■第六〇夜:天を睨む者たち
「端的に言えば、彼らは女性を殺すことはない。害することはあっても。ただそれも、苦痛を与えたいという意味ではない。むしろ、逆だ──」
意外過ぎる答えに、キルシュは目を剥いた。
「むしろ、逆? 苦痛を与えたいわけじゃない?! えっええっ?! どういう、どういう話をいまされているんです?」
「不浄王:キュアザベインと汚泥の騎士たちの思惑、狙いについてだよ。依然変わりなく、ね」
声色は穏やかだったが、それは断言だった。
キルシュは言葉を失って目を白黒させるしかない。
問い直せたのはたっぷり十秒も経ったあとだった。
「でもそれって、どういう……どういうことなんです?!」
うん、とアシュレはまた頷いた。
船底である聖盾:ブランヴェルが小さな波を乗り越えた。
その振動が伝わってくる。
「彼らは常にふたつのものを欲している。ひとつは伴侶としての女性。もうひとつは……食料を生産してくれる家畜としての人類。そのふたつの条件を同時に満たそうとすると、結果としてあのような略奪・強奪行為に帰結する」
「伴侶?! それなのに家畜?! どういうこと、なんです?!」
ぜんぜんわからないという表情のキルシュに、アシュレは辛抱強く続けた。
なるべく直接的ではない配慮された表現で伝えたいのだが、うまい言い回しが思いつかない。
そうだなあ、と唸ってから続けた。
「アテルイが調べ出してくれた不浄王:キュアザベインの伝承には、こんな一節があった」
アシュレはその部分をそらんじて見せる。
『おお、偉大なりしアルスマグナス、苦痛の冠を彼の蛮族王に与えん。彼の者は闇の地・不浄の國をその版図とし、その浄化を使命と定めるものなり。これより先、冠と定められし約定により、不浄の王、陽の下を歩むこと、また正しき食物を口にすることあたわじ──』
「最初にこの文章を読んだのは、じつはアテルイが調べをつけてくれるよりもずっと以前、ボクがまだ聖騎士の見習いをしていたころの話だ。そのときはよくある征服記・軍紀としてしか捉えていなかった。辺境を征服し従えたアガンティリスの偉大なる王が、最後まで抵抗をやめなかった不屈の蛮族王をいかにして配下にしたか、どう遇したかの神話的表現なんだと思っていた」
だけどそうじゃなかった。
それだけではなかったんだ、とアシュレは深呼吸した。
「世界の秘密に迫る旅を経たいま、ボクの考えは違う。彼ら、不浄王:キュアザベインと汚泥の騎士たちは、アガンティリス王の振るった《ちから》と苦痛の冠なる《フォーカス》によって地下世界──不浄の國つまりこの地下下水道を住み処にするよう強要された」
「強要された?!」
なんのために? キルシュは間髪入れずに訊いた。
アシュレは即答する。
「決まっている。この地下世界、つまりアガンティリスの下水道を浄化するために、さ」
こんどはキルシュが息を呑む番だった。
「うそ……まさか、そんな、そんなのって──どうやってそんなことが、どうやったら浄化なんかできるっていう……です?」
キルシュの問いかけに、アシュレは答えなかった。
ただ、一瞬、目配せし頷いただけ。
それで充分だった。
どうしたら不浄を浄化できるのか。
それは地上世界のそれがどうやって土に戻るのか、という問いかけと同じだ。
ただそれを分担するのが、この地下世界では元人類だった汚泥の騎士と不浄王だというだけのことなのだ。
「時はうつろい、その下水道を含むある一帯は空中庭園:イスラ・ヒューペリアとして天に上げられた。いつからそこが竜王:スマウガルドの所領になったのかはわからないけれど、いまの話を総合すると、スマウガルドは元アガンティリスの王のひとりであった可能性さえ浮上してくる」
まあそれこそボクの勝手な憶測、推測に過ぎないんだけれどね。
呟いて、アシュレは続けた。
「不浄王:キュアザベインたちは、この地下下水道が空中庭園に所属することになった後も、この不浄なる地下世界の浄化を強いられ続けてきた。空中庭園:イスラ・ヒューペリアの最盛期、かなりの人口がこの地にあったことは間違いない。来る日も来る日もそれらを浄化し続けることがどういうことか……想像に難くはない。そして、そうやって繰り返し強い《ねがい》を練りつけられた肉体はいつしか、そのカタチを留める《ちから》さえも失い、渾沌の落とし子と等しくなった」
だが、その後が、不浄王:キュアザベインという男のある意味での偉大さだった。
これもまた、たぶん、なんだけれど。
そう注釈しながらも、アシュレはこれが真実なのだとなかば確信して、言う。
「不浄王:キュアザベインという男は人間としてのカタチや誇りまでもを完全に捨て去ることをよしとしなかった。強いられた苦境にただ膝を屈するをよしとしなかった。だから彼らは宝物や武具をその骨にして、騎士として立ったんだ」
「じゃあ、もしかして、わたしが打ち込まれた指標って」
「あるいは。あるいは汚泥への変成の儀式の一手順であったかもしれない。あとはその……家畜化への手続きみたいな。彼ら自身が受けた、屈辱の再現であるのかも」
ぶるりっ、とアシュレの下でキルシュが身を震わせた。
嗚咽じみて言う。
「でもそれじゃ、エステルはいま……ああ、それなのにわたしを優先して……。待ってて、エステル。必ず、かならず助けるから」
「ああ、それだ。その意気だ。一刻も早くあの祭壇に戻る手立てを探そう」
相変わらず自らより、エステルの身を案じるキルシュの精神性に、アシュレは救われている自分を見出した。
「絶対に助ける」
固く誓うと、キルシュも深く頷き、いっそう注意深く脱出口の在処を探しはじめた。




