■第七十二夜:目覚めの天幕で
目覚めたとき、世界は薄暮に染まっていた。
ヤママユガの繭のごとき天幕のなかにアシュレはいる。
不思議な燐光が視界の隅を漂っては飛んで行く。
全身を、これまで体験したこともないような柔らかさと温かさが包んでいる。
肉体のあちこちにある小さな痛み、引き攣れ。
もうほとんど癒えてしまったが、それは戦いと真皮にまで達した酷い火傷の残滓。
「喉が……渇いたな」
思わずそうつぶやくと、かたわらでだれかが身じろぎした。
立ち昇る清潔なハーブの薫り。
カラダを起こす気配。
見惚れてしまうような素肌の背中が、視界に飛び込んでくる。
薄明かりのせいで、それはひどく神秘的に見えた。
小柄な、女性の、背筋。
すべやかで染みひとつない──キレイに剥けた──ゆで卵のような肌。
見覚えがある、とアシュレは思った。
ああ、これはレーヴの背中だ。
だとしたらいまアシュレの腕のなかにもうひとつ感じるぬくもりは、きっとアスカのものだろう。
突発的にふたりへの愛しさが湧いた。
胸が苦しい。
アシュレは、その背中に手を延ばして、指で触れたくなった。
無言で、静かに。
今回もなんとか生き延びた。
その実感が欲しかった。
欲求に従う。
「ひゃうっ?!」
可愛らしい悲鳴が上がった。
だが、その小さな叫びは、アシュレの予想とは違う声質だった。
もっと高くて、どこかにまだ幼さが残る反応。
「えっ?」
「騎士さま……いきなり触れられたらビックリします……わ。びりって電流が走るみたいに感じるんですから、騎士さまの御手は」
さらさらと銀糸を思わせる青みがかった頭髪が音を立てて流れ、少女が振り返った。
息を呑むような美貌が明らかになる。
ぎくり、とアシュレは不整脈を感じた。
なぜって、それはアシュレが考えたのとはまったく違う人物だったからだ。
「エ、エステルッ?! エステリンゼ?! ななななんで、なんでここに?! ししし、しかも、キミその格好?!」
アシュレは思わず指摘した。
弾かれたようにエステルが反応する。
「こ、これはッ! い、衣類はいますべて検疫消毒中なんですから! 裸身なのは、ししし、しかたないことですの。というか騎士さま、そんなにあけすけに指摘されたら意識しちゃいます! まじまじと見られたら、は、はずかしいですわッ!! や、見ないで!」
慌てて胸乳を隠して身体を丸めるエステルだったが、本当に動転したのはアシュレの方だ。
不浄王:キュアザベインとの一騎打ちに辛くも勝利を収め、アシュレは彼との間に契約を結んだというか、一時的な同盟関係を締結した。
そのあと汚泥の騎士たち謹製の膏薬を塗られたあとで──いつも通り気絶したわけだが……。
「あの軟膏、凄い効果でみるみる火傷が治って……よかったですわね。最初は毒ではないのかと疑いましたが、たとえ地下世界に暮す汚泥とはいえ騎士の王。嘘いつわりなく王の器。その秘薬の効果も特級でしたのね。安心しました」
「いやいや、まってくれ。傷が治ったのはいいけれど、問題は気を失ったあとだ。あのあとどうなったんだ? ボクはどうしてここにいる?! しかもキミと……じゃあこっちのすっぽんぽんは……まさか……キルシュ……なのかッ?!」
なんてこった、とアシュレは天を仰いだ。
両手で顔を覆う。
なんだこの展開は……。
そう、うめく。
「えっと、寝起きでそんなにぽんぽんと言われましても……えええ、それはですわね……」
困っているアシュレを見かねて、気絶していた間の出来事を、寝起きの頭でエステルが要約してくれた。
重傷を負い意識不明になったアシュレは、不浄王:キュアザベインの手当てを受けた後、アテルイが指揮するベースキャンプに移送された。
そのあたりは愛馬:ヴィトライオンが文字通り万事うまく運んでくれたらしい。
だが、地下下水道に長時間身を浸していたアシュレとエステル、キルシュの三人は隔離されることとなった。
戦隊の健康を守るため、地下世界から持ち帰った得体の知れぬ病魔の萌芽とその汚染拡大を防ぐためだ。
それがこの小さなテント。
食料などは差し入れられるものの、だれかと直接会うことは許されず、こうしてすでに数日暮している。
話しながらエステルがカラフェに入れられたお茶を、素焼きの椀に注いでくれた。
素焼きの椀は使い捨てで、衛生面に気が配られたものだ。
「こちらの薬湯は土蜘蛛の巫女さまたちからのものです。素焼きの器も。使い回しは危険だから、と」
「ありがたい」
喉が渇いていたアシュレはこれを一息に飲み干し、返す刀でおかわりを要求した。
飲み込んだ薬湯のスゴイ味にアシュレが気がついたのは、その直後だ。
それからニオイ。
あっ、とエステルが止める間もなかった。
ぐうっ?! と生理的反応で喉が鳴った。
「ぐえええ、なんだ、この味わ……ッ?!」
「さすが騎士さま、と思ったんですが……やっぱり無理でしたわね」
エステルがおかしさを堪えるように苦笑いした。
アシュレは文字通り苦虫を噛み潰したような顔をした。
「これなにでできてるの……全然知らない味だよ……未知なる不味さだ」
「病魔を払い、肉体を内側から浄化する土蜘蛛の秘薬らしいですわ。地下世界に暮すゆえ太陽の光が与えてくれる浄化の恩恵に預かることが難しい彼らは、こういうお薬でその部分を補うのだとか」
「効果はともかくスゴイ味だよ……あとニオイがひどい。コイツはあとを引く」
「原材料もお知りにはならないほうが、よいかと」
「土蜘蛛謹製ってことはスゴイ内容なんだろうなあ」
愚痴りつつ、今度はちびちびと薬湯に口をつけながら、アシュレは顔をしかめた。
「キミたちは平気なの?」
「お茶が? 身体の調子が?」
「どちらも」
「身体の調子はおかげさまで、なんともありません……騎士さまのものにされてしまった部分以外は」
さらりと乗せられた凄まじい言葉の重みに、アシュレは薬湯を噴いた。
毒霧吹き殺法(?)スキルの授業があったら満点が取れたろう。
「えっとエステル、それはつまり大丈夫ではないという意味です?」
「は、はい。あのそのはい……まったくダメ、というか。手遅れというか完全におかしくなっているというか……ごめんなさい。その──ごめんなさい──ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
真っ赤になって縮こまってしまったエステルを、どうしてあげたらいいのかわからない。
せめてシーツなりと掛けてあげたかったが、それはいまアシュレの裸身を隠している一枚きりだ。
たぶんいまそれを実行したら、状況はさらに悪化する。
んんっ、と咳払いして冷静さを取り戻そうとしたが、もうそれ自体が上ずってしまっていた。
えっとそれは、アシュレは視線を宙に彷徨わせつつ、おそるおそる訊く。
「どういう種類のダメさなんだろうか、それわ?」
「騎士さまに捨てられたら、死んじゃうしかないくらいダメです。これ以上言葉にしたら、恥ずかしくて死にます」
「えっと」
「歯止めが効かない感じでどんどんひどくなってるんです。……どうなっちゃうんだろう、わたし、わたしたち……」
騎士さま、どうか捨てないで。
エステルはついに泣き出してしまった。
おまたせしました(かな?)
ゆるゆると再開してまいります。
第七話:Episode 4・「迷図虜囚の姫君たち」、どうぞお楽しみくださいまし。




