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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 1・「泉水の姫君」
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■第十九夜:釈明と現実(2)



「イズマさまはわたしたちだけではなく、その配下に暗殺教団:シビリ・シュメリをも治めていらっしゃる」


 静かに土蜘蛛の姫巫女は語りはじめた。

 シビリ・シュメリ。

 その言葉にアシュレは胸を突かれる思いがした。


 そうだった。

 いまここに集う者たちは、すべてがアシュレのように祖国を棄て、帰属する集団から離反した者たちではない。

 国の、あるいは集団の頭領としての重責を負う者もいるのだ。

 それも危険極まりない闇の勢力の。


「そうだ。そうだった。イズマはいま、人類の支配者たちが利用しつつも、見ないようにしてきた世界の暗部のそのひとつを、シビリ・シュメリとその本拠地:シダラ山を統治する王でもあったんだ」

「その統治者が崩御したらどうなるか……オマエ、想像したことはあるか?」


 途方もないサイズの問いかけに、アシュレはまた岩石で頭を殴られたような気分を味わうことになった。


「それ……考えたこともなかったな……」

「知らないかもしれんが、土蜘蛛は神権政治を採る一族だ。巫女がいて、その言葉を民衆に伝える王がいて……」

「その巫女さまっていうのはエルマやエレのことだね?」


 土蜘蛛の生態を語るエレに、アシュレは瞳を輝かせた。

 他種族の政治形態や文化の話は、アシュレにとって最も興味ある話題のひとつだ。

 その部分はいまも変わらない。

 きっと生涯、変わらないだろう。

 アシュレの笑みと言葉に、眩しいものを見せられたように、エレは瞳を伏せた。


「いまさら巫女さま・・・・と面と向かって呼ばれると、さすがに面映ゆいが。わたしたちはもうすっかり汚され切ってしまった堕ちた花だからな」

「そんなことない! エレは、エルマも、汚れてなんかいない!」


 本気で反論するアシュレの様子がおかしかったのか。

 エレはふくく、と顔を背けて笑った。


 微妙な表情は、アシュレを下に見て嘲っているのではない。

 はにかんでいるのだと理解するまで、若き騎士には時間が必要だった。


 好いた男に褒められた少女のように、エレは照れていた。

 手が自由であれば、口元を袖で隠したことだろう。

 だが、いまその指はアシュレのそれをしっとりと掴んでいる。


「わたしたちふたりが巫女として返り咲けたのは、イズマさまのおかげ。圧倒的な《ちから》を持ち、イビサス神さえ組み伏せて見せた、あの御方のおかげ」


 夢見るようにエレが瞳を遠くした。


「けれども……」

「けれども、そのイズマがもし、失われたら」


 そうエレは言うんだね?

 アシュレの無言の問いかけに、視線を彼方に投じたまま、エレはゆっくりと頷いた。


 その瞳に溜まった涙をアシュレは見た。

 さきほど見たそれとは違う、本当の涙。

 もしこれが嘘泣きだったら、ボクは頭をこの石のテーブルにぶつけてもいいとアシュレは思う。


「次の王が立つ。立たなければ我らがベッサリオンの一族も、シビリ・シュメリも終わりだからな。だが、」

「その次の王がどんな相手になるのか……どんな政策を打ってくるのかも……わかるはずもない。共闘路線が維持できるのか、も」


 未来を想像して、思わず深刻な声が出た。

 エレは難しい顔になって呟くアシュレに、微笑みを向けた。


「そう案ずるな。そもそも王を任命するのは我ら巫女の役目だ。責任をもって人選には当たる。だが、ひとたび王と認めたのなら、その者が土蜘蛛社会における世俗の一切は取り仕切る。巫女の出番は、一族の行く末を占う出来事に限定されているゆえな」


 つまるところ、土蜘蛛の世界でも実際の政治は王が行うということだ。

 巫女は敬われ、その言葉は神のものとして扱われるが……それと実際の統治はイコールではない。

 そこには土蜘蛛の一族が置かれた状況や、彼ら彼女らの性情が深く関わってくる。

 我々は陰謀と暗殺を司る一族──そのサガは人間であるオマエが考えるほど、甘くはない。


 そうエレは言っているのだ。


 だんだんとアシュレにも話が見えてきた。


 つまるところイズマが従えてきた世界の暗がりについて、エレは問うている。

 もっとありていに言えば「オマエがもしヒトの子が言う光の側面だけを求めるというのであれば、闇の側と規定されるわたしたちがどんな行動に出ると思うのか。そのときなにが起ると思うのか」と言っているのだ。


「つまり、もしイズマが失われるようなことがあったとしたら。これはもし仮にだけれど……そのときオマエは、アシュレダウという男は、キミたち土蜘蛛との関係をどうするつもりなのだ、とそう訊いているんだね? つまり……これまでイズマが果たしてきた王としての立場と仕事をどうするのか、と」


 エレの瞳に動揺が走るのを、アシュレは見た。

 それはアシュレの示した理解の深さに対する感嘆であり、あるいは歓喜のようにも、そしてやがて来る別離への脅えのようにも見えた。


「いや、いまそこまでのことは言わん。そこまでのことを、オマエひとりに背負わせるつもりはない。政務は、わたしたちでなんとかしよう。しかし、」

「でも、土蜘蛛には王が必要だ」


 言い淀む土蜘蛛の凶手より、アシュレの言葉のほうが歯切れが良かった。

 うん、とエレはためらいがちに頷いた。


「そう、そうだ。それも誰もがひれ伏すほどの強大な《ちから》を持った、な」

「でも、参ったな。イビサスのような──君たちの言う現人神が本当に神なのかどうかはわからないけど──存在になるのはボクには無理だ。いろいろあったけど、ボクはタダの人間なんだ。イズマのようには……なれない」


 アシュレの言葉に、エレは微笑んで首を振った。


「いいや、オマエはすでにある意味で神を超えている」


 褒められたのか、あるいは、またからかわれたのか。

 意味が分からずアシュレも、かぶりを振った。


「言ってる意味がわからない。ボクが神だというなら、なぜいまこうして水汲みくらいで四苦八苦してるんだい? 神様なら飲み水くらい、指を鳴らすだけで出して見せなきゃ」


 アシュレは自嘲したが、エレはゆっくりと首を振って、若き騎士の反論を退けた。


「見せただろう。《魂》を。その輝きを」

「《魂》? ボクの?」

「ああ、オマエは証明したんだ。世界に。そしてわたしたちに。太陽以外にもこれほど輝くものがあるのだと」


 それも地上に、しかもたったひとりの男の肉体のなかに。


「それは地上を追いやられ、地の底から空を見上げる我々土蜘蛛にとって、ある種の福音だ」

「福音?」

「個人個人がそれほどの輝きを持てるなら、種の未来を、すこしだけその運命を変えられるとは思わないか?」


 エレは可能性の話をしているのだとアシュレは理解した。

 自分たちはこういう生き物なのだから──そのくびきに従うほかないのだという諦念からの逸脱。


 奇しくもアシュレは言葉ではなく自分自身の存在を持って、その可能性を証明しているのだと、エレは言うのだ。


 土蜘蛛は地底に住まう種族だ。

 そして、竜や真騎士の乙女といった天をその住み処とする種族を好んで罠に嵌め、捕らえてきた。

 しかしそれは、逆説的に空への、明るい地上への強い憧憬をも表している。


 彼らもまたある種の輝きに魅せられて、歩んできた種族なのだ。

 宝石や財貨を好む性質は、まさにその証左。


 戸惑うアシュレに、エレは笑みを広げて見せた。


「ともかくだ。わたしとエルマはそんなオマエに、土蜘蛛という種についての希望をさえ見出している。しかし、そうは言ってもだ」


 よく憶えていてくれ、とエレは指に力を込めた。


「生き物は急には変わらない。変われない。変えようとすると死んでしまう。海の魚を淡水の湖に放てば死んでしまうように。海水と淡水が交わる汽水域でも、ほんとうはふたつの水は交わってはいないように。澄んだ水底に潜れば、その境界線がハッキリと見えるように。上は淡水、下は海水。ともに流れていくことはできても、決して交わってはいないように」


 エレはアシュレの手を、己の胸に導きながら言った。

 拒絶できなかったのは、エレの瞳が情欲に塗れた女のそれではなく、限りなく澄んで星空を見通そうとする巫女のものだったからだ。


「ここに集ったのは真騎士の乙女たちや、シオン殿下のように義や誠実さ──人間の定義するところの尊い概念や美しい信念を軸に生きていける者たちだけではないということを、オマエには知っていて欲しいのだ」


 強く己の胸乳を握らせながら、エレはアシュレに言った。

 掌に鼓動を感じる。

 自らがエレの肉体だけではなく心をも掴んでいることを、アシュレは意識した。


「裏切りや謀略、不義に密通姦淫……そういうものを常識として、あるいは美徳として生きる者たちがここにはいる。たとえばわたしたち土蜘蛛がそうだ。人間であるおまえに、土蜘蛛のように生きろとは言わん。だが、」


 だが、とエレは続けた。


「その土蜘蛛を率いて世界と戦うならば、オマエはまず土蜘蛛を率いる者を心酔させろ。相手が巫女であるならこれを組み伏せ隷属させろ。数千、数万の民を率いよとは言わん。しかし、その数千、数万の民を率いる者を、最低でもひとりかふたりは屈服させよ」

「つまり、ボクに王になれというのか。エレ、あなたやエルマの?」

「さて、それはオマエの解釈しだいだが──。もし、それを現実のものとするのであれば、あのイズマガルムから巫女ふたりを寝取った男……くらいの気概はいるだろうな」


 土蜘蛛を率いるとは、そういうことだ。

 はぐらかすように顔を背けたエレは、もう巫女の顔ではなかった。

 あの悪戯っぽい笑みが戻っている。


「土蜘蛛の女を我が物にするには、強引さや悪辣さが必要だぞ、アシュレ。なにしろ土蜘蛛というのは人間が言うところの悪徳に魅力を感じるのだからな。薬を盛り、不意を討ち、徹底的に秘密を暴き立て、鎖を打って自由を奪い、快楽と暴力で逆らえなくなるまで玩弄する──そういう行いにこそ“愛”を感じてしまうのだから」

「密通姦淫……ってそういう?!」


 ちょっとまってコレそういう話なの?!

 アシュレはいまさら正気に戻った。

 話のスケールの大きさに騙された。


 いや騙されてはいないが、結論のことを考えていなかった。


「あーあー、すなおに媚薬の効果のまま既成事実をこしらえておけばよかったのに」

「そんな、そんなわけにいくかああああ!!」


 慌てて飛び退こうとするアシュレの手を素早くエレが押さえた。


「どうしたアシュレ。わたしはいまはもう、媚薬でおかしくなっていたりはしていないんだぞ?」

「無理っ、無理だ。ちょっとちょっとまって、エレ。ボクにとってたしかにアナタは魅力的だけど、それは姉に対する感情みたいなものなんだから!」

「姉? そうきたか。だが、遠慮はいらん。わたしは過去、実の兄に気が狂うほど玩弄されてきた女だぞ? それに比べればどうということもない」

 

 凄い理屈をさらりと言い切り、土蜘蛛の姫巫女は続けた。


「それに義弟というのは血の繋がりはないのだろう? そのどこに問題が? というか、いやむしろ、これは……なるほど……そういうのが燃えるのか?!」

「問題だらけだよ! そして、燃えない! 燃やさない!」


 頑強な抵抗についにエレは拘束を解いた。

 アシュレは引き剥がした掌に、まだエレの胸乳の感触と薫りが残っていることにひどく狼狽してしまった。

 そんなアシュレに、着衣を直して立ち上がりながら、エレは言うのだ。

 あの悪戯っぽい笑顔で、嘘か本当かわからない調子で。


「まあいい。わたしとエルマの考えと気持ちは伝えたのだしな。これ以上の無理強いはすまい。強制されて、というのがオマエはことのほか嫌いなようだから」


 だがな、と犬歯を向き出して大きく笑うと、エレはアシュレに身を預けて囁いた。

 耳打ちする。


「わたしとエルマは無理矢理が特に好きだぞ。自由と尊厳を奪われるというのは、もし相手が好意を持った男だったりしたら、それはもう抗えないくらいに感じてしまうことなのだからな」


 言うだけ言うと土蜘蛛の凶手は何事もなかったように身を引き剥がした。

 ぼーぜんと立つアシュレを残して。





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