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■第六夜:騎士の決意


         ※


『ではわたくしはこれにて。良き返答をお待ちしております。ああそうでした、この件について私見をひとつ。判断はお任せいたしますが、ときはほとんどありません。栄光あるエクストラム法王庁も、十字軍クルセイドに出征した聖堂騎士団の半分とそれを教導する十名近い聖騎士パラディンたちを欠いたままでは、早晩、氷雪吹きすさぶガイゼルロンと同じ姿に成り果てましょう。もっともその前に、鉄と炎と血の嵐が吹き荒れることになるでしょうけれど……』


 我らが人類の砦、麗しき永遠の都に群がるヒルどもの席捲を許さぬというのであれば、どうぞ一刻も早いご決断を。


『バラージェ家のこと。またお母上:ソフィアンネさまのこともございます……。すこしでも早くご安心させてあげてくださいませ』


 他人事のようにそれだけを言い残し、ジゼルは姿を消した。

 現れたときのように衆目を集めるやり方ではなく、まるで雪が水中に溶け消えるように静かに。

 気がつけば背後に控えていた絶白の騎士もまた、忽然とその姿をくらましていた。


 それからどれくらい時間が経ったのだろう。


 アシュレは泉水のかたわらに立ち尽くしていた。

 客観的には茫然自失でいた、というのが正しいだろう。


 気がつけば夕陽はとうの昔に庭園の縁を越えて遠のき、世界には夜のとばりが下り始めていた。

 空中庭園では、ある時刻をすぎると地表より空の方が明るくなる。

 太陽が地面より下方へ移動するので地面が陰となり、光は空を照らすからだ。


 満月を擬態する反射板ペーパームーンがふたつ、上空に昇ってきて柔らかな光で地表を照らしている。


 虫たちの声が耳に痛いほど響く。

 アシュレはジゼルが去った水面を注視していた。

 

 その手にはレダマリアからの嘆願の書が握られている。


「アシュレ」


 そう声をかけたのは、ほかならぬ夜魔の姫:シオンザフィルだった。 


「間違いない。あれはガイゼルロンの──わたしが捨てた祖国の騎士たちだ。あのフィティウマの紋章。高原地帯の夏にだけに咲く悪魔の爪。救うべき我が同胞にして、我が永遠の仇敵たちの旗頭だ」

「いま水鏡に映し出されたものが幻覚の類いでないことは、この姫が、マイヤティティスが保証する。あれは我らが蛇の巫女たちの得意とする遠見の水鏡。どのように遠く離れた場所であろうと、水面さえあるのならば、そこを窓に景色を映し出す異能。鏡映しだったのは、それが水面に映った鏡像であったから」


 ジゼルの異能が映し出した凄惨な情景──そして、それに対するシオンの見立てに間違いがないことを、蛇の姫:マーヤが裏付けた。

 あれはいまこのとき、実際に起きている出来事なのだ。


「では現実だと、そう言うのか。村々が屍人鬼グールで溢れ、それに抗うために生き残りと兵たちが己が故郷に火をかける。タールと煤煙と炎、人体の焼ける匂いまで感じられるようだった……。あれがいま人類圏で……ボクたちの祖国で起きている現実だ、と」

「あの光景は正確にはまだエクストラム本国ではありませんな。ガイゼルロンとイシュガル山脈を挟んで国境を接する旧イグナーシュ王国の山麓となります、距離的にも背後に映し出された地形の姿も」

「同じことだ」


 そっと訂正したバートンに、アシュレは呟いた。


「イシュガルの峰々を夜魔の騎士たちが越えたというのであれば、そこからエクストラムまでは要害と呼べるような地形はほとんどない。歴代法王に教区の統治を任された聖騎士パラディンや大司教が守る城塞都市群があるけれど、それ以外はもう旧国境線に走る城塞だけが頼みの綱だ。だがそれも、相手が人間や動きの遅い死に損ないアンデッドどもであればのこと──」


 聖遺物奪還の任を帯び、シオンを追跡するとき遭遇した国境の城塞群の姿をアシュレは思い出していた。


 ジゼルが残した言葉を信じるなら、すでにその城塞群には一〇〇〇を数える聖堂騎士団の半数と七名の聖騎士パラディンたちが配されていることになる。

 現在進行中の十字軍クルセイドには聖堂騎士団の半数が随伴したということになっているから、一〇〇〇という数字のなかには、まだまだ未熟な従士たちも含まれている計算になる。


 だが、そのなかで夜魔相手にまともな戦いを繰り広げられるのは、聖騎士パラディンを始めとした上級騎士数十名といったところだろう。


「先ほど映し出された情景を見る限り、夜魔の騎士たちは手段を選ぶ気はないらしい。手当たり次第に屍人鬼グールを生み出し、防衛線を数で圧倒するつもりなんだ。奴らは人類圏の主力が十字軍クルセイドに取られ、手薄であることをよく知っている。いかに聖騎士パラディンたちが精鋭でも数で圧倒されれば戦線は混乱状態に陥る」


 アシュレは務めて冷静に、法王庁戦力が陥るであろう状況を予測した。


「諸侯からの援軍もどれほど期待できるか。それぞれが自国の国境を固めるのに精一杯でありましょうな」


 アシュレの読みを受けてバートンが見解を述べた。

 それではダメだ、とアシュレは首を振る。


「待っていては手遅れになる。これは守ってはいけない局面なんだ。夜魔相手には攻め切るしかない。先んじて頭を潰して回るしかないんだ」


 カテル島でアシュレたちは夜魔の騎士を相手取り戦った。

 その経験から、夜魔を相手にするとき、時間を与えてはいけないことを身を持って知っている。

 手段を選ばぬと覚悟を決めた夜魔たちは民衆を襲い、これを屍人鬼グールに変えてしまうからだ。

 守るべき民衆が敵兵力に変わるなどと、悪夢以外のなにものでもない。


「参じよう」


 声を上げたのはノーマンだった。


「アシュレもすでに気がついている通り、あるいはこれは法王庁側の罠かもしれぬ。しかし民草が蹂躙される様子を目の当たりにして、馳せ参ぜぬとあっては騎士ではおられん」

「そりゃーちょーっと直線的過ぎるかもだけどもノーマンの旦那……。でもうーん、方針としてはボクちんも今回ばかりは介入したほうがいいんじゃないかな、とは思うネ。いきなり正面戦力を投じるかどうかは別にしても、だ」


 不思議なこともあるものだ。

 イズマがノーマンの意見を追認する。

 真逆の性格をしたふたりが異口同音に意見を示したわけだ。


「というか介入するしかないんだよね、選択肢的にさ。つか、なにを迷ってるのサ、アシュレくん」


 キミらしくないぜ?

 ストレートに問われて、アシュレは返答に詰まった。

 はかりごとの王と言っていい男に、そんな問われ方をするとは思わなかったのだ。


「いやその……ボクにだってこれが自分の私心からなんじゃないかって、疑う心くらいあるんだ。その……いま心の底から湧き上がる祖国とか、そこに暮らす人々を守りたいとかそういう想いは、ボクの身勝手な感傷なんじゃないかって、」

「いまの法王ってアシュレくんの幼なじみなんだよね。たしか、美人の」


 なぜだか言い分けじみて自分の心を否定しようとしていたアシュレの言葉を、最後まで聞かず土蜘蛛の王は指摘した。


「助けたいんじゃないの、そのコを。本音を言うと」

「いやそれはそうなんだけど。でもレダは──ヴェルジネス一世は就任直後、十字軍クルセイドを発動させた法王だ。ある意味で今回の事態を招いた張本人、責任者なんだよ。しかもその使者は、あのジゼルテレジアだったんだぞ。なにかあるに決まっているじゃないか。ボクは、」

「キミたち戦隊の仲間を自分の私心なんかで危険に晒したくない」


 アシュレの心を読んだかのように、イズマがペラペラと言葉にした。

 

「イズマッ!」

「キミちんさあああ、ホントに頭が悪りぃなあ。そんなのなんかあるに決まってんですよ。分かり切ってんですよ。相手は法王庁だぜ? 一千年に渡り人類の叡知の砦として、ボクちんたち魔の十一氏族と喧々囂々けんけんごうごうチャンチャンバラバラ血で血を洗う戦争と暗闘を繰り広げてきた組織だ。その頭目が──つまり法王ちゃんが──昔なじみのキミはともかく、ボクちんみたいな……というより、いま自分の国を攻めてる夜魔の姫君含有のアウトローどもに助けてくれって頭下げてきたってわけ、今回は」


 ぶんぶんと音が出るほど指を振り回して続ける。


「なんかあんに決まってんでしょ。単純に助けてくれって話じゃねーよコリャ」


 当然デショ? 

 ペラッペラの笑顔を広げるイズマに、唖然とするしかないアシュレだ。


「でもだったら、この話は蹴るべきなんじゃ……。いやそもそもなんで、イズマは助けに行こうって言ってんの?!」

「向こうに腹案があるなら危ないってか? 完全な罠だってか? でもボクちんたちが介入せずに、どうにかできる状況かよコレが?」


 円卓に広げられた地図に駒を配しながらイズマは諭すようにさえ、言う。


「キミちんがここで話を蹴ったら間違いなくエクストラムはひどいことになる。てか、イダレイア半島は壊滅か? 昔、世界が闇の十一氏族を生み出してしまったときの再現になる。人類圏のあるひとエリア丸々が、夜魔の勢力圏に堕ちる。そして、ことはそれだけでは終わらない」


 想像してごらん?


「エクストラムの法王庁が、これまで一千年に渡って人類の叡知を守り人類圏を拡大したきたってことは、だ。一千年以上の間、法王庁はあっちこっちの闇の氏族を狩ってきたってことだ。喧嘩を売りまくってきたってことだ。根絶やしにしようと執拗に、だ。その残党がこれまでの恨みを忘れると思ってんの?」

「それは」

「そのエクストラムが陥落したら、なにが起こると思う?」


 第二の暗黒時代だよ、アシュレくん。

 イズマが囁く。


「それは看過できない。なにがあっても」

「だろーとも、元聖騎士パラディン

「だからといってここでボクらが戦力投下なんかしたら、相手の──法王庁やジゼル姉たちが描くはかりごとの、」

「思うつぼ? だからそれは向こうさんは最初からそうしたいんだ・・・・・・・って話だよ、アシュレくん。そこは隠しちゃあいねえ。悩むところじゃねえんですよ」


 一瞬なにをイズマが言っているのかわからなかったアシュレだが、すぐにピンと来た。


「そうか、法王庁は最初からボクらと夜魔の騎士たちをぶつけて疲弊させることは前提なんだ。その上でもっと狙うものがある、ってイズマは言っているんだね? この程度の読みでは浅い、って」

「あたり。そのへんは向こうさんはわかっていて最初から仕掛けてるんです。キミが葛藤するのを含めてネ。その上でもっと厄介な駆け引きをしかけてきている。いまキミが言ったようにネ」

「ボクが戦隊の損耗を気にして悩むこと自体が前提条件でしかないんだ。そして、もっと引き出したいものがある」

「そーそー。たとえば決意したボクちんたちがノコノコ戦場に出向いて消耗・疲弊したとしても、それはガイゼルロンの夜魔の騎士たちが原因なんであって、法王庁としては知らんもんね、という理屈さ。どんなにボクちんたちが戦力を減じても、たとえば死人が出てもネ」


 このくらいはアシュレくんも想像できてるみたいだけれど、とイズマは続けた。


「戦争が戦隊に呼び込む厄介事は、それだけじゃない。メンバーが欠ければそれまで円滑に動いていたチーム内の勢力が変わるのは当然だし、まかり間違って勝っても、報償だとか領地・恩賞だとかその後の待遇だとかいう戦後を睨めばさらに問題は複雑になる。なにしろボクちんたちの戦隊は種族としての人間の方がすくないんだぜ?」

「なるほどな」

「それが原因でボクちんたち戦隊内の関係が悪化しても、悪いのはガイゼルロンの騎士と大公:スカルベリだ。弱ったチームは途端に仲違いしやすくなるからねえ。なにも戦列が瓦解するのは戦時中だけのことに限ったことじゃあねえ。むしろ戦争やってないときのほうが仲間割れはしやすいんだから」


 そういう筋書きだろ?

 そこまで言われてアシュレは気がついた。


「それってたとえば、ボクとシオンとの関係についても同じように言えるってことか」


 ここで夜魔の姫がどう出るのか、計られている?


「それもあるだろうね、大いに」

「もしそれを気にしてボクたちが参じなかったら」

「そりゃあ……なんかギクシャクするんじゃああないか。たとえ戦力的には温存できても、こう気持ちとか関係が。中長期的には大いに。なるほどコリャ我らが戦隊全体が存続の危機だネ」


 どこか楽しげに解説したあと、イズマはひとしきり感心して見せた。


「いやあ敵ながら悪くない策だよ、こりゃあヒドイ。悪どいわ」


 言いながら大きく伸びをして、あくびする。

 本当に心の底から相手を褒めているとはとても思えない態度。


「だいぶワルだよ、この提案考えたヤツぁ」


 たったふたりの使者と護衛、そこに手紙ひとつでこんだけの状況を作り出し、自分たちのケツをボクちんたちに拭かせようってんだから。


十字軍クルセイドに割いてしまった正面戦力の補充分を、こっちに任せようたあ面の皮がアダマンタイトとか魔銀で出来てんのかヨ、みたいなレベルだネ。たいを預けて母屋を取ろうってか。だれよ考えついたの」

「体を預けて母屋を……これが策略」

「少女法王の可憐さ・純粋さは良い武器ってわけデスな」

「じゃあレダマリアはそうとは知らずに利用されている。そう言うんだね、イズマは」


 アシュレの問いかけに、イズマは一瞬、微妙な顔をした。

 えっとそういう話の流れだったっけ、という顔。

 それから目が宙を泳いで……


「ああ、うん、そう。そうね。きっとそうね。そうとも言う」

「でも、そこまでわかって……ボクらは……。いいや、わかっているからこそ、なおのこと行かなくちゃいけないのか」

「うーん、それはちょっと違うかな。行くか行かないかは、キミちんの心に聞くしかない。ただ戦隊全体としては、すこし違う次元の話だ」


 わかるだろ?

 イズマに諭され、アシュレは素直に頷いた。

 わかってはいたのだ、最初から。


「ボクの意向がどうであれ、戦隊としては今後の方針を決定しなくてはならない。それだけは間違いなく、しかもいますぐにだ。そうイズマは言うんだね?」

「よくできました。ではそのためになにが必要だい?」


 土蜘蛛王の問いかけに、アシュレは秒黙り込んでから答えた。


「闊達な意見交換だ。歯に衣を着せぬ議論を。それも結論前提の」

「いいでしょう。ではこのまま、作戦会議に移ろうよ」

「そうだね。これはボクがひとりで悩むことじゃない。いいや悩んじゃダメなんだ」

「そうだ。ボクちんたちは全員で考え、全員で決める。そういうチームだろ? 敵さんはキミだけに悩ませたい。この事案をキミの私心の問題にしてしまいたいんだ。その手に乗っちゃあダメだよ」


 自分が名指しされたことで、自分だけが当事者なのだという思い込みが、アシュレのどこかにあった。

 思考の強張り。

 レダに頼られているのは自分なんだ、という特権意識。


 それをイズマは指摘して解きほぐしてくれた。

 これは戦隊全体の問題なんだぜ、と。


 ありがとう、と言葉ではなく握手でアシュレは示す。

 なんのなんの、とイズマは微笑んで応じた。


「ただし、その前にぃ」

「その前に?」

「隠し事は、なしっ!」


 その掛け声とともに、イズマがぱっと手を振った。

 果たして次の瞬間、その指には布が摘まれていた。


「じゃーん。さて取り出しましたるこれは、なんでしょおおお?」

「ん? なに? えっ?」

「ほっほおお、こりゃあ上等の羊皮紙だ。そしてなんだこの良い薫りーッ?! あこれ女体だ女体の薫り。アンド乙女だ、めちゃくちゃ上玉の乙女のかほりがーっ?!」


 アシュレは慌てて手を改めた。

 なかった。

 固く握りしめていたはずの羊皮紙が、どこにも。


「ちょっ、イズマ、それまさかっ?! え、ボクの手のなかからスッたの?! いまッ?! まてちょっとそれだめだドロボーッ!!」

「わーい音読しちゃおーッ! いいふらーッ!」

「いいふらー、って。ちょっとまて、言いふらすとかちょっとまて!」

「うわー、わたしの騎士さまって書いてあるうううう!」

「うわわわわ、やーめーろーッ!」


 飛びついて取り返そうとするアシュレを、イズマは肉体をくねらせ人類にはとても不可能としか思えない奇怪な動きで躱していく。

 堪りかねた誰かが吹き出したのを合図に、戦隊は爆笑の渦に包まれる。


 緊張がほぐれたのはいいが、このまま羞恥で爆発してしまうのではないか、とアシュレは思った。

 

    



ここまで燦然のソウルスピナをお読みくださり、ありがとうございます。

本作は基本的に作者の手元に原稿のストックがある限り、毎週平日に更新しております。


ですので今週末に加えまして10月10日月曜日も連載をお休みさせて頂きます。

そのぶん、今回の更新文字数大目にしてありますので、お楽しみ頂けたらさいわいです。


これからも燦然のソウルスピナをどうぞ、よろしく!



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