■第一四五夜:汚泥(ウーズ)の王かく語りき
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「なるほど、そういう事情であったか」
腕組みをしたまま、不浄王:キュアザベインは唸って見せた。
「龍穴という場所がキミたちにとっての禁忌であることは了解している。だから今回、この地下帝国のあの通路からは立ち入らない。ただボクら以前に誰かが結界を超えて通路を潜らなかったか、そこを確かめたいんだ」
「件のイズマとかいう土蜘蛛王のことだな。むう」
「キミとスマウガルドとの間に相互不可侵的な取り決めがあろうことは理解しているつもりだ。それが一方的な強制であるにせよ、キミたちが地上世界に姿を現せないのもそこに一因がある。そうだろう?」
「むうん」
それも口には出せぬ、という様子でまたも汚泥の王は唸った。
アシュレの推察通り、そのあたりのことは禁忌に抵触しているのだろう。
「たぶん、地下帝国側から龍穴への侵入者があった場合、キミたちは激しい懲罰を受けることになっていたはずだ、ほかならぬ竜王:スマウガルドから」
不浄王:キュアザベインは、やはり黙して語らない。
「恐らくなんだけど、それはキミたち自身の行動を規定しているだけではないんじゃないか? たとえば地下帝国からの別種族の侵入についても防衛するという取り決めだったんじゃないのか?」
「ぬう」
短く唸るだけの不浄王の態度に、アシュレは自説への確信を強めた。
「ならばもしイズマが、例の通路というか事故で開いてしまった裂け目から龍穴に足を踏み入れたんだとすれば、だ。その責をキミたちはスマウガルドに問われることになるんじゃないのか。もちろん姿を消したという竜王:スマウガルドが生きていたらだけれど──。そして、その責めとは苛烈で耐えがたいものなんじゃないのか? いやそうなんだな? キュアザ……キミを持ってしても」
おそらく知能や思考、感情を破壊してしまうほどのものだと、キュアザたち汚泥の騎士が被る苦痛についてアシュレは想像した。
そのアシュレの仮説は正しい。
ただひとつ見立て違いがあったとしたなら、不浄王:キュアザベインは苦痛を怖れたのではなかった。
彼が怖れたのは、自分たちが築き上げた文明を、歪だが汚泥の騎士たちが地底で生み出した独特の美を、理解することも感じることもできなくなることだった。
ここまで彼らが積み上げてきた教養や知性や感性を、スマウガルドは苦痛の冠を経由して破壊することができる。
つまり文化を、だ。
不浄王と呼ばれた男が怖れていたのはつまり自分たちの文化基盤の消失のほうだった。
ヒトならぬ不浄王の心のうちをその表情から読み解くことは、極めて難しい。
だが、頑なな沈黙と腕組みに現れる力の入り具合に、彼の苦悩が滲んでいた。
察してアシュレは続けた。
「だから、だからだ。この不始末の決着はボクらにつけさせて欲しい。これはボクたち戦隊の問題だ。あのときはまだボクとキミたちはいまのような同盟関係になかった。むしろ敵だった。でもいまは違う。そこに来てボクらの戦隊のうちのひとりが、もしかしたらだがキミたちの禁忌を破ってしまったかもしれない。であればその始末はボクら戦隊がつけなければならない。もしそれが暴虐なる竜王:スマウガルドの逆鱗に触れ、キミたちに迷惑がかかるのだとしたら──間違いなくこれはボクらが責任を持って片づけるべき案件だ」
一息に言い切ったアシュレに、汚泥の王は、むうと短く唸っただけだった。
縦に切られたまぶたを閉じ沈考する。
ふたたびその瞳が開かれたとき、彼の者の意向は定まっていた。
「龍穴への亀裂、その調査を許可する。だが、その境を超えて向こう側への立ち入りは固く禁ずる。これで──よいか?」
異形の、しかしいまや志を同じくする汚泥の王の判断に、アシュレは深く頷いた。
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結果として龍穴と通じる通路の調査は、成果を挙げた。
具体的にはイズマがその穴を通じて、龍穴へと至ってしまったことがさらに証立てられた。
彼がいつも腰に下げていたふさふさの尻尾が、通路のなかに千切れ落ちていたのだ。
汚泥の騎士たちが独自に築き上げた文化によって、通路は飾り立てられ同時に厳重に封ぜられてもいた。
その隙間をなんとか潜るようにして、アシュレたちは調査を行った。
「これ……亀裂というからただの穴かと思ったんだけど、違うんだな。次元が歪んでいるのか。向こう側に見える風景が油膜の向こうにあるみたいで、虹色に揺らめいて見える……」
「その通りですの。迂闊に近づいてはなりませんわ、アシュレさま。手を振れた途端、向こう側に引きずり込まれます。いいえ、それだけならまだいいですが。いつまでこの安定した状態を保っていられるか。これはやはりオーバーロードたちの封土……《閉鎖回廊》と同じものですわ。それがこちら側の現実に衝突して出来た次元通路ですの」
時空間の捩れ=通路の正体を目視確認したアシュレの見解を、土蜘蛛の姫巫女が補強するカタチで追認してくれた。
イズマが残したなにかの尻尾を加工したアイテムを品定めしていたエレが、やはりアシュレに教えてくれた
「この狐尾は九尾狐のそれを加工して作られた強力な呪具。一度しか使えぬが、数名をまとめて転移させることのできる大転移の異能を秘めたるものだぞ。切り札のひとつだ」
「九尾狐」
「東方に起源を持つ最強格の魔獣よ。その尾をイズマさまが所持しているのは、これと相対し調伏されたからにほかならぬ。それがこのようなところに置き去りにされてしまっているとは……」
「同じく次元捻転の発動状態にある境界に弾かれたのやもしれません。あるいは……魔獣を通さぬ竜王の結界か」
姉であるエレにエルマが見解を述べる。
なんにせよ、一刻に及ぶ捜査で得られた手がかりは、それがすべてだった。
足跡の類いが発見できればもっとハッキリと確証が得られたのだが、人類世界の密偵の起源となったとも言われる土蜘蛛の──イズマはその王だ。
汚泥の騎士たちの鋭敏な振動感知すら欺く完璧な隠身。
エレとエルマのふたりを持ってすら、その痕跡を発見することは叶わなかった。
アシュレは知り得た手がかりを不浄王:キュアザベインへと報告すると、龍穴に関するそのほかの情報を求めた。
「龍穴に関して言えば地下世界からのアプローチは、あの通路のほかに手段を持たない。わたしが龍穴について知り得ることは、そこが竜たちの聖域=保養地であるということだけだ。滅多にあることではないが竜たちも深い傷を負う。空を征くものに歪んだ愛情を向ける土蜘蛛の罠であったり、これはさらに珍しいことだが竜同士の諍いによって……」
我に言えるのはここまでだ。
いくぶんかにしても自らの不甲斐なさを恥じるような態度を見せた汚泥の王に、アシュレはかぶりを振って握手を求めた。
「充分だよ、キュアザ。いまのはなによりのヒントだった。保養地。しかし空中庭園で保養地か。竜族がどうやって傷を癒すのか。温泉でもあるのかな。だけど、そのためには火山が必要では? ほかに熱源があるのかな。うーん。そのへんをどうやって維持しているのかわからないけど、どこかにあるんだな。あの通路の向こう側に見えた風景がこの空中庭園の地下に」
「気をつけるが良い、アシュレダウ。スマウガルドがなぜ姿を消したのか我にはわからぬが、彼の者の領土、それも保養地などという極めて私的な場所に足を踏み入れるという試みは、無条件に竜の敵対者となるということでもあるのだぞ。きゃつめが我らに禁忌の契約を課したことからもそれはあきらかだろう。それに……」
「それに?」
「貴公の見た通路の向こう側が《閉鎖回廊》との境界線で仕切られていたというのが気になる。普段それは可視化できぬもののはずだが……恐らくは我のオーバーロードとしての強制力と向こうのそれとが干渉したのであろう。それで見えるようになった。であれば、」
「向こうにもオーバーロードがいるぞ、とキミは言うんだね? 強大な存在が居る、と」
しかり、とキュアザベインは頷く。
「ありがとう。警告とともに有益な忠告だ。ボクはボクの約束を果たしに行くよ」
「死ぬなよ、アシュレダウ。このような姿に成り果てたが、我の心は騎士であると任ずるところだ。この歳で出来た戦友を失いたくはない」
「キミと酒を酌み交わせないのが残念だよ」
「我らに突き込まれた苦痛の杭と冠とを取り除いてもらえるなら、それに勝る報償はないさ。貴公は美姫たちを下げ渡すような男ではないだろうし」
「どちらかというと、キミたちをヒトの姿に戻すにはどうすればいいか、の方を考えているよ。ヒトの姿に戻れたら、きっとキミたちはモテるんじゃないかな。ボクなんかよりずっと」
アシュレの発言を不浄王:キュアザベインは、単なる戯れ言とは捉えなかったらしい。
しょうがない男だ、と苦笑して、しかし健闘を祈ると送り出してくれた。
「貴公の《夢》が叶うことを祈っている」
そう言って。




