北条攻め
勝頼は結城と一緒に小山城を囲みます。小山城は結城の説得により開城しました。結城の顔を立て、結城の兄である当主の小山秀綱は佐竹預かりとし、家臣はそのまま結城に与えました。元は実家です。知った顔も多くうまくまとめてくれるでしょう。この兄弟は仲は悪くないのですが、お互いの家を守るために争っていたのです。
館林城を馬場信春が落とし、周辺の国衆に降伏を命じながら武蔵國に入って行きます。山県昌景も加わり、羽生城を落としました。
北条氏邦は鉢形城を出て、河越城に大道寺の説得に出向いていました。氏邦は前回川中島で武田信玄のいる海津城を攻めようとして大敗しています。あれは、信玄がいたからだ、信玄が死んだ今、武田は怖くないと思い込んでいます。心の何処かでは春日山城で会った武田勝頼というのが恐ろしい男とわかっていてもそう思うしかありません。
前回鉢形城になんとか生きて戻った氏邦に、北条氏政は何も言いませんでした。景虎を上杉の跡取りにする事に失敗した弟には興味がないのか?弟だから処罰できないのか?とにかく何も言われませんでした。それがかえって不気味でなんとかしないと不味いと思っています。そこに信玄が死んだのです。幸い、家督を継いだ氏直は氏邦を頼ってくれています。ここで立場を強くしたい、その一心で河越城へ来ています。ところが、
「氏邦が来たのか?矢を放て!当てないようにな」
大道寺政繁は、会おうとしないばかりか追い返すべく矢を放ちます。慌てて距離をとった氏邦は改めて大声で、
「武田信玄は死んだ。ここで武田についてもろくな事はないぞ。今北条に戻ればお咎め無しと氏直様に言われておる。開門、開門致せ!」
ところが今度は城から銃声がしました。射程距離外ですがそれ以上近づくなという威嚇でしょうか?氏邦はしばらく城の外で待ちましたが、武田が羽生城を落としたという情報が入り慌てて引き上げます。
「大道寺め。北条譜代が寝返るなどあり得ん。しかし武田の動きは速すぎる。信玄が死んだのは間違いなのか?」
氏邦は一時疑いましたが当主の北条氏直が風魔から聞いた事だから間違いはあるまいと疑念を捨てました。氏邦が鉢形城に戻るとすでに氏直は滝山城から小田原へ戻ったそうです。津久井に武田の別働隊が集約していて危ないと思ったようです。氏邦はこのままでは孤立するとは思いましたが、籠城の蓄えは十分にあります。それに今までも敵が攻めてきてもいずれは引いていき元にその後に奪い返すという事を続けてきました。
今回も同じだと決めつけ、籠城の準備にかかりました。そうしながら、松山城や周辺の城にも籠城をさせはじめます。
北条の関東での戦は取ったり取られたりを繰り返してきています。それを無くすための上杉との同盟でしたが、思惑は叶いませんでした。今回も耐えていればまた、こちらが取り返す番がくると考えています。武蔵の国衆はその時の強い方に味方します。今回は武田につくのでしょうが、信玄が死んだというのは北条に有利になる材料です。北条側は比較的安易に考えていました。
それにひきかえ大道寺は必死でした。河越城の周囲は北条の城しかありません。まさに孤立無援です。寝返ったとしてもタイミングが悪ければすぐに攻め滅ぼされてしまいます。それ故に寝返る準備は念入りにしてきました。寝返る時期は勝頼から指示がありましたが、武田が出てくるまで持ち堪えなければなりません。武器、食料を蓄えた上での寝返りです。
大道寺は武田勝頼と海津城で会っています。そこですっかり懐柔されてしまいました。最初は戦に負けたのだからさっさと殺せ、という感じで接していましたがすっかり勝頼の大きさに呑まれてしまい、最後には武蔵國の河越から西を任せても良いが功績次第と言われてその気になっています。自らを煙に巻いた仕掛けも見せてもらいました。とても戦って勝てる気がしなかったのも寝返った要因の一つです。
勝頼からは氏邦を殺さないように言われていました。勝頼には何か考えがあるようです。
甲斐からは武田逍遙軒信廉が小山田信茂、諏訪頼豊、室賀正武ら一万五千の兵を従えて津久井から滝山城へ向かっていました。勝頼からは慌てずゆっくり進め、戦はしなくてもいいと言われています。小山田は、
「逍遙軒様、どういう事でござろうか?」
「まあ、お屋形様のお考えがあるのでしょう。なんせ、あのお屋形様ですから」
「滝山城は三千もあれば。鉢形城へ向かうべきでは?」
「小山田殿。焦らない事です。向かうのは片倉城。滝山城の後はゆるりと相模へ向かいます」
「承知(確かにあのお屋形様だしな)。滝山城を包囲し降伏の申し入れを!」
逍遙軒は勝頼から氏邦が攻めてこない限りは仕掛けないように言われていました。そしてこの戦の目的が小田原城である事も。
小山田は自分なりに勝頼の意図を理解して、周辺の国衆に働きかけ武田への忠誠を誓わせます。彼らがその時に強い方に味方する事は分かっていてです。室賀と小山田は味方となった国衆に対して◯✖️評価をしていました。本当に頼りになるのは誰かを勝頼へ報告するためです。
そして諏訪に三千の兵を預けて滝山城を包囲しつつ、片倉城へ向かいました。武蔵の国衆を先鋒として。




