■第十五夜:密航者と爆破料理人
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「さて、これよりはイシュガル山脈の地下を抜ける間道──通称:巡礼者の道を使うわけだが……そこな三名、出てくるが良い」
アシュレとシオンの二名で構成される超少数精鋭部隊による夜魔の大公:スカルベリの討伐行は、侃々諤々の議論の末、戦隊の承認を受け実行に移された。
移動には竜の皇女:ウルドラグーンが、その任を買って出てくれた。
アシュレに繋げられた縛鎖を通じて提供される《スピンドルエネルギー》を全身に受け、雲竜としての権能を存分に発揮した彼女は嵐を身にまとい、超低空でガイゼルロンと人類圏の国境線、イシュガル山脈の麓へと侵入を果たした。
一気に攻め込まなかったのにはいくつか理由があるが、それは話のなかで追々明らかとなるであろう。
「本当は我も随伴したかったのだからな。我の主となったアシュレダウに良いところを見せたかったのに……」
竜の皇女はそう言って最後まで随伴を希望していた。
だが、救援と帰還時の手だてについて頼れる者がほかにいないと説明されると、渋々自分の役目に納得してくれた。
ところが、である。
事件はアシュレとシオンが、嵐と化した竜の皇女と別れ、氷河が削って出来上がった水路の奥にある秘密の岸辺に辿り着いた後で起こった。
夜魔の軍勢に察知されることなく上陸を果たしたアシュレたちが、装備と武装を整え終え進軍を始めたところでの話だ。
「出てくるが良いぞ。三つ数える間に出てこねば、隠れている石柱ごと吹き飛ばす」
突如として振り返り、半目になって告げたシオンが聖剣:ローズ・アブソリュートを起動させるにあたり、引きずり出されたという様子で石柱の影から三人の少女たちが現れたのだ。
ある者は口をヘの字に曲げ、ある者は宙を睨みつけ、ある者は苦虫を噛みつぶしたような顔で、アシュレたちの前に姿を晒した。
どう見ても計画が台無しなった不良娘たちの表情だ。
えー、とアシュレがうめきにも似た悲鳴を上げる横で、シオンがキリキリと眉根を吊り上げ、怒号を発した。
それでも辛抱強く、声は殺して。
「ばっかもーん! そなたたちは頭が弱いのか?! 死にたいのか?!」
なんのための我ら、ふたりだけの決死行だと思っているッ?!
夜魔の姫に本気で容赦なく怒鳴られ、殴りかからんばかりの勢いで詰め寄られ、三人は縮こまった。
ただどうやら全員なんらしか不満があるようで、素直に謝罪するわけでもない。
「キルシュ! エステル! そしてスノウ! よりにもよって居残りを命じられたはずの貴様ら若年組──トップスリーがなぜ此処に居るッ?!」
名前を呼ばれた密航犯たちはアシュレたち戦隊全員が、今後の成長にもっとも期待をかけていた三名であった。
キルシュとエステルのふたりは豚鬼王にしてオーバーロードでもあるゴウルドベルドとの一件、またその直後に続いた不浄王:キュアザベインと汚泥の騎士たちとの戦いを経て、その才能を日に日に花開かせていっていた。
もちろんそこには、己が主人と定めた騎士:アシュレへの思慕の《ちから》が大きく関わっていたことは事実であろう。
姉であるレーヴにノーマンを加えた毎日の厳しい戦技教練にも挫けず、バートンや巨匠:ダリエリの礼儀作法教室に美術、運動力学の座学を真面目に受け、さらにはアテルイ主催の花嫁修業講座にまで連日意欲的に参加した。
様々な技術・教養を次々と吸収していくその様は、周囲の大人たちを大いに感心させたものだ。
妹たちのあまりの真剣さに、真騎士の乙女にして精神の姉であるレーヴなどは「これはわたしも、うかうかしていられない。アテルイ殿、どうか妻としてのお手ほどきを」と跪いて申し出たほどだ。
恋のライバルとして人類の女性たちから蛇蝎のごとく嫌われ憎まれる──それほどに圧倒的な美貌と気高さを誇る成熟した真騎士の乙女をして、真剣な目でそう言わせるほどには、ふたりの努力は輝いていたのである。
それまでおもに道徳的観点と真騎士の乙女が持つ種族的適性……つまり戦乙女の契約が未熟な個体に引き起こす取り返しのつかない事態を理由に、アシュレとの過度な接触について注意を繰り返してきたレーヴだったが、すこしずつにしても態度を軟化させていた。
そして、それはまた魔導書の娘:スノウも同じであった。
理想郷の王にして絶望の大君・エクセリオスとの想像を絶する闘いを、この半夜魔の娘もまた潜り抜けていたのだ。
それはアシュレダウという男の実存を賭けた試練でもあった。
後に続く竜王:スマウガルドと、彼の者の死骸に潜り込み操っていた《御方》の意思との対決を経て、少女はその身も心も大きく自分自身を変化させていたのである。
その証拠にシオンは、スノウがアシュレに向ける女性としての想いと行いのすべてを肯定した。
咎める理由がなくなった、というのが正しいだろうか。
本当にアシュレのことを想ってのことであれば、スノウがアシュレに向ける恋慕とその行動をもはや押しとどめる理由を自分は持たない。
なぜならスノウはもうすでにそれに足る代償を、自らの生涯を賭して捧げたのだから。
それがシオンの理屈であった。
また真騎士の妹たちについても、時満ちれば同じ権利を認めることを、シオンはすでに心に決めていた。
夜魔の姫の「アシュレを独占してはならない」という言葉に嘘偽りはなかったのだ。
これを大器と呼ばずしてなんと言おう。
ただそれは、ときと場合による。
いくらなんでもこの危険過ぎる決死行に隠れてついてきたとか、苦笑いで許される話ではない。
この場に真騎士の姉:レーヴが同席していたら、きっと同じように激昂してくれるものだとシオンは信じる。
「そなたたちの犠牲を避けたいから、我ら大人が死地に身を投じているというのに!」
囁き声ではあるが本気で叱るシオンを前に、しかし少女三人組は謝るそぶりも見せなかった。
「だってついていきたかったし」
「従者ですから」
「恋する乙女としては当然だと思いますの」
なん……だと。
妹たちの口から異口同音臆面もなく放たれるあまりの屁理屈に、夜魔の姫はめまいを感じた。
いっぽう牙を剥き出して威嚇するシオンが、あまりに恐ろしかったのであろう。
極力目を合わさないようにしてはいるものの、しかし、少女たちは一致団結、全員が頑なだった。
震える手で各自が衣服の胸やらスカートやらを掴んではいるが、反省している様子では断じてない。
「でも、どうやってここまで来たんだ。まさか……ウルドが運んできてくれたあの船のなかに隠れてたのか」
アシュレとシオンのふたりは、ここまでウルドの背にまたがってやってきたわけではない。
専用の鞍なりなんなりを作れば話は別かもしれないが、颶風と化して突き進むウルドの背にしがみついての長時間飛行は、どう考えても現実的ではない。
そこで今回ふたりは宮殿に収蔵されていた小型の船を改装して貨物殻としたのである。
これは着陸地点として選定された湖から、氷河が削った渓谷を進み秘密の地底湖へと進むにあたっても、実に具合が良かった。
ので、あるが。
「もしかしてまた密航?! ボクらの事前確認が甘かったってこと?!」
アシュレの悲鳴にも似た叫びに、シオンがうんざりだ、と頷いた。
スノウの密航はこれが二度目である。
巨匠:ダリエリのそれも合わせれば、アシュレたちは三度目の密航者を経験していることになる。
「ウルド殿下のまとう嵐の激しさに、わたしも感覚を乱されていたということか。だがまさかこの決死行に密航者が出るとは……考えもしなかったぞ」
シオンのうめきに、頭を抱えて頽れるアシュレ。
夜魔の姫もがっくりと肩を落とし、聖剣:ローズ・アブソリュートを杖にやっとという感じで立っていた。
その様子に、なにを勘違いしたのか女子三名が得意げに密航の手段を開陳する。
「土蜘蛛の皆さんの協力もあったし」
「なにか隠れ蓑的な」
「生体反応をごまかすことは可能ですわ」
たしかにそんなアイテムを使ってボクらもカテル島で夜魔の騎士たちを短時間ごまかしたなあ、とアシュレが呟くに至り、シオンはどっと疲れた様子で、傍らの遺跡に身を投げ出した。
「アシュレ、ウルド殿下を呼び戻してくれ。いまなら間に合おう。こやつらを連れては行けぬ。いくらガイゼルロンへの侵入にこの秘密の間道を使うとはいえ──子連れでは正体を偽ることなど不可能、隠密作戦はこのままでは失敗確定だ!」
嘆くシオンに対し、少女たちは口々に反論を始めた。
「絶対ヤだし! 暴れてやるし!」
「力づくでも従いませんから!」
「歌いますわよ?」
要約すればここでひと騒ぎ起こしてでもふたりについていくと、真騎士の妹と魔導書の娘は言うのだ。
「そなたら……この作戦に人類と夜魔の未来がかかっているというのが理解できないのか?」
「「「わたしたちの(恋の)運命だってかかってるのを忘れないでください!」」」
呆れ果てついにシオンまでもが崩れ落ちる。
三者は口を揃えて我が恋の正義を言い立てる。
語尾も調子も不統一で、それが彼女らのチームワークの即席具合を物語ってはいたが、断固として随伴するという《意志》に関しては揺らがないらしい。
「バカだ。恋する乙女はバカになると言うが、ここまでバカとは思わなんだ」
「シオン、たぶんそれ盲目だね」
そっとアシュレが訂正すると、ぽかりと殴られた。
「痛った。そこボクを殴るところ?!」
「四百も下に歳の違う子供たち相手に、手を挙げられるわたしだと思うてか!」
「ボクなら良いのか?!」
「そなた男のコであろう。騎士であろう。我慢せよ!」
ダカカッ、ダカカッと苛立たしげに石組みの上に身を投げ出し、指を躍らせ打ち付けていたシオンが深々と溜め息をついた。
「どーしてもついていきたいと言うのか?」
「です」
「ですです」
「ですわですわ」
ふー、と怒気を堪える夜魔の姫の口から漏れた呼気は、紅蓮の炎に見えた。
「スノウ、そなたには夜魔の持つ血の共振の話はしたな?」
「えっ、はい。強力な夜魔同士は互いの存在を感知し合う、ってヤツだよね?」
「まずわたしとともにあるということは、その共振の強力な発信源とそなたらは常に行動をともにするということだ」
「えっ、それってまさか」
「そのまさかである」
「強力な夜魔が姉の居場所を突き止めて、常に襲いかかってくる……ってこと?」
「そのとおりである」
「やばいじゃん」
「そうやばいじゃん……でわなーい! 危険だ。命が。そなたらの人生が! 最初からそう言っているし、事前に何度も説明した!」
「えっ、でもそれじゃあ……この作戦はもう察知されてしまっているのでは? 失敗では?」
「いやそれはない。というよりもそれを避けるために、我らはこの道を進むのだ」
この道──自らが巡礼者の道と呼んだ地下通路を指してシオンは言った。
切り出した石を丁寧に組み合わせ舗装された道は、長い年月の流れにもその姿を風化させず残っていた。
そこだけ見れば今日の人類圏の地上でもあちこち見ることのできる統一王朝:アガンティリスの遺跡と同じだが、夜魔の姫であるシオンがこの道にこそガイゼルロン攻略の第一の方策があると言うのであれば、やはり特別な秘密が隠されているのだろう。
「なんだ対策済みなんじゃん。そんなちゃんとした侵入経路があるのにわたしたちの参加を断るなんて……姉の意地悪ぅ」
「姉の意地悪ぅ──ではないわ! そなたらそもそもの軍議をなにも聞いていなかったのかッ?!」
空中にある果物を鷲掴みにするゼスチャでシオンが三人を問い詰めた。
「えあっ。いやその聞いてたよ、ねえっ?」
「お、おふたりだけで決死行を敢行するってとこまでは、ばっちり聞いておりましたわ」
「それでこれはマズイってことになって、すぐに抜け出して準備したんだよね」
夜魔の妹から話を振られた真騎士の妹ふたり組が、顔を見合わせて言う。
「すぐに準備を、とは?!」
「ですから、おふたりに同行してお手伝いをするというあたりまえのことですわ! ご主人様の下僕として当然のこと! そのための準備ですわ!」
「従者第一の心得! 主人に命じられる前に準備は済ませておく。サイレントに、すばやく、言われる前に!」
「で、それを見たわたしも負けられないって思って! えっへん!」
どやあああ、と胸を張り肩をそびやかしてポーズを決めた三人に、シオンが後ろ向きに倒れた。
アシュレに至ってはすでに横臥し、地面に棒のようにまっすぐに転がっている。
夜魔の姫は倒れる動作を巻き戻すような動きで復帰した。
「そなたら、聞いていなかったのなら教えてやろう。どうしてわたしがこの巡礼の道を今回の侵攻ルートに選定したのかについて。なぜこの道だけが我が同胞にその動向を察知されぬ唯一の間道であるのかについて。ちなみにわたしはこれについて三度説明した。軍議において口を極めて、な」
今次作戦の成否を決める大事なプロセスであり、成功の前提条件であるからによって。
「それを……その前提条件をそなたらはまるっと全部聞き逃して、恋の密航に血道を上げたというわけである」
「血道ってけつどうって読むんだとずっと思ってた。調べたらこれ夜魔の言い回しが語源らしいんだよね、どうも」
「そうかそなた勉強熱心であるな──この大馬鹿者!」
「バカの上に大をつけるとか、ひどくない姉! わたしたちはお役に立ちたくてついてきたんだよ?! 姉だけじゃあ、アシュレさまかわいそうでしょ?! 寒くて暗い道のりを行くのに、姉はお料理できないじゃん! 毎回かまど爆発させる姉のほうがアメイジングサイズの大馬鹿だよ! こないだもアテルイさんのお料理教室でひとりだけ別メニューやってたじゃん! サラダのお野菜千切ってたでしょ?!」
「おのれ妹め、黙っておれば言いたいこといいおって!」
たしかにあの日もかまどが爆発した。
地面に転がったままアシュレは回想した。
真騎士の妹たちの間でシオンが、爆破料理人という不名誉なふたつ名で呼ばれているのも知っている。
「いやスノウ……いいんだ料理ならボクがするから」
「いーえよくありません! ご主人さまに料理させてる下僕なんかどこにもいないもの! よ、夜のご奉仕だけがご奉仕ではないもの! そうよねエステル?!」
「ですわですわ! そんなの下僕失格ですわ! 夜っ、のほうはわたくしよくわかりませんですけれども」
「あー、エステルいまひとりだけ日和見した! わからないふりしたでしょ!」
「ちがいますわちがいますわ、断じてちがいますわ! わかりませんのわかりませんのわかりませんのー!」
スノウの尻馬に乗ったキルシュとエステルが、別角度からシオンを糾弾する。
そして……いやなにか凄い速度で別方向に行った?
「いやとにかく三人とも落ち着くんだ、シオンもちょっとおちついて」
「なにがアメイジングサイズの大馬鹿者だッ! 仮にも姉に対して貴様らー、若年組と思って下手に出ておればァアアアアア!」
わたしの話を聞けええええエエエエエエ────ッ!!
叫びながら振り回されたローズアブソリュートの切っ先から、アシュレは三人の少女たちを庇ってやらなければならなかった。
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