102 “ゆびきり”
奴隷商人に捕まったあの日、わたしはチーと出会った。
「お姉ちゃんはさっきの男の人と知り合いなの?」
「違うよ」
「怖い人と知り合いなんて酷い事言ってごめんね」
「ううん、気にしなくて良いよ。わたしは愛那。あなたは?」
「チーはチーだよ」
チーは少しおどおどとしていて、それでも勇気を出してわたしとラヴィに話しかけてきた。
少なくとも、わたしはそう感じた。
「チーはね、パパが事故で死んじゃって、ママと2人で暮らしてたの。でも、怖い人が来て、ママと離れ離れになっちゃった」
目尻に涙を溜めて、チーは本当に悲しそうな目でそう言った。
だから、わたしは放っておけなくて約束した。
「チー、大丈夫。絶対何とかして、チーをお母さんの所に帰してあげるから」
「マナお姉ちゃん……本当?」
「うん、約束。絶対にチーを助けてあげるよ」
チーの手を取って、小指を絡ませてそれをした。
おまじないだって教えると、それを聞いていたラヴィが自分もしたいと言いだした。
だから、わたし達は3人でそれをした。
3人で一緒にやったから、少しだけやり辛かったけど、それでも力が湧いた。
元気を貰って、勇気も貰った。
あの時交わしたそれは、今でも心の中でわたしに力をくれている。
誰かが聞いたらくだらないって思うかもしれないけど、それでも良いんだ。
“ゆびきり”
それは、それこそが、わたしとラヴィとチーの3人の大事な約束でありおまじないなのだから。
◇
背丈が5メートルはある悪魔の姿へと変わったジライデッドを見上げて、わたしは驚き、だけど冷静に距離を取った。
モーナは気を失っている。
カリブルヌスの剣は重くなっていて、まともに振り回せるなんて思えなかった。
モーナを地面に寝かせ、カリブルヌスの剣を側に置く。
そして、わたしは短剣を取り出した。
ラヴィがわたしの為に作ってくれた短剣。
使い心地はよく、おかげでこの短い期間で随分と助けられた。
ラヴィ、力を借りるね。
そう心に呟き、わたしは姿を変えたジライデッドに視線を向ける。
皆から貰った魔石は使いきった。
ううん。
まだ一つだけ、今も尚わたしを支えてくれている物がある。
モーナが言うには、わたしの瞳は今赤く光ってるらしい。
わたしの動体視力を上げてくれている魔石。
この魔石の効力が切れる前にジライデッドを倒す。
「バラバラになれ!」
ジライデッドから無数の斬撃が放たれる。
スキル【追撃の悪夢・斬】だ。
モーナとの戦いの時に使っていたもの凄い速度の斬撃。
モーナが避けずに真正面から受け止めていたのは、このスキルの名前にもある追撃が理由だろう。
避けても意味が無いのは明らかだ。
短剣にスキル【必斬】を乗せて斬撃を斬り払って相殺。
ギリギリだったけど上手くいった。
だけど、ジライデッドの攻撃は終わってない。
ジライデッドは斬撃を斬り払っている間にも、わたしに接近していた。
そして、左側から強大な腕を振り下ろしていた。
わたしは咄嗟に横っ飛びしてそれを避け、短剣を構えて追撃に備える。
だけど遅い。
ジライデッドの腕から斬撃が幾つも伸びて、それ等がわたしを容赦なく襲った。
「――っつぅ!」
またもやギリギリだった。
あと一歩間違っていれば、わたしの首が飛んでいた。
ジライデッドの腕から伸びた斬撃の殆どが、本命を隠す為の囮だったのだ。
わたしの首を真っ二つにする為に放たれた斬撃以外は、わたしに致命傷を与えるようなものでは無かった。
外れるわけでは無いにしても、体をかすめて多少の肉を斬るだけで、殺傷能力がほぼなかった。
冷静になれ。
冷静になって見極めろ。
心の中で自分に言い聞かす。
そして、ふと、一つの可能性を見つけた。
あの時、時計塔でわたしが殺されかけた時だ。
こんなにも協力で追撃機能のついた斬撃を飛ばせるのに、ジライデッドはわたしを直接攻撃した。
もしかしたら、このスキル【追撃の悪夢・斬】には欠点があるのかもしれない。
そう。
例えば、致命傷を与えれる程の斬撃は一度に一つしか出せない、とか。
だからこそ、さっきの斬撃は首を狙ったもの以外を囮に使ったのかもしれない。
だからこそ、ジライデッドからしたら動きの遅いわたしにわざわざ近づいて攻撃を仕掛けたのかもしれない。
距離があればある分だけ、確実に仕留めれる一撃を止められやすいから。
とは言え、動きが劣っているわたしが直ぐにそれで上手く対処できると言うわけでもない。
だからって、弱音なんて吐いてられないよね。
ジライデッドが羽を広げ、その瞬間に突風が吹き荒れる。
吹き飛ばされない様に咄嗟に足に力を入れて、そこに次の攻撃が、大きな拳がわたしを狙い迫りくる。
それならばと、わたしは避けようともせずに短剣を振るった。
ジライデッドの指が骨まで斬れて動きが鈍る。
同時に拳から出た斬撃をわたしは食らい、それでも致命傷は短剣で受け止めた。
ギリギリの戦い。
正直かなりヤバい。
動きの鈍った拳がわたしの左腕にあたり、腕が折れる音を聞き、そして叫びたくなる程の痛みを感じながらも前に進む。
ここで引きさがるわけにはいかない。
もし、ここで引きさがってしまったら、もう近づく事も出来ないだろう。
向こうも気づいている。
ジライデッドはわたしから距離を取るために羽ばたこうとしている。
この距離で致命傷になる斬撃を2回も防いだのだ。
ジライデッドには毒の魔法だってある。
毒人形だってある。
もしかしたら、まだ見せていない強力な魔法だってあるかもしれない。
相手が子供だからと今はまだ油断しているかもしれない。
次からはそれを使って、油断もせずに本気で確実にわたしの命を奪いに来るかもしれない。
だから、何が何でも今ここで食らいつく必要があるんだ!
前進しながらも短剣を振るい、【必斬】を乗せた斬撃でジライデッドを狙う。
だけど、ジライデッドの【追撃の悪夢・斬】で相殺される。
それだけじゃない。
致命傷にならないとは言え、脅威には変わりない数えきれない程の幾つもの斬撃を、ジライデッドがわたしに放つ。
全部受けきる事はわたしには出来ないし、足を多少なりとも止めないと、対処しきれなくて危険なものだってある。
でも、それでも、わたしは足を止めない。
止めたりなんかしない。
どれだけの斬撃が来ようとも、服だけでなく肌が斬られて血が出ようとも、わたしは避けずに突き進む。
絶対にここで終わらせるんだ!!
顔、短剣を握る手、進む為に必要な足、それ等のわたしが考えつく体への斬撃を出来る限り斬り払い、他は全部無視して進む。
体中に激痛が走る。
幾つか斬り払えなくて足が斬られて転びそうになる。
だけど止まらない。
止まってなんかいられない。
それでも足りない。
わたしの足じゃ追いつけない。
ジライデッドとの距離がどんどんと離れていく。
羽をはばたかせ、ジライデッドの足が地面から離れる。
「子供のおままごとでは越えられないさ。私の音速はね!」
ジライデッドの声を聞いた瞬間、わたしの頭の中は妙にクリアになった。
「お願い!」
声が聞こえた。
チーの声だ。
そして、ジライデッドの羽と足が土草に縛られて、地面から離れていた足が地面についた。
チーがジライデッドを逃がさない様に援護をしてくれたのだ。
ジライデッドは直ぐに斬撃で土草を斬り裂き、再び羽ばたこうと羽を広げる。
不思議な感覚だった。
チーが稼いでくれた微かな時間。
時間にしたら、それはほんの微かな一瞬の、瞬きすら出来るかどうかの時間だった。
だけど、チーの稼いでくれたその時間が、頭の中がクリアになったわたしに可能性を見せたのだ。
ジライデッドは「音速」と、そう言った。
妙に納得のいく単語だった。
ジライデッドの使うスキル【追撃の悪夢・斬】は本当にスピードが速くて、油断すれば一瞬で斬られてしまう。
わたしの魔法でスピードを上げたあのモーナですら、スピードで後れを取る相手だ。
でも、音速の攻撃を繰り出す相手と考えれば、別に驚くほどの事じゃない。
そして、相手が音速であるならば、それを超えればいいだけ。
このほんの微かな一瞬の時間で見た可能性に魅入られて、短剣を強く握り締め、わたしは考えるよりも早く無意識で呟いていた。
「ライトスピード」
瞬間――閃光が走る。
「――――――っっ!!??」
ジライデッドが目を見開いて、何が起きたのか分からないといった顔で己のお腹に触れる。
そして、次の瞬間、ジライデッドのお腹から時間差で大量に血が噴き出した。
ジライデッドには何が起きたのか分からない。
何故、自分が斬られているのか想像もつかない。
「……な……にが…………?」
ジライデッドはそのまま白目をむいて倒れた。
そして、ジライデッドの手前、わたしが立っていた場所から後方にかけて100メートル近く伸びる砂煙があった。
わたしは今、その砂煙の先に立っている。
その場で息を切らし、倒れたジライデッドに背を向けて、頭の中をぼおっとさせて立っていた。
そして……。
リィィン、リィィン。
リィィン、リィィン。
リィィン、リィィン。
リィィン、リィィン。
「あっ。鐘の音……」
「マナお姉ちゃあああああん!」
不意に声がして振り向く前に、チーが勢いよくわたしに抱き付いた。
力を使いきっていたようで、わたしはチーの勢いに押されて倒れそうになって、チーに抱き付かれたまま引っ張られた。
「チー、危ないでしょ」
「マナお姉ちゃん!」
チーが飛び切りの笑顔をわたしに向ける。
わたしはその笑顔を見て、チーの頭を優しく撫でた。
「ゆびきり」
そう言って、チーが拳を出して小指を立てる。
「マナお姉ちゃん、約束を守ってくれてありがとう。本当に……本当にチーを、チーのママを…………助けてくれて……ありがとうっ」
チーは涙を流しながら、でも笑顔をわたしに向けて、最後の方なんかは途切れ途切れにそう言った。
わたしはそのチーの笑顔を見て、チーと交わした約束を守れて、本当に良かったと心からそう思った。
「戻ったら、ラヴィにも守れたよって伝えないとね」
「うんっ……うん……っうん!」
チーを抱き寄せて頭を撫でる。
リィィン、リィィン。
リィィン、リィィン。
リィィン、リィィン。
リィィン、リィィン。
12時の鐘が鳴る。
綺麗で澄んだとても気持ちの良い鐘の音。
まるで勝利を祝福する様に、それは、何度も何度も鳴り響く。
やっと……終わったんだ。
わたしは腕の中で泣くチーと、綺麗な鐘の音に包まれて、安堵の息を深く吐き出した。
「ぐあああああああ! 背中が痛いいいいい! って、何だあ!? 性悪男が白目向いて倒れてるぞ!? あれ!? おーい! マナー! 何処だー!?」
「お前は起きて早々煩いんだよ! チーリンの母親が寝てるんだから静かにしろ!」
台無しである。
騒ぐモーナにワンド王子が抗議する。
なんだか久しぶりに見た光景にわたしは呆れた。
「ホント、あの馬鹿は空気読めよ」
「ふふふっ。猫のお姉ちゃん、面白いね」
まったく、モーナのせいで雰囲気がぶち壊しだ。
でも、チーのこの笑った顔を見て、わたしは仕方が無いので呟くのだ。
「そうだね」
と。
って言うか、呆れて今度はため息が出てしまったのだけど…………まあ、それは今は置いておくとしよう。




