば日本の王として認められるはずでした。
その戦は負けるはずのない戦いでした。織田には徳という不思議な女がいます。十兵衛は初対面からこの女を警戒していました。勝頼のただの側女なのにカリスマ性があり、忍びの調査ではおかしな武器を使いこなす、戦の要になっている女です。不思議と警戒が強く近づく事ができず、情報を取ろうと城下町に言っても知っている事以外の情報が入らない不思議な女です。戦の時、勝頼も徳も不在の状況を作れれば勝てるはずでした。ところが無残な敗戦となってしまいました。敗戦の報告を受けた光秀は、
「なぜだ。左馬助は何をしておったのだ!海は封鎖したではないか!蒲生がいながら……………… 、 そうか、負けたのだな」
十兵衛は敗戦に驚きながらも受け止めざるを得ず敗戦処理を部下に任せ3日部屋にこもりました。丹波や丹後、伊賀のフォローも部下任せにして。
十兵衛が頼ったのは長曾我部元親でした。長曾我部は四国という島国にいる為、独特の水軍を保持しています。毛利が手に入れた武田の戦艦の情報も忍びを通じて入手しています。当時毛利は武田の戦艦富士を解析するのに必死で、他国への監視が緩んでいたのです。
それと、木下秀吉とは同盟を結んでいる関係上、敗戦の報告を一応しました。その時、秀吉はキリシタン大名の大友宗麟を攻めていたのです。秀吉からは、
「負けたのは仕方ない。わしが戻るまでそう、2年はかかろう。それまでは戦をしないよう心掛けよ」
と、まるで十兵衛が秀吉の家臣のような文面の連絡がきました。対等の同盟なのになんだこの言い方は、と思いましたが戦に負けている以上強くも出れません。十兵衛は織田に対して防御線を張りましたが織田は攻めてくる気配がありません。
「戦に勝ったとはいえ、向こうも消耗したのだろう。仕切り直しだ」
とはいえ手足として働く部下が不足していました。十兵衛自身は朝廷や公家の相手が忙しく、時間が足りないのです。
「細川殿がいてくれていれば……… 」
その細川藤孝は今は秀吉の配下だ。足利義昭を一緒に支えた間柄だったが既に決別している。困った十兵衛は民間から人材を探そうと京で募集を出した。戦が続きあちこちに浪人が溢れている。中には優秀な者もいるはずだ。京の町に島左近を見たという者がいて必死に探したが見つからなかった。募集を出すのが遅すぎたかと思っていたら、大久保信正という男が京に現れた。元は徳川家康の家臣で大久保家の遠縁だそうだ。徳川が滅んだ後、各地を転々としていたそうで会ってみると出来そうだったので採用した。そうするとあっという間に丹波勢の揉め事を解決し、秀吉との使者の相手もそつなくこなした。本人が尾張、美濃方面には行きたくないというので西の担当とした。どのみちそっち方面とは敵対しているし、監視だけしていれば良かったので気にしなかった。
そして大久保信正は明智十兵衛の信頼を増していくのだった。




