さて、秀吉は
秀吉は織田信長と足利義昭の首を持って安芸に来ています。毛利家当主、毛利輝元への報告です。秀吉は自信満々に報告します。満面の笑顔で、
「殿。この木下秀吉、宿敵織田信長を討ち取りましてございます。残念ながら公方様は敵将の前田利家に討ち取られてしまいましたが、その前田利家はそれがしと旧知の仲、捕らえました後説得し、我が家臣といたしました。織田家では槍の又左と呼ばれる猛将でございまする」
「まず順番に確認したい。信長をいかにして仕留めたのだ?」
「織田家を裏切った荒木村重を使い、敵本陣にまで突入させました。実際に首を取ったのは荒木の家臣ですが、そのものは戦で討ち死にしております。生き残った荒木の家臣はそれがしが引き受け申した」
その情報はすでに入手済みだ。信長と義昭が死んだと聞いた時は飛び上がって喜びそうになった。織田信長と足利義昭、この2人に今まで随分と引っ掻き回された。本願寺決戦の前は織田と毛利は友好関係を結んでいた。祖父である元就が死んだ時は丁寧なお悔やみをいただいたりもした。その間に入ってきたのが足利義昭だ。
公方の扱いには信長も輝元も苦労していたのだが、例の大名集結で信長が公方を見限ったのか公方が見限ったのか、どちらにしても公方が毛利へ来てしまった。ここで完全に織田と毛利は手切れになった。
だが、あの信長の首がそんなに簡単に取れるのか?輝元は秀吉を信用しているわけではない。ただ対織田信長には必要な男だから使っていただけだ。最初は捨て駒程度にしか考えていなかったのだが、みるみる功績を挙げてのし上がってきた。
「あの織田信長がその程度で死ぬのか?そなた何か隠しているのではないか?」
「と、申されましても戦での事。戦は何が起きるかわからないもの。今回はそれがしに運があったのでしょう。敵陣形の弱いところを突いたそれがしの作戦勝ちでございましょう」
「だが、公方が死んだ。これは毛利の恥ぞ!」
「殿。公方様は運がなかったのです。この戦、公方様を本陣に置きました。そして前田利家は側面から公方様本陣を狙った。そのおかげで信長の護りが薄くなり信長を討てた。申し上げます。それがしのこの戦の目的は、憎き織田信長の首を取ること。公方様はどうでもいいのです。当家にとっても公方様はお荷物、戦で敵に討たれたのならばそれは仕方のない事でございます」
「公方を餌にしたと?」
「そうは申してはおりませぬ。戦は水物、結果がそう見えるだけでございます。なお現在、小早川様は船で伊勢を、それがしの兵は本願寺、河内を攻めており皆勝利寸前。毛利家の領地は日に日に拡大しておりまする」
輝元は叔父の吉川元春から、秀吉には気をつけるようしつこく言われていた。信用してはならない、と。だが、この功績は見事だ。公方の件でケチをつけようとしたが、確かに秀吉の言う通り公方はお荷物だった。邪険にはできないし、かといって今更足利将軍に価値があるわけでもない。見方を変えればお荷物の公方を上手く処分してくれた事になる。
「本願寺、河内を手に入れてどうする?」
「京まではあと少しでございます。次の将軍には殿が最適かと。安芸から京までを制すれば必然的に殿に勝てるものはおりますまい」
将軍か。興味がないといえば嘘になる。じじ様、父上が拡大してきた領地をさらに広げたのは余だ。しかし話がうますぎる。それと気になるのは秀吉の力が増すことだ。外様なのに勢力を持ちすぎている。輝元は事前に吉川元春と相談して秀吉に対する褒賞を決めていた。これでどう出るかだ。
「そう簡単にはいくまい。それとそなたへの褒賞だが、今回手に入れた摂津、河内は小早川へ与える。そなたへは播磨に加え備前、美作を与えよう。備前の宇喜多とは戦で合っているな?」
「はい、宇喜多殿はご病気のところ無理をして出陣されておりました。立派なお方です」
「あそこの跡取りはまだ小さい。面倒を見てほしい」
「承知仕りました。ところで、大友との戦はどうなりましたか?」
「蹴散らしてやった。織田からの要請で牽制が目的だからな。簡単に引き上げていった」
大友宗麟は信長の要請で毛利の戦力を分断するために出陣した。あくまでも牽制で大掛かりな戦をする気は無い。だが輝元は牽制とわかっていても対応するしかなかった。もし本気で来られたら領地を取られてしまうからだ。織田信長は以前から遠国と同盟を結んでいたが、こういう事態に備えていたということになる。
「さすがは殿でございますな。西には敵なし、織田も弱体化しております。しかし、」
「なんだ?」
「殿の行く手を阻むとしたら、武田でしょう。武田とはどうするおつもりで?」
「争う必要はなかろう。大名集結で勝頼を見たがなかなかの強者。今は敵にする事もあるまい」
「わかり申した。それではそれがしは戦場へ戻り小早川様のご支援に向かいます」
「わかった。戦の後は新しい領地へ戻り体制を整えよ」
「承知仕りました。それでは失礼いたします」
秀吉はそのまま帰っていった。輝元は秀吉の出方を見ていたのだが全て受け止めてしまったので拍子抜けだ。てっきりそのまま摂津や河内をよこせというと思っていたのだ。わざと畿内、京から遠い領地を与えた。ただ播磨とあまり離しては今回の功績と噛み合わないので隣国にしたのだがこれは譲歩ともいえる。
秀吉の勢力が増えすぎるのは良くない。かといって今回の功績には報いなければならない。褒賞を利用して秀吉を試したのだが素直に受け入れてしまった。吉川元春と毛利輝元はこの件で秀吉に対する警戒を緩めた。




