決行
この日まで、穴山信君と山本勘助は何度も密談を行なっております。
「お屋形様が言っていた通り勘助よ。お主は今川の間者であったのだな」
「お屋形様にはお仕えする際に、それがしの身の上はお話ししてございます。お屋形様はわかっていてそれがしをお抱えになったのです。そこからそれがしは二重間者となりました」
山本勘助は今川義元、武田晴信と両方の主人に仕えていたのです。そしてその事は両主人とも知っていたのです。その上でお互いの情報を共有していました。そう、この時までは。
「で、どうするのだ勘助」
「それがしの心は決まっておりまする。武田家にこの身をお捧げいたします」
「ならばよし。お屋形様の策の通り行くかはこれからにかかっておる。そなたは松平元康を調略せよ」
「はっ」
そして桶狭間の前夜の軍議にこの2人が招かれました。勘助は配下の草を使い織田信長の動きを見張っています。織田信長の事は晴信に言われて何度か清洲へ赴き調べていました。勘助の見立てでは、うつけ者ではなく晴信と同じ知将という評価です。志が高く、大きな目標のためには多少の犠牲は問わない強い意志を持っていると感じました。
今回の戦は明らかに劣勢です。まともにぶつかれば織田に勝ち目はありません。つまり籠城はあり得ないと言う事です。織田信長は隙を見て討って出てくるでしょう。まともにぶつからなければ勝機はあると考えるのが織田信長です。
「穴山殿。明日、軍を進める事にした。松平元康を先鋒に朝比奈を付けて丸根砦、鷲巣砦を攻めさせる。夜討を仕掛け一気に砦を奪いそのまま後詰の軍が清州へ向かう計画だ。草の報告では織田信長は籠城するようである。このまま清州を囲み尾張を制圧するぞ」
今川は織田信長が籠城すると思っているようだ。そうはなるまい、ならないように仕組んであるしな。
「申し上げます。武田家の調査によれば織田信長は籠城するような輩ではございません。うつけ者という噂の裏には智力が隠れていると判断しております。恐らくは討って出るきっかけを待っているものと推察いたします」
「ほう、勘助。そちの意見はどうだ?」
「はっ。穴山様のご指摘の通りかと」
山本勘助は、自分の配下の草の情報、直接織田信長に会った時の話をしました。今川義元は食らいつきました。
「勘助。織田信長に会った事があるのか?その時の事を詳しく申せ」
「織田信長の事は家督を継ぐ前から見張っておりました。最初は信長が現れるという噂を聞き、ある村で待っておりました。貧しい村の者に食料を配っていました。それがしにも野菜をくれましたが、その時、『見慣れない顔だな。まあいい、食え』と笑顔を残し去って行きました。次は家督を継いだ後、清洲の城下町で僧の格好をして道端から信長を見ていたのですが、それがしを一目見た瞬間こちらにやってきて、『また会ったな。饅頭だ、美味いぞ』と言ってまた笑顔で去って行きました。次が最後になります。半年程前のことです。清洲の茶屋で休んでいると隣に信長が座りました。信長は一人でしたが、周囲には草の気配がしましたので陰ながらの護衛に守られていたようです」
「また会ったな。そなたはどこの者じゃ?」
「それはご勘弁を。敵意はございません」
「そなたは賢いな。次にコソコソ隠れているようなら捕らえるところであった。まあ、自由に見ていくが良い。いい町であろう」
「はい。海が近いからか市場も活気があり民は皆笑顔で過ごしています。来るたびに栄えているようで信長様の手腕に感服いたしております」
「世辞はいい。民が笑顔でいるのが一番じゃ。わしはな、戦が嫌いなんじゃ。だが避ける事はできん。戦をなくすにはどうすればいいか。そなたはどう思う?」
「今の幕府には戦を止める力はありません。戦をしたくなくても攻められれば応じるしかありませぬ」
「先の世を考えておるのじゃ。わしが戦をなくす。それにはどうすれば良いかを、な。そうじゃ、戦う相手がいなくなればいいのだ。わしより強者がいなくなれば戦は無くなる。そうであろう。そなたに会えて良かった。また会おう」
「そう言って信長は去って行きました。あの男はうつけではありませぬ。こうしている間にもどうやってこの戦に勝つか考えていると思われます」
今川義元は考えている。井伊、由比等重臣達はならば一気に清洲へ進み籠城するしか道が無いように追い込むべし、と訴えている。城を囲んでしまえば信長は何もできないであろう。だが、そうなるのか?当然今川がそうやって攻めてくると考えて手を打ってくるであろう。穴山、勘助のいう事を信じれば野戦になる。野戦になれば我らが有利だ。籠城でも我らが有利、つまり何も悩むことはない。
「決めたぞ。予定通り明日早朝、丸根砦、鷲津砦を攻める。本隊はゆっくり攻め上がるとしよう。討って出てこようが籠城しようが、こちらはどっしり構えて応ずればなんという事はない。朝比奈、穴山殿と共に松平を使って砦を攻略せよ」




