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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 4・「迷図虜囚の姫君たち」
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■第一〇四夜:ほんとうのあなたに



 パイプオルガンの鍵盤、その調律には、様々な手法がある。


 どうやら、この世界の主:エクセリオスは、すべての鍵にわずかずつ不協和音を細かく割いて分担させる平均律を好まなかったようだ。

 あるいは、この曲のために始めから特別に調律をされていたのか。


 それほどまでに、これまでの人々を導き救う高みの音楽と、今度の演奏は違った。

 温存されてきた、だからこそ容赦ない不協和音が、聴く者を打ちのめす。


 聖別された白鍵のかわりに、あらゆる不協和音を担う黒鍵が唸りを上げる。


 建築物そのものが楽器でもあり、その増幅器でもあり、そして舞台そのものでもあるパイプオルガンの咆哮は、すなわち身体を震わせる超常体験そのものだ。

 鼓膜だけではなく人体が基幹から揺さぶられ、否応なく感情が、心が震える。


 全身鳴動ボディソニック

 肉体の六割を占める水分へ直接伝達される音の効果を、人間が退けるのは不可能に近い。

 耳を塞いでも、音は全身に響く《ちから》だ。


 それはさながら、地獄の底から天空を見上げるような幻視を、その場に居たものにもたらす。

 後年、イクス教会がこぞってこの巨大な楽器を自らの教区に取り入れていくのは、音楽と空間が生み出す共振と律動が、本当に人々をトランスさせるからに他ならない。


 純音が割り振られた白鍵と、そのかわりに歪みすべて引き受けた黒鍵とが織りなす善と悪の相克の音律が吹き荒れる。


 聖典にある裁きの日を思わせて、悲痛であるがゆえに胸を掻きむしられるほどに狂おしい楽の音が、鬼気迫るエクセリオスの指先から、背中から迸り、それが運指となって伝わり、楽器そのものとなった聖女たちの歌に変換され、聴く者を圧倒した。


 そして──神の怒りに打たれたように、いや実際に神とその軍団の姿を幻視してひれ伏す民衆の目の前で、青年:アレンはもがき苦しんでいた。

 自由になった乙女:フラウが、彼に駆け寄る。


『アレン、アレン?! 貴様、エクセリオス、アレンに、わたしの兄になにをしたッ?!』


 投げかけられる罵倒を、しかしエクセリオスは一顧だにしない。

 ただ、己の世界に集中して、振り返りもしない。

 あるいはこうすることがアレンの幸せを願うことだと狂信するように。


 その間にも床を這いずり回るアレンの肉体に変化が生じていた。

 頭を抱え丸めた背が内側から割け始めていた。

 セミが羽化するように、皮鎧に包まれた肉体が変じて、純白の瑞々しい存在が内側から姿を露にする。


『アレン、アレン! 兄さん!』

『フラウ、ダメだ、見るなッ!!』


 すがりつく妹に、兄は見るなと言った。

 だが、


『隠すことはない、アレン。それがオマエ、オマエなのだ』


 父であるエクセリオスが答えた。

 舞踏のごとき激しい運指は止まず、片時も一五〇を超える鍵盤やノブの操作を止めることなく、振り向きさえせずに神父の姿をしたこの世界の極点が告げた。


 言祝ぐように、あるいは悲しむように。

 ああ、とその唇から感嘆とも惨憺さんたんとも取れる唸りが漏れた。


 があああああ、ぐううううう、とアレンが苦悶した。


『苦しいか。苦しかったか』


 息子の苦悶を背に聞きながら、エクセリオスが泣いていた。

 血の涙を流しながら。

 運指は地獄の業火に焼かれながらも、瞳は清らか過ぎる天を見上げ、演奏は止まらない。

 止まることをしらない。


『良いのだ、開放せよアレン。いまこそ《理想》のオマエにシフトするときだ。自由に、自由になれ────』

『やめろ! やめて! 兄さんを助けて!』


 もはや人間の姿とは言えないアレンにすがりついて、フラウが懇願した。


 エクセリオスは鍵盤を操作したまま、天を見上げ渇仰の祈りを捧げる。


 どうか、どうか、我が息子を導きたまへ。

 その心をあるべき場所へ届けたまへ。


 どうか、どうか──彼が真に欲した場所へ。


 なぜ祈るのか、そんなにも真摯に。

 そして祈りながら、なぜ、兄を変えてしまうのか。

 あらゆることが理解できず、フラウは泣いてしまう。


 おおおお、とアレンの口から唸りが漏れた。

 がしゅううり、と熱い呼気が続く。


 めきりめきり、みりみりみり、と鎧と衣服と皮を裂く音がする。


 現れ出でたのは、雪を戴く美しい峰々を思わせる角の群れ。

 まるで百の槍を束ねたようなその切っ先は、外気にふれるとはらりとその外皮を解いて──風になびくストールのように、あるいは軍旗のようにはためく。

 そこにはびっしりと上代のエフタル文字があり、彼の出自を物語る。


 気がつけば、アレンはすでに一匹の獣であった。

 純白の、雄々しい四肢を持つ。


 ただ、その首上には頭と呼べる部分がなく、代わりにまるで花冠を思わせてあの美しい角とはためく軍旗がごとき物語の群れがあった。 

 そこに記されているのは古代の英雄譚、そして神話や哲学だ。


『そうか、そうだったか、アレン。オマエはそういう望みを抱いていたか』


 息子の変形へんぎょうに魔人が泣いていた。

 世界を変えるという《意志》を持ち、たったふたりでその喉元まで迫った自らの息子が、胸の内にどんなに瑞々しくささやかな夢を持っていたか、そのカタチを目の当たりにして。


 そして、それを見た妹も泣いていた。


 兄がここに来るまで、どれほどのものを犠牲にしてきたのかを知って。

 彼は、アレンは、本当は闘争など望まぬ心優しい若者であった。

 古代を愛し、歴史を学ぶことに一生を捧げたいと、ずっと思ってきたのだと。


『さあ……アレンは見せた。見せてくれたぞ、フラウ。残念ながら、わたしを超えていくことは適わなかったが、本当の自分に至れた。それでいい、それでよいのだ。超えてゆくことはない」


 泣きながら、振り返らずにエクセリオスが言った。

 さあ、と促す

 震えるフラウの手のなかにはまだ、あの空と海の卵があった。


『さあ、見せてやれ、フラウ。見ることを許してやれ。本当のオマエを、兄に。アレンに』


 ガチガチガチガチ、とフラウの奥歯が鳴る。

 そのかたわらに、かつてアレンだったモノが立つ。


 こつり、と蹄が床に鳴った。


 どこが目で、どこに唇があるのかさえわからぬ姿。

 その頭部は、まるで南の海の珊瑚のようだ。


 だが、フラウには否応なくわかってしまうのだ。

 これは兄だ。

 どんなに変わっても間違えるはずがない。


 古代遺跡を探検するのが大好きで、いつもその後ろについていったフラウの手を、握っていてくれた。

 ふたりで昔々の壺やタイルの破片を宝物のように集めた。

 最初はあんまり興味がなかったフラウも、兄と一緒にそんな宝物を集めるうちに古代史が大好きになった。


 優しくて、いつもフラウを庇ってくれた。

 ちょっと失敗したお料理も、苦笑しながら全部平らげ、褒めてくれた。

 嵐の晩、恐くて眠れずにいると黙って背中から包んでくれた。


 母さんの敵を討とうって言い出したときも、黙ってわたしを支えてくれた。

 世界を変えたいって言うわたしと、なにも言わずに一緒に来てくれた。


 ここに至るまでの道のり、その苦難をふたりで乗り切った。

 世界に否定されながらそれでも戦えたのは、このヒトとだったからだ。


 そのヒトがいまかたわらに立って、本当の姿を見せてくれている。

 本当の望み。

 自由に生きたかった自分を。


 ああ、あなたは、ホントはこんなふうに生きたかったんだね。


 こんなの間違えるなんて不可能だよ。

 わかるもの。

 わかっちゃうもの。


 フラウは泣いてしまう。

 だってわたしが──ずっとずっと密かに許されない恋をしてきた男性ヒトだもの。


 それがわかってしまって恐かったのだ。

 いまでも兄との関係を望んでしまう自分の本心が。




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