■第二十五夜:待ち伏せ
手鏡に宿るムカデの導きは明快だった。
空間に残る獣毛の焦げた匂いが、アシュレの追跡が的確であることを示してくれていた。
マンティコラが地上に残す痕跡は、ヤツラが移動経路に樹上をも利用するため僅かだったが──立ちこめる獣臭までは消せはしない。
追跡を続けると、しだいしだいに残された足跡から苛立ちが感じられるようになった。
おそらくは長きに渡りこの上水道施設の覇者として君臨し続けてきた魔獣は、己が追われ狩り立てられていることに強い苛立ちと憤懣を覚えているのだ。
そして、狩人があらゆる欺瞞工作、撹乱工作にも引っかからずまっすぐに自分を目指してきていることに、強い戸惑いを感じてもいる。
ほどなくアシュレは、手鏡の指し示す終着地点に辿り着いた。
それは水晶でこしらえられた寺院のごとき施設。
その入口に、アシュレは虹色田鼈が潰され、羽根を砕かれて落ちているのを見つけた。
人類圏では考えられないサイズにまで成長した水生昆虫を一撃の下に破砕するとなれば、それなりの力が必要だ。
その痕跡からは苛立ちと焦燥から、痕跡を隠すことを失念してた様子が見て取れる。
そして、あの獣臭を嗅いだ。
「いる。この内側に……ヤツが。間違いない」
アシュレは油断なく槍を構え、盾を掲げて寺院へと足を踏み入れた。
寺院には濃厚な魔の気配があった。
幾度も死地を潜り抜け、魔の氏族との戦いを経てきたアシュレには、それが物理的圧力としてハッキリと感じられた。
だが、これは……ほんとうにマンティコラから発される気配だけだろうか。
聖堂騎士時代に相対したマンティコラ──ジェリダルの魔物はたしかに獰悪極まる怪物だった。
けれども、その後、聖騎士として強大極まりないオーバーロードや魔の氏族たちとの戦いを経たいま、魔獣たちが放つ魔の気配が、その他の脅威と比べて重大かと問われたら……たぶんアシュレはそれほどではないと断言するだろう。
魔獣たちの気配とは、言い換えれば粗暴でありながら狡賢く……女子供を性的搾取の対象としか見做せない歪に拗くれた父性の匂いであり、そこにはオーバーロードたちの放つ突き抜けた理想の犠牲者としての──悲しみのようなものがなかった。
どこまでも弱者を虐げることへの愉悦しか感じられない、とでも言えば分かりやすいのだろうか。
言うなれば悪の格として下等。
それがアシュレの知る魔獣たちの気配の正体であった。
しかし、ここにはなぜか悲しみのようなものがある。
悲哀、あるいは悲嘆。
魔獣たちによって嬲り殺しにされた犠牲者たちの思念が、そのような薫りを醸成しているのか?
もし、これがマンティコラたち魔獣の氏族の気配だとするならば、ここにはいまだアシュレが遭遇したことのない強大な敵が潜んでいるに違いない。
だとすればなおのこと、アスカやエレ、レーヴたちの元へソイツを向かわせることはできない。
やはり、ここへ単身乗り込んだのは正解だったとアシュレは思った。
いまさら、ひとりであることに臆したりはしない。
アシュレはすでに騎士だったからである。
油断なく寺院内部を進むアシュレは、時を置かず大伽藍の中央部へと迫った。
驚くべき光景がそこにはあった。
油断なく進むアシュレの目に止まったのは、なんと目隠しをされ、手足を器具によってガッチリと拘束された美しい少女の姿だった。
「どういう……ことだ」
それはあまりに幻想的であり、同時に嗜虐的で倒錯した美であった。
息を呑んだアシュレの視線の先で、彼女がわずかに身じろぎしたことでそれが生物であり、生きていることがわかった。
全身が真っ白な彼女は、遠目には彫像のようにも見えていたのである。
まさか……彼女はなんらかの生贄なのではないのか?
「きみ──」
アシュレは思わず彼女に駆け寄ろうとした。
壁に開けられたアーチ型の門を潜る。
その瞬間だった。
「上だ、愚か者ッ!」
うなだれていた少女が顔を上げ、叫んだ。
だが、愚か者と呼ばれたアシュレは──すでにそのことを察知していた。
聖盾:ブランヴェルを床面に投げ出し走らせながら、その上に身を捻って背中から倒れ込む。
もちろん、その右手にはすでに射撃可能状態になっていた竜槍:シヴニールが、ある。
ゴハウ、という爆発的な音とともに浴びせかけられた吐息の範囲をあっという間に擦り抜け、奇襲を成功させたと思い込んでいたマンティコラの頭部に一閃を叩き込む。
あまりの高熱にガスが火の玉に変わる。
光条の直撃を受けたマンティコラは全身の血液を沸騰させ、爆発四散、瞬時に燃え尽きた。




