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■第一六九夜:孤独の心臓は眠らない



 この状況のどこから、馬のいななきが?

 アシュレは思わず周囲を見渡す。


 と、次の瞬間、口ごもるレーヴが反応するより早く、問いの答えが飛び出してきた。


 物理的な質量を持った姿。

 飛翔艇:ゲイルドリヴルの船縁に固定されていた小型艇の上から、馬身が勢いよく飛び降り駆け寄ってくる。


「ヴィトラッ! ヴィトライオンッ!!」

「ちょっ、まて、まて、ヴィトラ。ステイ! ステイだ! もうちょっと訊きたいことが、わたしには、あるッ!」


 レーヴの制止は、文字通り馬力を発揮したヴィトライオンによって完全に打ち砕かれた。

 軍馬はレーヴを弾き飛ばす勢いで一目散にアシュレのもとに駆けつけると、鼻面を押しつけて甘えてきた。

 

「わっぷ、ヴィトラ、くすぐったいくすぐったいよ」


 その様子にレーヴばかりか、ほかの女たち全員が呆然唖然となる。


「アシュレ、そなた……」

「おまえ、アシュレ」

「ご主人さま……まさか人間以外にも……」


 女たちのつぶやきも、再会を喜ぶ愛馬と主人には聞こえないようだ。

 

「どうして、ヴィトラ、ああ、でもどうやって無事だったんだい」

 

 なかば再会は無理かも知れぬと諦めていたアシュレだ。

 戦場における軍馬の帰還率は恐ろしく低い。

 歩兵の槍や弓矢の第一のターゲットは人間ではなく馬のほうだからだ。

 

 アシュレの問いに、ヴィトラはじゃれつくのを止め、レーヴを振り返った。

 あのヒトが助けてくれた、と言わんばかりに。


「レーヴ……きみが?」


 アシュレはまだ唖然としているシオンに、アスカとスノウを任せると立ち上がった。

 ゆっくりとレーヴに近づく。

 思わず身構えた彼女の足下に膝をつくと、騎士の礼の姿勢を取った。


「礼を言わせてくれ、レディ・レーヴスラシス。きみは、我が愛馬:ヴィトライオンの命の恩人だ」


 そっとその手を取る。

 甲冑に包まれた右手にくちづけする。

 ボンッ、とレーヴの頭上から蒸気の塊が噴出したのは直後のことである。


「い、いやっ、それはだなっ。うん、あまりに賢く勇敢で美しい馬であったから、死なせるには惜しいとな。そ、そ、それにうん、キミの話も聞けたしな、ヴィトラから。尋問というか、情報収集の必要があったわけだな、うん」


 地上での戦いの直後、レーヴは一頭で残されるカタチとなったヴィトライオンを救出した。

 アスカも得意とする動物との会話スピーク・ウィズ・アニマルの異能を用い、意思疎通をはかり、この飛翔艇:ゲイルドリヴルの小型艇のなかに匿った。


 そのあともなんどか、互いに心を通わせた。

 話題の主題はすべてアシュレに関することばかりである。

 それをなんと呼ぶかは、それぞれに任せよう。


 ともかくだからこそ、レーヴはアシュレという男のことを知っていた。


 知った上で、本人の言葉を聞き、そのすべてが事実に裏付けられたものだと理解してしまった。

 正直、もうアシュレを敵と見做すことが難しい。

 亜麻色の髪の真騎士の乙女は、認めざるを得ない。


「信じがたいことばかりだが……キミの言葉、行いにはなにひとつウソがない。それは彼女、ヴィトラの訴えた通りだ。こちらも謝罪する、アシュレダウ。わたしはキミを誤解していた」


 こんどはレーヴも膝をついた。

 視線が同じ高さになる。

 ふわり、と彼女の体臭をアシュレは嗅いだ。


「だが、この船に乗り込んでくる理由がわからない。この飛翔艇:ゲイルドリヴルはたったいまから、忌まわしき魔導書グリモア:ビブロ・ヴァレリの討伐に向かう。それとも、我らとともに戦おうというのか、諸悪の根源……いいや人類の悪の記録と」


 レーヴの告白に、アシュレはシオン、アスカ、スノウの順に目を合わせた。

 スノウの目隠しは激しい機動のさなかにほどけてしまって、いまはない。


「真騎士の乙女:レーヴスラシスよ。ボクたちの目的は三つある。ひとつはこの船の主、オズマヒムの現状のことだ。できるなら会談を持ちたい。もうひとつは、地上への生還。そのためにこの船の機能を利用できるのではないかという試みだ。最後のひとつは……」


 言い淀むアシュレの言葉を先回りして、レーヴが訊いた。


「忌まわしき魔導書グリモアの手に落ちた仲間を奪還する、ことか?」

「いや、それはもはや不可能になった。なったが……その……この状態をなんと説明したらいいんだ?」


 アシュレは足下に身を横たえるスノウに視線を止めた。

 少女は思わず身を固くする。

 その胸には……あの巨大な分厚い書籍がある。

 身を絡め合うふたりの少女神が彫刻された立体的な革表紙。


「なに? まさか、これは……」


 またもレーヴは言葉を失った。

 アシュレは首肯した。

 

「そうだ。これが希代の魔導書グリモア。人々の過去を暴き立てる魔書:ビブロ・ヴァレリの成れの果てだ」

「成れの果て?! では、まさか、いやほんとうに……」

「ビブロ・ヴァレリはボクたちが討伐した」

「なに?! 討伐を果たしたというのか。では……では、」

「現在起きている迷宮の崩落現象はそのせいだ」


 こんどこそレーヴは絶句するしかなかった。


 ルカティウスとの戦いを制し、虚数空間を潜り抜け、ついに迷宮創造者ダンジョンマスター:ビブロ・ヴァレリの息の根を止めるのだと息巻いて、彼女たちは来たのだ。


 だが、実際にはそれこそがうわべだけの戦いだった。


 本当の決戦は、レーヴたち真騎士の乙女たちのあずかり知らぬところで行われ、すでに決着がつけられていた。

 あるいは、レーヴたちがルカティウスに勝てたのは、ビブロ・ヴァレリの悪の恩寵がアシュレたちの活躍によって減じられたせいなのか。


 呪詛の嵐が突然止んだのも、やはりそうだとしたら。


「信じられん。伝説のオーバーロード相手に……無傷で、キミたちは生還したとそう言うのか」

「無傷ではない。多大な代償を払った。人間としての尊厳や居場所、そして、人生そのものも」


 思わず漏らしたレーヴの言葉を、アシュレが訂正した。


「ボクたちが支払ったものを軽んじる言い方はやめてくれ」

「しかし、それでも勝ったのだろう。そうか、この娘はその戦利品、いやビブロ・ヴァレリそのものということか。だからこうして厳重に拘束されていなければならない、と」

「それも誤解がある。ええと、なんというか……彼女は、」


 これは、どう説明したら良いんだ。

 アシュレが頭を抱えたそのときだった。


「アシュレ、レーヴ──危ないッ!」


 びゅうッ、と風を切る音がした。

 影のようにシオンが走り込んだかと思うと、次元跳躍して頭上を凪いだ。


 聖剣:ローズ・アブソリュートの刀身がふたりに迫っていた巨大な暗黒の塊を強打し、これを弾き飛ばす。

 ガギュヒイイイイイイイイン、と巨大な鉱石を叩いたような大音声が世界を揺るがした。


 シオンに撃ち落とされた漆黒の塊は十数メテルも弾き飛ばされ、そのまま飛翔艇:ゲイルドリヴルの甲板に突き立ち──ぞわぞわと蠢き始める。


「なん、だあれは?!」


 驚愕するレーヴを庇うように、アシュレはすぐさま己の得物である竜槍:シヴニールを掴むと前に出た。


「この気配。まずいぞ。やっぱり仕留めきれてなかったのか……」

「いったいどれほどの耐久力、そしてしつこさだろう。もはや執念というより怨念だな、これは」


 着地してアシュレのかたわらにポジションを定めながら、シオンが唇の端を吊り上げた。

 獰猛な犬歯が剥き出しになって見えた。


「なん、なのだ。あの桁外れの邪悪な気配は……」

 

 真騎士の乙女のうめきに、アシュレもまた口元に凄絶な笑みを浮かべて答えた。


孤独の心臓クロムハーツ。かつて不死身の騎士:ガリューシンと名乗っていた存在さ」




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