■第一三〇夜:叛逆の炎(2)
戦場に染まる世界が飛ぶように過ぎていく。
この世界でも相変わらず頼もしい相棒でいてくれる愛馬:ヴィトライオンに、シオンとともに跨がり、アシュレは疾風の速度で走り出した。
疾風迅雷が与えてくれる驚異的な走破性のおかげで、複雑な形状を持つアーケードの上での走行も、春の草原を行くがごとしだ。
ユリウスの一撃が溶解させた赤熱する天井部分を跳び越え、ヴィトライオンは疾駆する。
このまま住居橋を帝国軍の進攻と逆進して一気に王城を陥れる。
阻む者はいない。
そのはずだった。
住居橋中央を遥かに過ぎ、もうあとすこしでアーケードが切れる、そう思った矢先だった。
ぞろり、と屋根の上でなにかが動いた。
次の瞬間、煌めく刃がアシュレ目がけて殺到した。
「させんッ」
シオンが抜き打ちに守り刀:シュテルネンリヒトを振るい迎撃してくれなかったら、もしかしたらいまの交差でアシュレは死んでいたかもしれない。
「なんだ?! 工兵?! いや──土蜘蛛かッ?!」
「住居橋の上から攻めようという計画はそなただけのものではなかったらしいな」
「やるじゃないかユリウス。正面からだけではなく絡め手も使うか?」
アシュレは走り抜けながら跳びかかってきた土蜘蛛の暗殺者たちを、次々と串刺しにしていった。
幻覚を司るシオンのシュテルネンリヒトが刺客たちを幻惑させ、その刃が幻影ごと彼ら彼女らを真っ二つにした。
アシュレは知らぬことだが、この土蜘蛛の運用はユリウスの計略ではない。
裏で糸を引くこの世界のエクセリオスが息子に与えた助力だ。
防衛戦力が意識をユリウスと監獄島正面に向けている間に、彼ら彼女らを乗り込ませ、城内戦闘を有利に傾けようと画策していたのだ。
裏をかこうとしたのはアシュレだけではない。
敵も考えている。
「どうする。気取られたからには皆殺しにするか。こちらの思惑が敵側に漏れるぞ」
「いや、大事なのは速度だ。いこう、シオン!」
アシュレは足を止めて斬り結ぶをよしとしなかった。
いまこうしてアシュレたちが目的に向かって疾駆している状況は、住居橋で、監獄島で、そして海上や海中で戦ってくれている仲間たちがその命で贖って稼いでくれているものだ。
たとえ彼らが物語の側に属するものだといっても、無駄にしてよいものではない。
彼らの物語を軽んずるということは、そのキャラクターを成立させた現実の仲間たちを軽んずることだからだ。
アシュレは愛馬に鞭をくれ、一気に加速した。
そして、舞う。
怒号飛び交う刃の上を、並び立つ槍の穂先の群れを──跳び越える。
皇帝:エクセリオスの居城は城下町を見下ろす小高い丘の上にそびえ立つ。
アシュレはほとんどまっすぐに城へと続く、東西南北に配された帝都のメインストリートのひとつを愛馬に跨がり駆け上がる。
街路の設計は、その国の政治体制や他国との関係性を如実に物語る。
アシュレの知る限り、このような街路を持つ都は現在のイダレイア半島にはない。
多くの場合──丘上の王城への道は幾度も折り返すつづれ織りの坂であったり、平野に栄えた街でも広場を組み込みながら複雑に入り組んでいたり、区画ごとに少しずつ道をずらして設計されていたりと、防御に注力されている場合がほとんどだ。
街路は街区の壁で区切られ、夜間はそれぞれの街区の門が閉じられ出歩けないようになっている都市も数多い。
もちろんこれは、その都市が発展期のたびに経験することになるなし崩し的な増改築の結果でもあり、人々の営みが生み出した無秩序、カオスでもあった。
だから、このように整備された大通りがほぼまっすぐ王城へと続いている街路というのは、この時代まだ一部の天才たちの頭のなかにしかないはずの代物……つまり夢のはずだった。
実のところ、アシュレたちの暮す現実世界でも、ここから始まる動乱の時代を背景に、急速に進化していく大砲を主役とした攻城技術の発展が、城塞都市の外観だけでなく、街区のカタチまで含めて大きく変えて行くことになり、そこで王城や城塞中枢に通じるまっすぐな大通りも登場するのだが、それはもうすこし後の話だ。
ともかく、そのような最新の攻城戦を想定した先進的城塞都市でないのであれば、政治中枢へと一直線に伸びるまっすぐで大きな街路は、国内が平和で統治が安定しており、かつ諸外国の脅威を感じる必要性がない場合に限られるハズだった。
そうたとえば──無敗の王を頂く盤石の帝国──そういう大国でなければ夢想はともかく実現は難しい。
湾内に潜り込んだ敵軍が地形的妨害を受けるまでもなく、王城まで一気に攻め上がれるような都市設計は、どうしたって防御について配慮されているとは言い難い。
かつてのアガンティリス王朝期のエクストラム、あるいはその偉容をいまに伝える古都:ヘリアティウムくらいしか、このような都市設計をアシュレは知らない。
もっともこの世界における平和と安定とはエクセリオスによる圧政がもたらしたもので、他国の脅威に怯える必要がないというのは、その諸外国をエクセリオスがすでに攻め滅ぼしたからに過ぎない。
その彼に大通りを含む都市改造計画を献策したのは、ほかならぬダリエリだった。
幾度目かの周回でエクセリオスの都市計画顧問にもなっていたことのある巨匠は、胸のうちで温めてきたこのプランを覇王へと持ちかけた。
巨匠の言葉を聞き入れたエクセリオスは、王城の周囲に広がっていた混沌たる旧市街を打ち壊し、たちまちのうちにこの大事業を成し遂げた。
以来、この“繰り返す動乱の國”の首都は、王城から伸びるほぼ一直線の大通りを都市計画として採用し続ける。
そして周回を繰り返すうち、最初は湾内から王城へと伸びる一本だったものが、次第に東西南北へと増えていった。
巨匠:ダリエリの都市構想を、この世界は「常識」としたのだ。
無論それはダリエリの才を世界が認めたというより、ダリエリの案を採用したエクセリオスが、シオンとスノウの《理想のカタチ》であったというのが正しいだろう。
ダリエリ自身も「わたしが口にするのを待っていたかのように大君:エクセリオスは、わたしが長年、温め続けてきたプランに理解を示した」
まるで発案者であるはずのわたしよりはるかに詳しい口ぶりで、と付け加えた。
そしてその推論も、おそらく正しい。
この都市計画は、すでにずっと以前、いや旧世界の時代から“理想郷”上にあったものなのだ。
現実世界ではまだいずれの国も成し遂げたことのない偉業が、この“理想郷”ではあたりまえのように繰り返され、《理想の王》の手腕としてそのノウハウが蓄積されていっている。
無論それは大通りの建設予定地からの強制退去によって、住んでいた家屋を繰り返し奪われることになる数十万の無辜の民の犠牲の上に成り立つ偉業でもあることを忘れてはならないし、事実、民衆の武力蜂起をエクセリオスは己が軍勢で踏み躙り押さえつけてきた。
暴君と化したエクセリオスは己の《理想》を《魂》へ至る道と信じ、その実現を阻むものを、それがたとえ自国の国民──政治の要職に携わるものであろうともよしとしならったからだ。
緩やかな坂、平地、また緩やかな坂、という繰り返しで作られた実に走破しやすい街路をアシュレは走り抜け、王城へと迫る。
最後の坂を登り終え、王城の前にひろがる広場に顔を出した瞬間、クロスボウの一斉射撃がアシュレたちに襲いかかった。
城の前面、王城に沿って展開されたバリケード群と、その後ろに切られた空堀に身を潜めた帝国軍親衛隊の別動隊がそこには配されていたのだ。
もし、アシュレがなんの策も講じずそこに跳び出していたら、間違いなく彼とその愛馬は二〇〇挺を超えるクロスボウの斉射で命を落としていたことだろう。
だが、そうなならなかった。
正確には、飛び出した騎士は一斉射撃をたしかにその身には受けたが、それはアシュレ本人ではなかった。
坂道から顔をのぞかせた単騎の敵を親衛隊は正確に狙い、殺傷力の極めて高い大型の鏃を備えた太矢の斉射を浴びせかけた。
それは速度を優先し甲冑の類いを排してきたアシュレの肉体のそこここに突き立ち、内臓を食い破り、眼球から頭蓋に抜けて、惨たらしい死を若き騎士に与えたはずだ。
だが、仕事を果たし終えた弩部隊が目の当たりにしたのは、仕留めたはずの敵が揺らめき、かき消え、雲散霧消していく姿だった。
シオンの守り刀:シュテルネンリヒトによる幻覚。
次の瞬間、動揺した彼らの目の前に現れたのは一枚の盾であった。
その後ろに身を屈めれば、人間ひとりを隠しおおせることのできるほど大ぶりなシールド。
それが超高速で坂道を駆け上がり、空中へと跳び上がったのだ。
それでもさすが親衛隊だと思われたのは、この事態の急変に即座に対応したことだ。
前列を務めていた射手が即座に後列と入れ替わり、二射目を盾の後ろに隠れた男へ集中する。
きっとそれは届いたであろう。
飛び出してきた相手がアシュレダウでなく、掲げられたシールドが聖盾:ブランヴェルでさえなかったら。
ブランヴェルの装甲表面で渦巻く不可視の力場が、襲い来る凶刃の群れをことごとく噛み折り弾き返した。
アシュレは坂道を上りきる直前でヴィトライオンから飛び降り、聖盾:ブランヴェルを用いた滑走に移行していたのだ。
そのまま空中で竜槍:シヴニールを一閃。
親衛隊所属の弩部隊を薙ぎ払う。
街区へのダメージは最小限でなければならないが、それは親衛隊を前に攻撃を躊躇したり王城を無傷で済ましたりすることではない。
アシュレのこの攻撃で、前面に展開していた弩の射手たちは全滅。
切り出された木材で作られた剣呑なバリケードは、一瞬で消し炭に変わるか、爆風に吹き飛ばされて四散した。
空堀に配されていた残存兵力は、顔を上げ状況を確認することも許されなかった。
運良く爆風とそれに混じるバリケードの残骸、溶解しかけた甲冑や刀剣の洗礼を受けずに済んだ者たちは、なんの前触れもなく横合いから影渡りで斬り込んできたシオンによって瞬く間に切り捌かれた。
聖なる籠手:ハンズ・オブ・グローリーを持たぬこの世界のシオンは、夜魔の基本型である多刀流で戦う。
左手のシュテルネンリヒトで敵をいなしながら、右手の武器を次々と持ち替えては光刃系の異能を使い捨てで叩き込んでいく。
影の包庫で自分の持ち物を召喚する必要はない。
目の前の獲物の腰に、手に、倒れた連中のかたわらに、それらはいくらでもある。
一撃で使い捨てにするのだから、戦時の間に合わせの数打ちでもなんの問題もない。
必要な防御は《フォーカス》であるシュテルネンリヒトで行う。
純白のドレスを翻し、血刀を振るう彼女の姿はまさに生ける悪夢としか、親衛隊の面々には映らなかっただろう。
真に恐ろしいことは、その左手にはこれでもかと血を吸った刃が握られているのに、彼女のまとう美しいドレスにはその一滴すら飛び散っていないことだった。
同士打ちを恐れた城壁からの応射が始まるころには、すでにシオンはアシュレのかたわらに影渡りで帰還し終えていた。
アシュレは抵抗を続ける城門に竜槍:シヴニールで一撃を加える。
そのまま横一線薙ぎ払う。
通常の材質であれば、それが木材であれ鉄扉であれ、この攻撃に堪えることはできなかったであろう。
しかし、あらゆる物質を灰燼に帰す超高速超高熱の粒子帯は、その表面で弾き返された。
アシュレの聖盾:ブランヴェルがそうするように、不可視の力場にからめ捕られた粒子が渦を巻いて消滅するのが見えた。




