■第三〇夜:玩弄と契約
「な、なんだコレ。どうなっているんだ、この《フォーカス》の内部構成は……こんなものが匣いっぱいに詰まっているのか?!」
慌ててアシュレは操作大系をまさぐった。
マーヤに対するそれは別だが、触手たちの攻撃は目に見えて弱くなった。
赤竜:スマウガルドの護りを捩じ伏せ突破したアシュレを、この刑具は渋々ながら仮の主人と認めたようだ。
だがそれは、あくまでも仮のものでしかなかった。
この恥ずべき《フォーカス》がアシュレを真の主と認めていないことは、操作大系のどこをどれだけを探っても、停止方法もマーヤを解放するための命令も見つからないことからも明らかだった。
この黒い刑具は、新しい主人に激しい不満と理不尽な怒りを抱いていたのである。
一方で囚われたままのマーヤの唇からは、責め苦への許しを乞う声と、死を望む哀願だけが矢継ぎ早に紡がれる。
誇り高き蛇の巫女として生まれたマーヤにとって、あられもない痴態をヒトであるアシュレに晒すことは許されざる屈辱なのだ。
「くそっ。コイツ──止められない。ただ、拷問の種類を変えられるだけなのか」
アシュレが見つけることができたのは、かろうじてマーヤの瞳を塞ぐ目隠しを取り除く命令だけだった。
とにかくすこしでもマーヤが自由になれるよう、それだけをこの破廉恥な《フォーカス》に命じ、アシュレは蛇の巫女の元へ駆け戻った。
「マーヤ。すまない、この《フォーカス》は止められない。停止と解除の方法があるはずなのに、まるで施錠されているように、そこに辿り着けないんだ」
「見ないで、ああ、貴公おねがいだ。見ないで。マーヤを……たのむ、殺してくれ。こんなこんな恥辱……ああ」
どのような種類の屈辱を受けているのだろう。
アシュレの肩に、痙攣し、ときおり本人の意思とは関係なく跳ねては反る肉体をぐったりと預けて、マーヤは三度目の懇願をした。
「どこかに、鍵があるはずなんだ。それが抜き取られていて……完全には操作できない」
「おのれ……スマウガルド……そこまでして姫を辱め抜きたいか」
苦しげなマーヤの顔から眼窩を覆う眼帯を、アシュレは優しく外してやった。
それが今回の操作でアシュレが勝ち取れた唯一の自由だ。
秘されていた布地の暗がりの奥から、濡れていまにも壊れそうに揺れる漆黒の瞳が現れた。
虹彩の部分が針のように細い金色をしている。
はじめてアシュレの姿を認めたその瞳が見開かれ、マーヤの小さな唇がわなないた。
「貴公……なんという、美男。こんな……美男子の前で……姫は、姫は────」
声にならぬ悲鳴に身を反らし捩らせ、マーヤが泣いた。
アシュレは蛇の巫女の裸身をグッと抱きしめてやる。
「殺し、ころして、ころして、ころして……」
「ダメだ、マーヤ。たのむ、そんなことを言わないでくれ。きみの助力がどうしてもいるんだ」
「だって、こんな屈辱……ダメだ。見られた、貴公に、こんな美男子に……姫の恥ずかしいところを全部知られた……」
「責任を取れと言うなら取る。だから、殺してくれなんて言わないでくれ! お願いだ」
アシュレの懇願に、それまで嗚咽に舌をもつれさせていた蛇の巫女は息を呑んだ。
「そこまで……。なぜだ。貴公、なぜそこまで言ってくれるのか」
「最初からそう言っている。きみを害することはできない。きみを自由にしたい。そして、きみの《ちから》を貸して欲しい。きみが──必要なんだ!」
アシュレの言葉に、マーヤは黒い瞳をひときわ大きく見開いた。
その眼窩の奥で、針のように細かった虹彩が炎のように輝くのをアシュレは見た。
「姫が必要……こんな姫が欲しい、と貴公は言うのか」
「そうだ」
非常事態に混乱した頭で、しかしアシュレは断言した。
大意としてはまったく間違ってはいないが、女性相手にそれがどんな意味合いを持つのか深く考えられないままに、即答してしまった。
「ヒトの子と……そんな、そんなの……許されないことだぞ。それに姫はとっくのむかしに汚されてしまっている……あの竜めに。そんな姫を、貴公は」
「そんなこと言っている場合じゃない! このままじゃ、きみが」
またよくわからないままに、アシュレは手順の階段を三段抜きするくらいの勢いで詰めた。
マーヤを助けたい一心で、自分がなにをしでかしているのか考えが及んでいないなかった。
困ったのは異種族の、それも一般的な人類が仇敵と見做す蛇の巫女とヒトの騎士との間に、こんなふうにして愛が成立して良いのかという──倫理観についての問いかけをブッ千切られたカタチになったマーヤのほうだった。
ほとんど意中の男に告白を受けてしまった姫君の顔になって、マーヤが訊いた。
渾身の勇気を振り絞るようにして、声を絞り出す。
「き、貴公は。そのあの……ひ、姫のことをどう思うのか? 人の子の目には異形と映るのではないのか……鱗とかヒレとか醜いと感じるのであろう、人間はこういうのを」
「気高くて美しい。鱗もヒレも可憐だ。その瞳も声も。早くきみを自由にしてあげたい」
「そん……な」
かああああああっ、とマーヤの顔が真っ赤になるのをアシュレは見た。
それから蛇の巫女は観念したように頭をアシュレの首筋に預けて、囁いた。
消え入りそうなほど小さな声で。
「あい……」
「なに?」
「あいわかった。き、貴公の良いようにせよ」
今度はアシュレが目を見開く番だった。
信頼が伝わった、とそう思った。
間違ってはいないが……相当な勘違いがそこにはあった。
だがしかし、互いの抱いた齟齬などとは関係なく、現実は無慈悲に進行する。
「だけど、実際にはどうしたらいい。このままじゃ、きみは辱められ苦しむばかりだ」
「だからそれは貴公のよいように……して……くれと言った」
「え?」
「鍵がないのならばそれを探し当て、姫を自由にしてくれるまでの間は、その……操作はできるのであろ? 貴公の……貴公の責任で。その手で……ああっ……こんな……こんなこと……どうして姫から言えるわけがあると思うのかッ!」
涙で言葉を詰まらせ、マーヤが己の白い首筋をアシュレの頬に押し当ててくる。
その仕草で、さすがのアシュレもすべてを悟った。
つまるところ、赤竜:スマウガルドとそれが残した邪悪な刑具の思念によってではなく、アシュレダウという男の責任で、これ以降はすべてを管理してくれと蛇の巫女は言っているのだ。
それはいずれにせよ辱めを受けなければならないのであれば、アシュレによるものを受け入れるという宣言だ。
アシュレはあまりの倒錯に、めまいを覚えた。
あれこれと言い訳や躊躇の言葉が脳裏を駆け巡ったが、それでは蛇の巫女に取り返しのつかない恥をかかせることになる。
マーヤからの信頼と覚悟を感じ、胸のなかに熱いものが込み上げてくるのを感じた。
同時に、ひどい罪悪感と、そして責任感が。
「わかった、マーヤ。これからきみのすべては、ボクが管理する。だからこれから先、なにがあっても、それはすべてボクの責任だということだ。この瞬間以降、きみが受けた辱めと苦しみについては、どうかボクを責めて欲しい。それがきみのことを欲しいと乞い願う、ボクにできる精一杯のことだ」
アシュレの宣誓は、騎士として、そして彼個人として請け負える責任を全うするという意味だった。
が、蛇の巫女にはそれとは別の特別な誓いとして響いた。
マーヤの返答に込められた恥じらいが、そのすべてを言い表していた。
「は、はい。その、姫は、姫はッ──あのその、ふ、ふつつかものですが、どうか末長く……よろしくお願いする」
伏せられた瞳の下で、蛇の巫女の頬は桜色に染まっていた。
アシュレとしても、この時点でなにかおかしいとは感じてはいたのだ。
だが、相手は蛇の巫女だった。
人間とは倫理観・道徳観を別とする異種族である。
そして、いまこのとき、互いに緊急を要する状況であった。
だから、もう一度、強くマーヤを抱擁した。
必ず誓いを果たす、という意味で。
騎士からの抱擁に、蛇の巫女は熱い吐息で応えた。
当然だが──このときふたりは完全に間違えていた。




