時は過ぎ
2年が経った。時は1588年です。この2年の間に木下秀吉は九州を制圧した報酬で、毛利内で筆頭家老の位置にまで上り詰めました。実際には秀吉が毛利を支配していると言えるほどです。
毛利の当主である毛利輝元には2人の信頼できる叔父がいました。一小領主だった毛利を大国にした毛利元就の3人の息子、輝元の亡父 隆元、吉川元春、小早川隆景。三本の矢がどうたらこうたらは置いといて、輝元は生きている2人の叔父を心から頼りにし、その叔父達も甥を当主として支えてきました。
その内、小早川隆景は毛利水軍を任されていました。秀吉から武田の戦艦をもらい怖いもの無し状態でしたが、武田海軍に敗れ、なんとか本願寺跡に逃げ込み、そこで前田利家に助けられます。利家が隆景を立てて武功を挙げた事もあって、すっかり秀吉贔屓になってしまいました。今では秀吉の配下になっています。
もう1人の叔父、吉川元春は最初から秀吉を警戒していました。とはいえ、戦果を挙げ続けていて嫌味を言うくらいしかできません。そのうちに輝元も警戒心が少なくなっていきます。ただ、元春は、
「秀吉は有能ですが、やはり信用し過ぎないほうがいい」
と、輝元には言い続けていました。そして毛利の九州制圧がもう少しという時に、最前線にいる秀吉が吉川元春を戦陣に呼んだのです。
「吉川様、よくぞ起こしで。後は島津を降伏させれば九州は毛利の物になります。長年の願いがもうすぐ叶いますぞ!」
秀吉はご機嫌です。
「なぜわしを呼んだのだ。このままお主の手柄にしてしまえば良いものを」
「なーーにを仰いますか?毛利といえば吉川様。この最期の締めを吉川様が務めてこその九州制圧ではあーーりませんか」
秀吉は元春が苦手でした。とにかく秀吉が気に入らないのか、嫌味を言うのです。ですが秀吉のスタンスは変わりません。敵は島津ではない、この吉川元春です。
島津攻めが始まりました。城を囲み黒田官兵衛の指揮の元、圧倒的な物量で攻めかけます。既に島津は虫の息に見えました。
「吉川様、今こそ戦陣へ。前の方へ移動しましょう」
秀吉の勧めに違和感を感じた元春は、
「いや、兵を出す。わしはこの本陣にいる」
と、秀吉の言葉に乗りませんでした。ですが、吉川の兵が九州最期の城を落とすというのには魅力を感じており、連れてきていた主力兵を戦陣へ送り出しました。元春の周囲にはごく一部の護衛しか残っていません。皆が戦陣へ向かい、本陣は秀吉と元春と護衛兵しか残っていません。
九州では秀吉子飼いの若者が大活躍しました。その中でも加藤清正、福島政則の2人の活躍は群を抜いており、既に城持ちまで出世しています。
秀吉には子供がいません。西国の美女を侍らせ、歳にもかかわらず励んでいましたが、結局身を結びませんでした。
そこで秀吉はお気に入りの男を養子にします。その名を三成と言います。その三成も本陣に残っています。しばらくすると血だらけの加藤清正が本陣へ現れました。
「城の門を打ち破り一番槍はそれがしがつけました。政則が今、城へ入ったところでござる」
「清正、怪我はないのか?」
「かすり傷でござる」
そう言って清正は三成を睨みます。ここでぬくぬくとしておって、戦は自ら手を汚すものだとばかりに。三成はそれを無視して、
「清正、怪我の手当てを」
と言って清正を連れて本陣を離れました。実はこの2人、仲はいいのです。いいのですが、結構考え方の違いで衝突しています。それはさておき、機は熟しました。秀吉が床几を掴むや否や本陣に敵襲です。敵はあっという間に吉川元春、および護衛の兵を殺しました。秀吉は慌てて逃げ出します。
島津は降伏し、秀吉の配下となりました。吉川元春は敵の伏兵に襲われて戦死したのです。それを聞いた毛利輝元は秀吉を疑いましたが、小早川隆景がそんな事はないといい、状況を見聞した元春の兵も疑うべき事なし、と報告したのです。輝元は結局秀吉を褒めるしかなく、事実上、毛利は秀吉無しでは立ち行かなくなってしまったのです。
それ以降、毛利輝元は病に臥せってしまい、蟄居状態です。もう、毛利は秀吉の物となってしまいました。
明智十兵衛は四国の長宗我部と結びなんとか勢力を維持しています。前回の戦で甥の明智左馬助を失った影響が大きく守りに入らざるを得なくなっています。蒲生氏郷の領地だった伊賀も織田信忠に取られてしまい、今は丹羽長秀が日野城に入っています。十兵衛の居城である坂本城とも近く、気が抜けません。丹波勢も戦後の処置が不十分だったと十兵衛には反感を持っており、ここには黒田官兵衛が接触しているという噂が流れています。
明智十兵衛のところには、本多正信が大久保信正と名前を変えて仕えています。正信、いえ信正は秀吉のスパイとして武田に入り込もうとしましたが失敗したので、次に明智に狙いを定めたのです。秀吉の九州征伐はまだ時間がかかりそうですし、九州では正信の知見が生きません。明智十兵衛は手駒を失い困っていたのです。そこに入り込むのは簡単でした。
信正の役目は主に毛利、秀吉との外交です。秀吉のスパイがこの役目なのですので楽勝です。信正は、明智に入り込んでから、明智の内情を事細かに調べ始めました。そして、1つの提案を十兵衛にしたのです。




