裏切り
織田信長は10時には善照寺砦に到着していました。朝比奈泰朝が言っていた織田軍に活気が出たというのは信長が到着したからだったのです。鳴海城の今川軍は城を守っていれば今川義元が来てくれると信じ防戦に徹していました。その為に、織田軍が活気づいた事には気が付き、大高城へ使者を出しましたがまさか信長が到着したからだとは思わず、というよりそこまで気が回っていませんでした。
また、当の今川義元は鳴海城へ向かっていましたが松平元康が丸根砦、鷲津砦を落としたと聞き喜びました。この勢いであればこの戦が終わった後、松平に三河を返してもいいな、と思っていました。今川義元は松平元康という若武者が好きだったのです。このまま活躍して将来真の意味での味方になってほしいと思っていたのです。重臣達の使い捨て思想とは違いました。ところが、重臣達はそうは思っていません。朝比奈泰朝の態度がそれを表しています。
今川義元は松平元康を褒めてやろうと考えました。その時、雨が降り始めたのです。実は今川義元は足を怪我しています。今朝、馬に乗って出発しましたが突然馬が暴れ出し落馬したのです。そのため急遽輿に乗って移動しています。義元は輿の中なので濡れませんが、周りの者は雨の中の移動が嫌そうでした。側にいた井伊直親に、
「ちょうど昼であろう。どこか休めるところはないか。まだ清州までは遠い、ゆるりと進もうぞ」
井伊直盛は家来に付近を探索させ、桶狭間と呼ばれる地域の農家の中で休息できる手配をとりました。そこは農村で家がポツリポツリとあります。尾張側は丘になっており木が生い茂っています。
それを聞いた義元は、松平元康がいる大高城へ行こうと進路を変えました。桶狭間は大高城へ向かう途中にあるのです。突然の進路変更ですが、これは前夜穴山と勘助が言っていた織田信長は討って出てくると言っていたことも影響しています。出てくるなら焦ることはない、じっくり攻め上がろうと。すぐそこに信長が来ている情報は入ってきていませんでした。それもそのはずです。織田軍を見張っていた草は今川義元に知らせようとしていましたが全て勘助の配下に殺されていました。信長が善照寺砦にいる事を知っていれば、当然そこに向かったことでしょう。
「ええ!なんで?勘助は今川の家臣でもあるんだよね?ここでこんな事したら、え、え、えーと、てことはまさか」
「まあいいところなんだからもうちょっと話させなさいよ、ね。三雄くん」
恵子は話を続けます。
武田晴信はこの戦で今川義元を葬る作戦を考え、穴山と勘助に指示をしていました。織田信長については正直言って興味がありません。この時は、ですが。そして晴信が立てたその作戦通りに進んでいきます。
今川軍は総勢2万ですが、この時この桶狭間にいたのは五千名です。残りは周辺に散らばっています。雨が激しく振り視界が悪くなっていきます。見張りの兵も雨で気合いが入りません。
勘助は善照寺砦に行き信長と密談を終えています。そして自ら道案内をし、丘の木の後ろに総勢二千名の織田兵を誘導しました。雨で視界が悪く、鉄砲は使えません。今川の見張りを静かに一人づつ仕留めていきます。だれか1人でも銃声を上げていればこの奇襲は成功しなかったでしょう。丘の上から見下ろすと視界が悪いもののところどころ兵がしゃがんで休んでいるのが見えます。
「勘助、義元はどこだ?」
「あの中央の村長の家です。ゆるりと昼餉の最中。今こそ絶好機です」
信長の問いに答えた後、勘助は後ろに下がります。織田と一緒に居るところを見られては不味いのです。信長は、
「一気に攻める。雑魚は放っておけ、目指すは義元の首のみぞ!突撃じゃあ!」
信長を先頭に兵が丘を駆け下ります。そのまま田畑になだれ込み一気に村長の家、今川の旗が立っている家に向かって兵が走っていきます。
「行けー!義元の首を持ってこい」
その頃、村長の家では、村一番の美少女に酒を注がせくつろいでいる今川義元、井伊直盛、蒲原氏徳、由比正信がいました。雨音が響く中、違う音、声が聞こえてきます。
「何事じゃ?井伊、見て参れ」
義元に言われて外に出ようとした時、兵が家に駆け込んできました。
「申し上げます。敵襲です」
「なんだと」
井伊直盛は槍を持って外へ出ていきました。外はさらに騒がしくなっていきます。ずぶ濡れになった井伊が戻るやいなや、
「お屋形様、ここは狙われています。織田の軍勢が押し寄せております。すぐにお逃げください」
「逃げるだと。このわしに逃げろというのか?」
「ここにいては危険です。兵が休んでいるところを襲われました。もうすぐそこまで織田が来ております。皆の者、お屋形様をお守りしろ!」
結局、この家にいた今川義元、重臣達は全て奇襲にあい命を落としました。家を出てから織田の兵を何人も倒しましたが、この一画だけ見れば今川30人に対して織田は100人を越えていました。結局力つき倒れていきました。今川の軍勢は広がりすぎていたのと雨で足元が悪く集合できず、織田の軍勢は最初から一点集中で義元のみを狙ったのです。
そして今川義元の首を取ると織田勢は一気に引き上げます。総数では圧倒的に不利なのでヒットアンドアウェイです。今川勢は指揮官を失いボロボロでしたので攻め続ければもっと戦果を上げれたかもしれませんが、数の暴力には勝てません。結果を出したなら後は逃げるが勝ちです。
勘助はすでに大高城に来ていました。結果を穴山信君に報告すると穴山は松平元康の元へ行き、小声で
「大樹散る」
とだけ言って離れました。元康の目が輝き出します。そして、しばらくして今川義元が田楽狭間で討たれたという情報が大高城にいる朝比奈泰朝のところへ入ってきました。
「バカな、そんな事が。井伊殿まで討ち死にされたと。こうしてはおれん、織田を追いかけて討つべし。元康殿、元康殿を呼べ!」
朝比奈の元へ松平元康、穴山信君がやってきました。
「天下の一大事でござる。お屋形様が討ち死にされたとの事じゃ」
『なんと仰せられる』
すでに知っている2人はハモって答えました。
「すぐに織田を追いかけてお屋形様の弔い合戦に赴く。このまま織田を逃すわけにはいかない。元康殿、出陣をお願い致す」
「承った。朝比奈殿はどうされるおつもりですか?」
「それがしもすぐに後を追いかける」
それを聞いた穴山信君は、
「義元公がお亡くなりになられたとは。それがしは古府中へ戻ります」
「穴山殿。ご苦労でした。晴信様には今後とも今川との同盟をよしなにお伝えください」
「承りました。朝比奈殿は織田を討つと仰せられたがそれがしはそれはどうかと思いますぞ。今川勢は2万もいますが、指揮官の多くは討ち死にされたご様子。朝比奈殿は本隊に戻り軍を立て直すのが先ではござらぬか?義元公がお亡くなりになっても今川の領地を失った訳ではないゆえ、まずは各城や砦を強化し、次に備えるべきでは?」
「ごもっともでござる。それではそれがしは本隊へ合流いたす。元康殿もご同行願いたい」
「承った。ですが、各砦の様子も気になります。松平は砦の様子を見てから合流いたします。朝比奈殿は急がれた方がいいでしょう。すぐに追いかけます」
そして朝比奈泰朝は本体と合流し生き残った重臣との軍議で駿府へ引き返す事になりました。松平元康は岡崎城へ寄るという名目で岡崎城にいる今川勢を蹴散らし、城を奪回しました。明確に今川に反旗を翻した事になります。そして穴山信君と山本勘助は何もなかったかのように古府中へ引き上げていきました。




