■第五四夜:《魂》の荒野で
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完全記憶を有する夜魔にとっての夢は、過ぎし日の現実の追体験と同義である。
ゆえにいまアストラが見るこの夢は、あの日の父との語らい、その再現である。
「なにをしに来たのか。ここが我が心のありさま、その似姿であると知ってのことか」
いつからこの場に立っていたのか。
呆然と岩塊と礫で構成された荒涼たる世界を見渡していたアストラは、背後から浴びせられた叱責に肉体を強張らせた。
言葉に込められた、静かだが有無を言わせぬ重圧に、反射的に動きが止まる。
ゆっくりと振り向けば、ビョウオウと音を上げて逆巻く風と霧のヴェールの向こうに、ひとりの男が座しているのが見えた。
夜魔の大公:スカルベリ・ルフト・ベリオーニ・ガイゼルロン。
王者としての衣装をまとったその男が供も伴わずひとり、岩塊を玉座に腰掛けていたのだ。
その漆黒の目が──虹彩が金色の輪を描く恐ろしい瞳が──アストラを睨めつけている。
なんど訪れても厳しい、そして寂しい場所だと、その瞳に映り込む大地を見てアストラは思う。
森林限界をはるかに超えたこの高度では、もうまともな樹木は育たない。
岩肌にへばりつく潅木の類いか、厳しい環境に適応した高山植物と地衣類だけが、申しわけ程度に鈍色の世界に彩りを与えている。
荒れ野を吹き渡る風はいまでこそ穏やかだが、周囲にまばらに生える低木の枝と幹が不気味なほどに拗くれ地を這うように枝を伸ばしているを見れば、ここが本来どのような環境にあるものなのか、嫌でも想像がつくというものだ。
なによりこの光景が、その名をして夜の支配者と世界に畏れられる夜魔の大公:スカルベリの心象風景を模して造営された庭であることを知る者は、ほとんどいない。
そしていまここに立つアストラは、その例外に該当する数少ないひとりだった
だから答えた。
不興を買うであろうことを、承知の上で。
「はい──父上。存じております。ゆえに、すでに存じ上げているがゆえに、今日こうして罷り越しましたのでございます」
「……この地ことを、わたしはそなたに話したか? いいや話してはおるまい」
ということは、そなたは我に無断でこの地を訪ったということになるな。
どうやってか、この場所の存在を嗅ぎつけて。
言葉すくななスカルベリの問いかけには、声にされることのなかった詰問が含まれていた。
アストラは正直に答える。
すぐにも露見するような嘘を並べたら、その瞬間に首と胴とが生き別れになることを、実の娘としてよく知っていたからだ。
「たしかに。御身の口からは、ひと言たりとも」
「その口ぶり……そなた……これが初めてではないな、罪深いことに」
膝をつき臣下の礼の姿勢を取って平伏するアストラに投げ掛けられるスカルベリの言葉こそ、冷然と言うべきものであった。
アストラはいまにも口から飛び出してしまいそうになっていた心臓に、氷でできた針を突き込まれるような痛みを覚えながらも、それら全てを必死に押し殺して応じた。
「はい、じつは、すでに幾度も──」
「どうやって知り得た。この場所のことを。いやそれ以前に、どうやって“庭園”の関門を突破し得た」
ここは選ばれし者だけがその侵入を許された、言わば聖域。
「ひとつ目のご質問には……幼きころ、土蜘蛛どもの姿くらましの外套を用いて、父さまの後を追いましたがゆえに。もうひとつには……わたくしめが、このアストラめが、父さまと母さまの直系であるがゆえに。我が体内を流れるの血の純なるに“庭園”はその固い門扉を開いたのでございます」
「自然にか」
「はい、自然と……」
いまなお紫水晶の棺に眠る母:エストラルダの血を使って、までとはさすがにアストラには言えなかった。
“庭園”がその門扉を自然と開いた、というのは半分は偽りだ。
アストラの血だけでは“庭園”は門扉を開かなかった。
ただ、ある工夫をその直前に施せば、“庭園”の門が誤認を起こすことをアストラは突き止めたのだ。
それは意識のない母の肉体から、ほんのわずかに吸血すること。
わずかに真祖の血に届かない自らの血に、まるで香水をまとうかのように、母のそれを加えること。
たったそれだけで濃い真祖の血が、限られた時間だけにしても、“庭園”の門の施錠を解除してくれる。
もちろんこれは、父:スカルベリと母:エストラルダの両方から血を受け継いでいるアストラでなければ成立し得ない詐術ではあった。
それゆえにアストラはこの詐術を、己が血の為せる業だと言い張った。
自分以外にできないのであれば、それは自然と呼ぶべきものであると偽った。
スカルベリは、そんな娘の小さな詐術を見逃す。
あるいは見逃すふりをしたか。
かわりに淡々と訊く。
「それらすべてが、悪事と知りながらか」
「はい……父さま。悪と知りつつ……です」
「そなた、それは罪の告白であるぞ。それも許し難き重罪の」
「はい、存じております。そして断罪されるであろうその覚悟を決めたがゆえに、このアストラルハ、御前に参った次第です。ですが──どうかその前に!」
それまで平伏し、垂れていた頭を上げて、アストラは父を見た。
怒り心頭であってさえ凍えるほどに冷たい表情を崩さぬ父王の、いやその怒りが真のものであればあるほどに凍てついていくその瞳を、真っ正面から覗き込む。
自ら挑むように、両手をついて前に出た。
「罰ならば、あとでいくらでもお受けいたします。ただ今日は、どうかアストラの話を聞いて頂きたく!」
だがそんなアストラの訴えを前にしても、スカルベリは超然とした態度を崩さないのだ。
これが愛娘を前にしてのものであろうかと耳を疑うような、冷酷な調子で問う。
「なにをしていた」
「と、申されますと?」
「そなたは、わたしの心のなかに無断で分け入りなにをしていたのか、と問うている」
「それは……」
それまでスカルベリから叩きつけられる圧倒的な重圧に晒されながらも、決して淀むことのなかったアストラの語気が鈍ったのは、このときだった。
「言えぬようなことか」
スカルベリの詰問は、ある意味で当然だった。
この荒涼たる風景は“庭園”がその内的空間上に再現した、スカルベリの心のありさまだ。
それはすなわちスカルベリの心そのもの──というわけではないが、この風景に踏み込み干渉するということは、スカルベリの心象風景に手を加えるということでもある。
そしてそこで起こった変化は、多少であれ、スカルベリ本人の心の動きを左右する。
するであろう。
さながら殺風景な食卓に、一輪の花を飾るがごとく。
スカルベリはこう言ったのだ。
『オマエは我を操作しようとしたのか』と。
もちろん、アストラの返答は違っていた。
「わたくしは父さまのお心をどうにかしようとしていたのではありません。もし心をというのであれば、まさにその心を──失われてしまった母さまの愛を──アストラはここで捜していたのです!」
この瞬間、それまで凍てついた氷壁のようだったスカルベリの表情に、わずかにしても変化が起きた。
微かに見開かれた瞳に、怒りから来るものではない小さな光が宿るのを、アストラは見逃さなかった。
「母を、あれを……エストラルダを捜していた、と言ったのか」
小さな呟きにも心の揺れが見て取れた。
まずをもって完全記憶を持つ夜魔の真祖が、同じ質問を聞き返すことは、ほとんどあり得ないことなのだ。
アストラの母にして真祖の血を引くエストラルダは、ここ“庭園”で行方不明になった。
失われたのはその身体ではない。
心だ。
大公妃:エストラルダの肉体は依然として基底現実にある。
懇々と眠り続ける彼女が目覚めるのは、血の渇きに抗えなくなった満月の晩だけ。
心を失ったがらんどうのカラダだけが血を求めて狂い咲く。
ガイゼルロンにあって心を喪失ったエストラルダの逸話は、アストラの姉、“叛逆のいばら姫”の異名で呼ばれるシオンザフィルを産み落とす際、その新しき命と引き換えに損なわれたものだとして、宮廷にも市井にも流布されている。
人間を血族に引き入れる夜魔たちが愛ゆえに己が血肉を彼ら彼女らに差し出すように、エストラルダはスカルベリと間に生じた一粒種にその心までをも与えたのだというのだ。
だからこそ、それから四〇〇年の時が過ぎたいまもなお、真祖:スカルベリは紫水晶の棺を持ってエストラルダの肉体を保存し、いつか恢復するであろう大公妃の心を待ち続けているのだとも。
だが、それが嘘偽りであることを、アストラだけは知っている。
幼いころお気に入りの外套を頭からかぶり、その姿くらましの能力を持ってガイゼルロン宮廷のあちこちを彷徨うように探検し、イフ城の秘密に迫ることだけを心の慰めに生きてきたアストラは、ある日、父がひた隠しにしてきた秘密の“庭園”の存在に触れたのだ。
そして、言語道断な手管を駆使し、その関門を潜り抜け──見た。
この荒漠たる山嶺の片隅に、ひっそりと銀龍草のように立つ真っ白な母の姿を。
その彼女に呼びかけ、戸惑い、苦悩して──これを否定する父の背中を。
父に否定された母の見せる儚い笑みと、その足下から湧き出すように溢れ出でた異形の手たちが、手折るようにむしり取るように覆いかぶさるようにして、彼女を奪い去るさまを。
アストラは、あのとき初めて聞いたのだ。
ガイゼルロンのあの冷たく暗い宮廷にあって、何者をも寄せつけずただひとり超然と振る舞う父の、心からの慟哭を。
以来、アストラは機を見てはこの地を訪うことを習慣とした。
父の目を盗み、“庭園”にアクセスし、独りきりの探索を己に課した。
母を、なにより父の笑顔を取り戻したくて。
えーと、長らくお待たせしてしまいました、奥沢一歩でございます。
本文の方向性を試行錯誤している間に、これはもう去年もはじめの頃ですが、我が母が急逝いたしまして。
いわゆる突然死ということで自宅への管理人経由での解錠、検死から始まり、葬儀に迷宮化した部屋の探索、掃除に遺産相続のこれまた迷宮化した通帳やら資産の把握、およびその扱いの兄弟間での協議という……書いてるだけで気の滅入るような手続きを経まして、なんとかそのすべてを終えて戻って参りました。
まあ実際に本当のてんてこまいというのを経験したのは、故郷にいる実妹であったわけですが。
すでに半ば家を捨てて出てきた兄というのは、こういうときホントーに役立たずな存在ですね、というのを実体験してきた次第。
まあそれはともかく、燦然のソウルスピナ、ゆるゆると連載再開して参りますのでどうぞよろしく。
本日1月4日と明日5日は、新年特別版ということで、気の向いたところで不定期に更新して参ります。
つか、久しぶりになろうに帰ってきたら、仕様がかわってて、更新の仕方わからねーんですケドw
あと更新内容が父母子の破断の話で、ビミョーに作者にダメージあるのが我ながらアホいw
ともかく、今後ともどうぞよろしくです。
ps,なんだかヒーローSTOREさんなるサイトで、燦然のソウルスピナのアクリルキーホルダーとかブロックとかミニ色紙とか?が1月13日中みたいな期間限定で、予約受付してるんですって!
ヤダナニそれ、カックイイイ!! つかアクキーとアクリルブロックは新装版1巻表紙がベースなんで、めちゃばえると思います。もしよろしければ!
でわでわ〜〜〜。




