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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 3・「不浄の帝国」
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■第五〇夜:暗闇での沐浴



「いてて。だいじょうぶかい、キルシュ……ひどい目にあったね」


 ほとんど真っ暗闇のなかで、アシュレは真騎士の少女:キルシュを労った。

 ここは地の底の水際。

 地下を流れる河。

 暗渠あんきょ


 古い神話に描かれた冥府を流れる河、忘却の岸辺:スティクスのようだとアシュレは思う。


「騎士さま……怖かった」


 脅えた小猫のようにキルシュが身を寄せてきた。

 その肉体は得体の知れない粘液に塗れている。

 汚泥ウーズの騎士たちの肉体から分泌された、それだ。


「奴ら、外道め。子供に手を出すなん……いやごめん。たしかに君たちは、まだ未成年だけど魅力的だっていうのは認める。ほんとに姫君そのものだもんな」


 口走りかけた言葉をアシュレは訂正した。

 子供、は年頃を迎えつつある女のコ相手には禁句中の禁句だ。

 そして、それは種族の別を問わない。


「無事かい?」


 びくり、と腕のなかでキルシュが身を固くした。


「あの……身体を……どうしても身体、洗いたいです」

「そうか──そうだよね。でも、たしかに、ここは水際みたいだけど暗過ぎてなにも見えないんじゃないか? 水質もわからないし……火をかないといけないな」

「ッ! や、明かりはダメ! み、みえちゃうからっ」

 

 ひどく狼狽した声で、キルシュは言った。

 それはそうだろう。

 この地の底に落とされる前の段階で、キルシュもエステルもほとんど衣服を失った状態だったのだ。

 アシュレの腕に飛び込んでくる際、濡れそぼった肌着は脱げ落ちていた。


 つまり、だ。

 ……いやしかし、明かりがないのは如何にもまずい。


「明かりを灯さずにって……。ここは下水道のさらにその下層エリアだ。どれだけ落ちたのかわからない。いま側にあるのも水も安全かどうか確かめないといけないし。どんな脅威が潜んでいるかわからない」


 キルシュ、とアシュレは諭すように名を呼んだ。


「でも、でもっ。お願い、お願いです、身体を清めさせて──ください」


 泣き声で言われると、アシュレとしては承諾するほかない。

 理屈ではない。

 キルシュの気持ちは痛いほどわかった。

 おぞましい記憶とともにその身に残る痕跡を消したいというのは切実な願いである。


「ちょっとまって、水際まではボクも行く。水質を確かめよう」


 キルシュがいまから全身を浸す水だ。

 万が一のことがあったら悔やんでも悔やみ切れない。


 アシュレはキルシュを連れ、微かに寄せては返す水際に辿り着いた。

 しゃがみ込んで、竜皮の籠手:ガラング・ダーラをはめたまま水を手に取ってみる。


 不思議と不快な臭いはしなかった。

 妙な粘性もない。

 水質は澄んでいる。


 すくなくとも見た目の上では、清浄だ。


 アシュレはポケットを探ると、残っていたドライフルーツをひとつ、ナッツをひとつ、水に落としてみた。


 酸やアルカリなど素肌に触れるだけで危険な状態なら、この時点でなにか反応があるはずだ。

 しかし、なにもない。

 泡ひとつ上がってこない。


 竜皮に覆われた右手でもう一度、水をすくう。

 そこにゆっくりと慎重に左手の小指をつけてみる。

 ひやりとした感触。

 それだけだ。


 意を決して口に含んだ。

 軽くゆすいで、すぐに吐き出す。

 口中に残る感覚や味、匂い……どこにも危険は感じない。


 あとは危険な吸血性生物などの存在だ。

 ハダリの野や暗黒大陸の湿地帯にはヒトを襲うナマズや魚が潜むというが、山野にいる山ビルや吸血性昆虫程度であっても、時には無視できない危機となる。


「たぶん……大丈夫だと思う。飲み水にするのは煮沸してからじゃないとダメだけど……水浴びをするだけなら、きっと問題ないよ。でもさっとだ。長くはいけない。なにが潜んでいるかわからないんだ」


 ホッ、という溜め息がすぐそばで聞こえた。


「キルシュ、足下がどんなになっているかわからない。お尻を水底につけるカタチで、ソロソロと探りながら水には入るんだ。そうだ、ボクのポーチに紐が入っているから、キミの手を結んでもおこう」

「は、はい、そうします。あの……騎士さま……絶対に見ないで……いえ、見えませんよね。こんな暗闇じゃ」


 なにわたし意識過剰になってるんだろう、とキルシュがつぶやくのが聞こえた。

 いや、その指摘は正しいんだけどね、とアシュレは声もなく苦笑する。


 実はアシュレにはこの地下空間のすべてが見えていた。


 漆黒の闇のなかでも、夕暮れ時のなかにいるようにいまのアシュレには捉えられる。

 そのなかでキルシュの裸身は燐光に包まれるようにハッキリと見えていた。


 夜魔の種族的特徴。

 生命活動を感知する能力だ。


 シオンのような上位種なら、集中して目を凝らせば、水底に潜む生命すべてを見通すことさえもできるかもしれない。


 もちろんアシュレは、キルシュの裸身をなるべく視界に収めないようには最大限の努力をした。

 それはマナー以前の気づかいというものだ。


 かといって安全保障の観点から完全に意識を逸らすわけにもいけないのが、悩ましいところだったが。






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