■第一六三夜:虚構と光
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ガジュリ、メコキッ、と船体がひしゃげる音がした。
それにかぶせるように呪怨で綴られた祝詞が、大気を揺るがす巨大な圧となって飛翔艇:ゲイルドリヴルに襲いかかった。
それはビブロンズ帝国最後の皇帝にして文人──すなわち学識は高いが軍事的才能は皆無という意味で揶揄され続けてきた男:ルカティウスが、東方の騎士とまで謳われた男に対し放った最後の一撃だった。
ぎゃらありゔぁらじり がりおりばらり おんがらぎり じずんゔぁららり がでぃろん ばらん────。
遠く東方の異教・邪教の祈り、その連祷にも似た音律が実際の物理的破壊力を得て、白銀に輝いていた飛翔艇:ゲイルドリヴルの船体を打ち据え、汚していく。
そもそも呪詛による攻撃は物理的破壊力よりも、生体そのものの本質への攻撃に対して、圧倒的に比重が置かれている。
とすれば現在、眼前で展開する光景──超常の器具:《フォーカス》であるゲイルドリヴルのボディを破壊するほどの呪詛とは、これは、ただごとではない。
ルカティウスの側に身を置く間は敵の攻撃を防ぐ分厚い壁として作用する時間の層が、ひとたび攻撃のために用いられた途端、呪いの《ちから》を倍増させる増幅器として働いているのだ。
これは「積年の怨み」というひとことで、説明できるだろう。
時間の積み重ねのなかで個人の憎悪や怨恨が反響増幅され、怪物へと育っていくプロセスが外部化されているのだ。
間に横たわる時間×呪詛の練度。
精製される呪いの圧力はまさに絶望的。
さらに呪詛は飛翔艇:ゲイルドリヴルの張り巡らせた防護障壁の隙間を見出しては、喰らいつき、その内部にまで食い入り獲物を求める。
いま船内は阿鼻叫喚の地獄と化していることであろう。
だがもう彼女たちに為す術など無い。
シオンの聖剣:ローズ・アブソリュートのように極まった聖性を獲得した真の聖遺物ならばともかく、通常の《フォーカス》では呪詛の侵食を防ぐことは難しい。
主であるオズマヒムの心が崩されたいま、その防御は粗雑な斑模様になってしまっている。
残されたのは個々人の対呪詛対応能力だけだが、種族的に真騎士の乙女たちは総じて呪詛に弱い。
生存……いやその存在を保ち続けるのは絶望的と言わざるを得まい。
空中に縫い止められ身を捩りながらその内側から間断なく悲鳴を上げる飛翔艇:ゲイルドリヴルは、いまや無数の深海生物に為す術もなく肉体を食い破られる瀕死のクジラそのものだ。
時間壁が圧を増し、不可視の裂け目にはまりこんだ船体を押しつぶしにかかる。
さらにそこへ、呪詛の猛攻が乗じる。
その運命は船内に乗り込んでいるであろう真騎士の乙女たちともども、風前の灯火であるかのように思われた。
「どうだ、オズマヒム。過去の……歴史の重みは。その《ちから》を我が身に受ける感想は。それは貴君がこれまで積み重ねてきた偽りと虚飾……そして、わたしを含むこの世界の罪そのものだ」
どこか寂寥とした印象さえ感じさせる声音で、ビブロンズ皇帝:ルカティウス十二世は言った。
オズマヒムからの応えはない。
当然だ。
いまや周囲に展開するのはオズマヒムの愛娘にして、オズマドラ第一皇子であったアスカリヤの罪の告白と断罪の場面、そのリフレインだ。
過去の場面が再編され、なんども繰り返し立ち現れる。
彼女の出生の秘密。
そこに至る不義の告白。
女性の証明。
ヒトではない血統の──そしてその尊厳そのものを、悪魔の騎士は徹底的に貶める。
我ながら悪趣味なやり口だ、とルカティウスは思う。
いま眼前に展開するすべてに、悪魔の騎士:ガリューシンの精神性が反映されてはいた。
だが、件の男を解き放ったのは自分だ。
このルカティウスだ。
アスカリヤの過去を暴き、責め立て、尊厳を貶めるよう指示したのも。
口にしなかったのは具体的な方法だけ。
だから、これはわたしのなかの悪そのものでもある。
たとえそれが魔導書からの提案であったとしても。
ビブロ・ヴァレリの紙面に書き起こされる文言が正しい意味での真実ではなく、都合の良い切り取りによって再構成された一種の虚構であるとすでにルカティウスは知っていた。
だが、それを知りながその策謀に乗ったのは、暗示された手管を否定できなかった自分の弱さだとルカティウスは、ひとり空虚な玉座で思う。
まるでそれが己の《意志》であるかのように偽って、蛇の巫女:シドレを操り策謀を巡らし、オズマドラの第一皇子──姫皇子:アスカリヤ・イムラベートルをこの大図書館へと誘い込んだ。
これあるを予測し、しかるべきときに大帝:オズマヒムの心の隙をつくためだ。
本当はそれは希代の魔導書:ビブロ・ヴァレリの悪辣極まる誘導なのだが──精神的揺さぶりは予想以上の効果を上げた。
オズマヒムは自らの抱え込んだ欺瞞と矛盾の積み重ねの重さに押しつぶされた。
彼の船も、彼に従った真騎士の乙女たちもすぐに後を追うことになるだろう。
ここではだれも過去とその罪からは逃れられぬ。
これが偽りを持って世界を覆そうと考えた者たちへの罰。
ただ、彼らの名誉のために書き記しておかねばならない。
彼らは偽りによって破れたのではない。
ただ、この世界そのものが抱え込んだ偽りと矛盾が、それを圧倒したに過ぎない。
「残酷だが……これが歴史というものなのだ」
さらばだ、友よ。
ギギギギギ、グゴココゴコン、と巨大な空洞が捩じれるような音を立てて、飛翔艇:ゲイルドリヴルが潰されていく。
そのさまを眺めながら、ルカティウスは目を細めた。
あの様子では、春の陽光を収斂したように白く輝いていた船体も長くは持つまい。
それよりも内部に食い入ったビブロ・ヴァレリの呪詛たちが、美しくも傲岸不遜なる真騎士の乙女たちを根こそぎ貶めるほうが早いかもしれないが。
獰猛な怪物がその顎門に獲物を取り込んでいくように、船体が呪詛に飲み込まれていく。
永遠の都:ヘリアティウムは、都市の深奥に足を踏み入れた者すべてを、その胎内へと回帰させる。
世界中のあらゆる秘密が収蔵された大図書館の最深部、大秘書庫こそは、この世を支える大いなる虚構の中枢。
真騎士の乙女たちの策謀によって吹き込まれオズマヒムの頭蓋のなかで育てられた英雄譚が、この世界の規律──《意志》なき者たちの安寧と役割を害するというのであれば、大秘書庫は彼ら英雄譚を現実として生きる者たちをこそ虚構化する。
「さらば、希代の英雄よ。せめて物語に帰れ。遠く過ぎ去った輝かしき英雄譚の登場人物として生きよ──」
そして、わたしはその物語を彩る端役として……消え去ろう。
心の臓を掴むように胸を抑え、自らを供犠として捧げる覚悟を決めて、文人皇帝はつぶやいた。
それを合図に、呪詛は強まり、集まり、念度を増して──次の瞬間、雲散霧消する。
かわりに網膜を焼く輝きが、世界を照らし出す。
「な、にが起った。ビブロ・ヴァレリ……」
苦しい息の下、身を捩るようにルカティウスは視線を上げる。
そこには、激しく船体を傷つけられながらも飛翔艇:ゲイルドリヴルが依然としてある。
その艦首に光が集約していく。




