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■第一六一夜:過去を乗り越えるために




        ※



「アスカッ、聞こえるかい? アスカリヤッ! 立って! 起きるんだッ!」


 朦朧とした意識のなかで、アスカはその声を聞いた。


 長い夢を見ていた。

 それは父:オズマヒムと母:ブリュンフロイデの過去。

 輝かしき栄光への道のりと、ヒトの英雄と真騎士の乙女がいかにして恋に落ちたのかの物語。

 いつしかそれはアシュレと自分との関係に置き換えられていく。


 わたしはヒトではない、とアスカブリュンフロイデは言った。

 だから貴方との間に、子を得ることもできないと告白した。

 それがどうした、とアシュレオズマヒムは笑った。

 オレボクもすでにヒトではない、とこともなげに、己の胸の傷を指し示して。

 

 どうしたらそんなことを、そんなに誇らしげに言い切ることができるのか、この男は。


 開いた口が塞がらずにアスカは溜め息をついた。

 それから笑った。

 これは夢だな、と気がついたのだ。


 だって、おかしいじゃないか。


 わたしの出自をすべて知り得てなお「それがどうした」などと笑って、この男は。

 なぜそんなに愛しげにわたしを抱き寄せるんだ?


 しあわせ過ぎて泣いてしまって、だから目覚めて。

 呼ばれた。


「アスカッ、アスカッ、起きてくれ! 頼む! ぐうううう、重い! 告死の鋏:アズライール込みで寝てるキミ、ホントに重たいッ! せめて、アズライールを起動してくれッ! 肩が、抜けるッ!」


 頭上から振ってくる愛しい男からの酷評に、アスカの瞳はぱちり、と開いた。


「なんだとう! このッ!」

 

 だが、寝起き一発怒り心頭のアスカに対し、男の反応は違った。


「アスカッ! やった、起きた! 逃げるんだ、すぐに! ここは崩れる!」


 喜色を隠そうともしないまま力強く抱きしめられた。

 反射的にアスカも抱き返す。

 血と埃と砂に汚れた甲冑には、いたるところに損傷がある。

 首筋からは戦塵と汗と血潮と入り交じった匂いが立ち昇る。

 

 とても清潔とは言い難い抱擁だ。

 しかもアスカは、いまほとんど裸身。

 たちまち汚れが肌に移る。


 それなのに、胸が破裂してしまいそうなほどうれしくて、愛しくて、泣いてしまう。


「アシュレ、アシュレ、おまえ……おまえ、臭い!」

「なんだって?! くそうアスカ、よりにもよってそこ?!」


 本気で怒鳴り返してくるアシュレの反応が面白くて、アスカは笑ってしまう。

 なんで笑うの、と言い募ってくるもんだからそれが余計におかしくて、涙がとまらない。


 抱擁を交したまま容赦なく笑う。

 好きなんだ、と心から思う。

 わたしはこの男のことが、ほんとうに。


「アスカ、すこしでも歩けるなら頼む」

「いやだ、と言いたいところだが、そうもいかぬようだな。努力しよう」


 蛇の巫女:シドレと悪魔の騎士ガリューシンを相手取り、《スピンドル》全開で戦ってきたアスカだ。

 加えてアシュレに戦乙女の契約ヴァルキリーズ・パクトの加護を授けた。

 その代償と消耗は生半可なものではない。


 短い微睡みとあの夢、それから寝起きの一幕で心のほうはだいぶ回復できたように思うが、肉体のそれは別勘定だ。


 アシュレに支えられ転がるように蛇の巫女たちの至聖所から這い出るのと、迷宮の構造体ストラクチャーが崩落を始めるのはほとんど同時だった。

 次々と周囲に巨石が落下しはじめる。

 激しい振動で、肉体が飛び跳ねる。


「アスカ、走って!」

「無理だ、アシュレ、もう脚がもつれて……膝が……」


 アシュレは引きずるようにして、聖盾:ブランヴェルにアスカを乗せる。


「コレ、ホントに便利だな。わたしにも使えたら楽しいんだが……」


 両腕にまだうっすらと残る火傷の跡を見せながら、盾の裏面に乗り込んだアスカが微笑んだ。

 燃え盛る炎のように肌を舐める傷跡が、白く浮き彫りのようにあやを描いている。


「ごめん、ボクの《フォーカス》が──」

「いやいい、当然だ。むしろ主人以外に簡単に尻尾を振るようなヤツは、道具だろうと人間だろうと信用ならん──って、おい、アレはなんだッ?!」


 ブランヴェルに乗り込むコツを覚えてきたのか、上手にポジションを取ったアスカが目を擦りながら叫んだ。

 両手をついてその場で身を起こす。

 その拍子にごつん、とアシュレのアゴにアスカの頭頂がヒットする。


「あいたっ」

「スマン、イテテ。いや、それどころではない。アレ、アレ、アレはなんだッ?!」

 

 アスカの指さす先には、たしかに想像を絶する光景が展開していた。

 スノウの肉体に寄生するように重なる邪悪な存在。

 幼女の姿をしていてもハッキリと分かる邪悪さ。

 その口から真っ黒な呪詛が、文言のカタチとなって次々に放出されていく。


 だが、そのどれひとつとしてスノウにも、その肉体を背後から刺し貫く美貌びぼうの剣士にも届いていない。


「あれは、シオン、シオン殿下か?!」

「そうだ、アスカ。そしていまボクたちはこのゾディアック大陸最古のオーバーロードと対決している真っ最中なんだ」

「な、な、なんだと?! ではアレがあらゆる過去を暴く魔導書グリモア:ビブロ・ヴァレリだと、そう言うのか?!」

「ご名答。ところでアスカ、その知識、いつ知ったの?」

「えっ、それは蛇の地下神殿で……おまえには知らせたはずだ我がハヤブサが……」

「なるほど……イズマめ。やっぱりそうか。ホントに大悪党だな!」


 怒鳴りながらアシュレはブランヴェルに拍車をかけた。

 あまりの急発進に、アスカは舌を噛みそうになる。


「あ、ぶっ」

「行くよ、アスカ。この戦争の元凶を制圧する。そして、止めるんだ──争いそのものを。アスカのお父さん=オズマヒムを!」


 アシュレの宣言に、アスカは思わず騎士を振り仰ぐ。

 そこには世界の理不尽に立ち向かうと《意志》を固めた男の顔がある。

 きゅう、と胸の奥が苦しくなるのを感じて、慌ててアスカは前方に視線を戻した。

 

 そこにはあらゆる過去を暴き立てる魔導書グリモアと戦う女たちがいる。

 自分と同じく、過去と現在に抗い、未来を信じる者たち。

 

 その戦列に加わることに、アスカは密やか以上に昂ぶりを憶えた。

 あるいは我が母:ブリュンフロイデも、かつてこのような想いを抱いて戦場を駆けたのか、と思い至って。




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