097 圧倒的な強さ
12時の鐘が鳴る。
絶望を伝える様に重い音色を響かせる。
チーは鐘の音を聞き、大粒の涙を流しながら母親を掴んで揺すった。
ママ、ママ、と何度も泣き叫ぶ。
わたしは気がつけば両膝を地面につけて、座る様に項垂れていた。
間に合わなかった。
それだけが頭の中に流れて真っ白になった。
「ラリーゼとスタシアナが言っていた通りだ。相変わらず泣き虫だね、チーちゃん」
呆れたような表情でそう言ったのは、白衣を身に纏った大きな男、チーの義理の父親だと名乗ったジライデッド=ルーンバイム。
スラっとした長身で、髪は整えられオールバック。
清潔感ある見た目をしたその男は、見た目に見合わず何処か不気味で、凍る様な冷たい目をしていた。
ただ、この絶望的な状況下では、そんなこの男の雰囲気が妙にしっくりと似合っていた。
わたしは恐怖を感じて、一瞬だけ体を震わせた。
ジライデッドは大きなため息を吐き出して、にやついた笑みを浮かべてチーの母親を見て触れる。
「さて、ようやく実験材料の完成だ。これで――――っどう言う事だ?」
ジライデッドが何かに驚いた様な表情を見せ、チーの頭を掴んで「どけっ」と力任せに後ろに押して、チーは地面に転がった。
チーは直ぐに母親に近づこうとして転んでその場に泣き崩れて、わたしはそれを見てやっと正気に戻った。
ジライデッドを睨み、チーに近づいて抱き起こす。
擦り傷程度の外傷はあったけど、大きな怪我はない。
だけど、チーの心はぐちゃぐちゃだった。
チーはわたしに抱き起されると、わたしの胸に顔を埋めて泣き叫んだ。
許せない!
わたしはジライデッドを再び睨んだ。
突然現れたチーの義理の父親は死んだはずの男。
そしてそれはラリーゼとスタシアナの父親で、チーの母親の為に死んでしまったせいで、2人がチーに酷い事をするきっかけになったと思っていた。
だけど、それは勘違いだった。
もう説明なんていらない。
間違いなくこの男が黒幕だ。
この男が、チーを裏切った……いいや、違う。
最初からチーを騙していたんだと言う事だけはハッキリと分かる。
ジライデッドがチーの母親の肩を掴み体を起こして、閉じられた瞼を指で開ける。
そして、目を見開き、信じられないとでも言いたげに呟く。
「生きて……いるのか?」
「――っ!」
チーの泣き叫ぶ声がピタリと止まった。
動揺して目を大きく開いて、何かを言おうとしているのか口を開けて動かして、だけど何も言えずにいた。
わたしも睨んでいた目を大きく開けて驚いた。
ジライデッドの表情を見るに、とても嘘を言っている様には見えない。
「いや、生きていても時間の問題だろう。症状は回復していない」
ジライデッドはブツブツと呟いて、チーの母親を担いで、気絶しているラリーゼとスタシアナに向かって手をかざした。
ジライデッドの目の前に青色の魔法陣が浮かび上がり、浮かび上がったと同時に水の塊が射出される。
水の塊はラリーゼとスタシアナに当たり、2人は何事も無かったかのようにムクリと起き上がった。
「ちっ。パパ、来んの遅すぎ」
「ん~、そう言う事言わないの。って、あら? その斬られたような痕……まさかアナタ負けたの?」
「うるっさいわねー。そっちだって負けたんでしょ。こっちは手加減してやってたし、油断しただけだっつーの」
「おいおい。目が覚めていきなり姉妹喧嘩はよしてくれ」
ラリーゼとスタシアナが喧嘩すると、そこに瞬きをする間もなくジライデッドが移動した。
そして、直ぐに3人が何かを話し始め、それを見て嫌な予感を感じた。
「チー、ごめん。ここにいて」
「……マナお姉ちゃん?」
泣き叫んでかれてしまった不安が詰まったチーの声。
これ以上悲しい思いをさせたくないと強く思いながらチーを体から離し、わたしは短剣を構えて駆け出した。
「クアドルプルスピード」
呪文を唱えて、加速魔法で自身のスピードを最大限に上げる。
ジライデッドは今までの相手とは違う。
素人目にもそれが分かる程に圧倒的に強い。
最初の一撃で倒さなくちゃ確実に負ける。
正直言って怖い。
恐怖で体が震え、逃げ出したくなる程だった。
だけど、だけどだ。
チーの母親がまだ生きている。
生きているなら希望はある。
ここで足を止めてしまったら、ここで逃げてしまったら、チーの母親を助ける事なんて出来ないんだ!
気付かれる前、ギリギリの所で斬撃を――――
「お遊びは終わったんだよ」
「――――っ!?」
背後をとられ――――――
「――っがぁ…………っ」
気付いた時には、わたしは仰向けで地面に倒れていた。
わたしは、ジライデッドにお腹を斬られ、内臓を斬り裂かれ、お腹に貫通する程の穴を開けられて倒れたのだ。
だけど、わたしは気付けない。
あまりにも傷が深すぎて、頭の中が真っ白になり、何が起きたのかすら分からない。
お腹が焼ける様に熱い。
お腹が裂ける様に痛い。
お姉とチーのわたしを呼ぶ声が聞こえる。
力が入らない。
段々と意識が薄れていくような気がする。
駆け寄ってきたのか、お姉とチーがわたしの側で大粒の涙を流して泣いている。
何か声を出そうとしたけど出なかった。
お姉がわたしの手を握った。
その手は真っ赤に染まっていて、それがわたしの血だと気付く前に、わたしの意識は消えていった。
◇
「殿下、遅い」
「お、お前が速いんだ……ぜえ、ぜえ。ちょっと待ってくれ」
ラヴィとワンド王子はドワーフ城の高い塀の横を走っていた。
ワンド王子は「ぜえ、はあ。ぜえ、はあ」と息を切らしながら、前を走るラヴィを立ち止まらせる。
「モーナスが先に行ったんだから、そんなに急がなくても大丈夫なんじゃないか?」
「駄目。あの時計塔なんか変。早く行った方が良い」
「変って……まあ、そうかもしれないけど、僕等が行った所で何も出来ないだろ? マジックアイテムはサガーチャに任せるしかないんだ」
「置いてく」
「な! 待て待て! 頼むから僕を置いて行くな!」
「我が儘……」
「し、仕方が無いだろ」
「足手纏い」
「くっ……分かった。足手纏いになんてなったら、モーナスに笑われるからな。頑張って走るぞ」
「うん。後もう直ぐ。頑張って」
ラヴィとワンド王子は再び走り出して、そして、城門に辿り着いた。
城門には門番だけでなく、ドワーフの兵士が沢山いた。
ラヴィがそれを見て訝しむと、その中の兵士の1人が、ラヴィとその背後で今にも倒れそうなワンド王子を見て駆け寄った。
「お待ちしておりました。ベードラの第一王子ワンド殿下とラヴィーナさんですね」
「そう」
「ああ。はあ、はあ。そうだ。ボクがワンドだ……し、死ぬ」
「だ、大丈夫ですか?」
「僕の……けほっ、けほっ。事は気にするな。それより、はあ。はあ。何かあったのか?」
「は、はい。我が国の王子のご命令で、何かあった時の為に待機せよとの事で、我が国の兵をこの場に集めていました。それから私個人ではありますが、少し前に来られたモーナス様に、殿下とラヴィーナさんを時計塔まで連れて来るようご命令を頂きました」
「そ、そうか。それは助かる」
「私はいい。走った方が速い。殿下は連れて行ってもらって。私は先に行く」
「ああ。分かった」
ワンド王子は返事をすると、ラヴィは小さく頷いてから、時計塔に向かって駆けだした。
そのスピードは速く、ラヴィの背中を見送る兵士達が驚いていた。
「愛那! 愛那! 愛那!」
「マナお姉ちゃん! やだよ! 死なないで!」
ラヴィが時計塔まで辿り着いた時、それは、わたしがジライデッドからの攻撃を受けて倒れた直後だった。
お姉とチーが泣き叫び、そこにいるのは、お腹に穴を開けて大量に血を垂れ流しているわたし。
それを見た瞬間のラヴィの行動は早かった。
いや、ラヴィだけじゃない。
サガーチャさんがラヴィがこの場に来た時に、その存在に気が付いて、勢いよく何かの液体が入った瓶を放り投げた。
「ラヴィーナくん! それを飲め!」
「あん?」
ラリーゼが気怠そうに投げられた瓶を見る。
そして、ニヤリと笑って瓶に向かって走り出した。
「なんかよく分かんないけどさあ! やらせてあげないわよ!」
「邪魔しないでくれるかい!」
ラリーゼがラヴィより先に瓶を取ろうとした時、グランデ王子様の斧が回転しながらラリーゼに迫り、ラリーゼは危険を察知して後ろに跳ぶ。
斧はそのまま地面に落ちて刺さり、ラリーゼが斧を一瞥してからグランデ王子様を睨み見た。
「足が動かなくとも、これくらいは出来るのさ」
グランデ王子様が煽る様に爽やかな笑みを浮かべて、ラリーゼが舌打ちする。
そしてその間に、ラヴィはサガーチャさんが投げた瓶を受け取って蓋を取り、何の躊躇いもなく中に入った液体を一気に飲みほした。
するとその時、チーの体が黄と緑の順番で淡く光り、チーの体から冷気が溢れだした。
普通であれば己の体の異変に足を止めてしまうかもしれないけれど、チーの足は止まらない。
チーはそのまま足を止める事なくわたしの許まで辿り着き手をかざして、直後わたしを中心に青色の魔法陣が浮かび上がった。
「愛那!」
瞬間――わたしの体が青く輝く水に包まれて、わたしの体が驚異のスピードで回復していく。
そして、瞬く間にわたしの体は完治して、わたしは意識を取り戻した。
◇
「…………あ……れ? わたし……」
不思議な気分だった。
確かわたしは気を失った。
気を失う前に、ジライデッドから攻撃を受けて、その時に受けたお腹の傷が痛くて熱くて体も動かなくて……。
だけど、今は全く痛くない。
夢だったかと思える程に痛くない。
でも、それが夢ではない事くらい直ぐに分かる。
「愛那! うわあああああん! 死んじゃうと思いましたああ! もう駄目だって思っちゃいましたああああ!」
「マナお姉ちゃん! 良かった。生きててくれて良かった」
お姉とチーがわたしの体を強く抱きしめて、これでもかと言うくらいに凄い泣いている。
それに、凄い大量の血がわたしを中心にして地面に広がってる。
なんならメイド服のお腹の所がズタズタに斬り裂かれていて、そこを中心に真っ赤に染まってる。
「愛那、助けに来た」
「ラヴィ!?」
目の前には、目尻に涙を溜めたラヴィが口角を上げて立っていた。
ラヴィを見て驚いて、わたしは直ぐにラヴィに命を救われたんだと理解した。
そして、まだ戦いが終わってないって事も。
わたしはわたしを不愉快な表情を浮かべて見ていたラリーゼとスタシアナ、そして、チーの母親を担ぐジライデッドに視線を向けて立ち上がった。
まだ終わりじゃない。
それなら、わたしは絶対に諦めない。
「チーのお母さんを返してもらうよ」
「死にぞこないが、私のパパに偉そうな事言ってんじゃねーわよ!」
「ん~、マナちゃんはもう少しお利口だと思っていたけど、相当な馬鹿だったみたいね」
「全く、困ったものだね。これは家族の問題だよ。チーちゃんと私達家族のね。家族の問題に君の様な子供がいちいち口を出さないでほしいな」
「何が家族の問題だ! わたしはアンタ達がチーの家族だなんて認めない! チーのお母さんを、家族を奪おうとしているアンタ達を絶対に認めない!」
「はあ、本当に困った子だ。さっき私に殺されかけて、それでも立ち向かうつもりなのか。面倒なガキだな」
ジライデッドの雰囲気が変わる。
その目は鋭く更に冷たい視線。
元々不気味な印象を受ける雰囲気だったこの男からは、更に恐怖を煽るような威圧的な何かを感じた。
それは見た目が変わったわけでもないのに、まるで別人だ。
だけど、わたしは引かないし恐怖で震えたりしない。
わざとらしく軽蔑するような薄ら笑いを浮かべて、これでもかと言うくらいに煽ってやる。
「その面倒なガキにいちいちキレないでもらえます? 大人の癖に大人気ないですね。そっちこそガキみたい」
ジライデッドが誰が見ても分かるくらいの殺気をわたしに放つ。
この手の人を馬鹿にするタイプの大人は単純で良い。
同じ様な言葉でけなしてやれば直ぐに引っ掛かる。
これはお姉に言い寄ってくる下心しかない男どもを相手に、元の世界で身につけたわたしの話術だ。
小物相手はこれで十分……と、まあ、それは今は置いておくとしよう。
圧倒的な強さの敵に対して、こっちの戦力はわたしとお姉とラヴィ。
3対3で人数的にはぴったりだけど、どう考えても分が悪い。
だけど、そんな事で弱音を吐いてなんかいられない。
それに不思議と気を失うまでに感じていた恐怖は消えていた。
だからこそ体の震えも止まっていたとも言えるし、頭の中は驚くほどクリアになっている。
あの時と違う事があるとすれば……お姉とラヴィだろう。
今はお姉とラヴィが側にいる。
それだけで安心できる。
ふと、お姉が何をしていたのか気になった。
ラヴィは分かる。
モーナが先に来て、ラヴィはそれを追って来ていたから、丁度今さっき到着したのだろう。
でも、お姉は何をしていたのか?
いつものお姉なら、わたしが走り出した時にはサポートに回りそうだ。
それに、今思えばジライデッドが現れた時から、お姉は何もしていなかった。
お姉はどんくさい。
だけど、こういう時は誰よりも早く動こうとする。
そんなお姉が何故わたしが倒れるまで動かなかったのか?
正直謎だ。
とは言え、今はそんな事を考えている時でもない。
「ラリーゼ、スタシアナ、あのガキを殺せ」
「勿論よ、パパ」
「ん~、了解」
チーを、チーの母親を助ける為に、この戦いを終わらせるんだ。
例え相手が圧倒的な強さでも、絶対に負けない!




