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■第一五二夜:我、歴史の編纂者なり


「スノウ!」

「アシュレッ! 騎士さま!」


 まったく予期せぬ突然の再会に、騎士と従者は互いを呼び合った。

 武器も盾もすべてを投げ出し、アシュレはスノウに飛びつく。

 スノウのほうは呼び掛けに応え救いに現れてくれた、自分の騎士に手を伸ばす。


「騎士さま、来てくれた──」

「スノウ、しっかりするんだッ! いま、助けるッ!」


 アシュレは、涙と汗ですっかり濡れそぼってしまったスノウを抱きしめる。

 スノウは衣類のほとんどを剥ぎ取られ、全身をビブロ・ヴァレリのによって拘束されている。


「アシュレ、ああ、騎士さま」


 スノウはうわごとのように繰り返す。

 多感な年頃の少女が素肌のままアシュレの抱擁を甘受したのは、手足の自由を奪われていたからではない。

 もちろん恐怖もあったであろう。

 だが恐れよりも、胸の奥に秘めてきた想いが勝っていた。

 憧れてきた男に肌をさらしている羞恥さえ、いまのスノウにはどうでもよかった。

 ふたたび出会えたこと、そして窮地に彼が駆けつけてくれたこと。

 その歓喜がすべてを圧倒する。

 顔をすり寄せ、頬を合わせて、何度もアシュレを呼ぶ。


 だがここには、そんなふたりの感動の再会に異論を挟む者もいたのだ。


「おおお、おのれええええ、わらわをこんな、こんな不潔な砂と塩水に満たされた場所へ引きずり出すとは──不敬ッ、不敬ッ、不敬ッ 不敬なるぞッ!!」


 秘密の海岸に絶叫が轟きわたる。

 その叫びに触れた海水が、砂浜がたちまちのうちに、どす黒く変色していく。

 これほどの呪詛を言葉に込められる者が、ほかにだれあろう。

 この世のあらゆる過去を知ると言われた千里眼の主。

 魔導書グリモア、いやオーバーロード:ビブロ・ヴァレリ。

 その正体がいま白日の下に晒されたのだ。


 まったく予期できぬ方法で己の住み処から引きずり出された暗がりの生き物は、それまでの淫靡いんびで狡猾な態度をかなぐり捨て、怒りをあらわにした。


 幼女を擬態する顔面には鬼相が浮かび、八重歯が生えそろう口腔が、太古の悪霊もかくやという憎悪を胸の悪くなるような悪態に変じてぶちまける。

 それは物理的圧力となって髪を嬲り、呪詛に変じてはアシュレの肌に噛みついてきた。

 呪いの言葉は周囲のあらゆるものに焼きつき、たちまちこれを汚染する。


 さすがにゾディアック大陸最古のオーバーロード。

 その唇から漏れ出る音は、すでに呪術的文言そのものなのだ。


 だが、アシュレは邪毒そのものの一喝に怯えることなく、逆に闘志を剥き出しにした。

 すでに完全開放フルドライブとなり、臨界を迎えた《魂のちから》を全身に巡らせる。

 それだけで叩きつけられた呪詛はアシュレの体表面で弾かれ、木の葉のように舞う。

 次の瞬間、空中で燃え尽きる。

 己を高め、呪いつぶてを無効化したアシュレは、そのまま叫ぶ。


「スノウを──放せッ!」


 びりびりと大気が震えるのを、かたわらでそれを聞くシオンは感じた。

 相手が世界最古のオーバーロードであるのなら、こちらは人類観測史上はじめての《魂》の持ち主なのだ。

 同じくその言葉には、すでに強力な《ちから》が宿っている。


 ただそれは、ビブロ・ヴァレリのような強制力ではない。 


 ヒトの、あるいは存在の根幹に働きかけ、揺さぶる感応の《ちから》。

 たとえばシオンに対してそれは、精神の高揚や安心感として作用する。

 きっといまアシュレに抱かれ、庇われているスノウも同じく感じているはずだ。

 その心の変化をひとことで言い表すなら「明日を信じる気持ち」と言い換えてもよい。


 このヒトとならば明日を信じて、今日を生きていける。

 それをヒトは希望と呼ぶ。

  

 だが、獲物を奪われるビブロ・ヴァレリにとっては違った。

 それは苛立ちを募らせる、耳障りな騒音でしかない。

 ビブロ・ヴァレリが愛するのは希望ではない。

 甘美なる逃避、その果ての悟りにも似た絶望こそが彼女の糧なのだ。


 だから、スノウを呼ぶアシュレの声がビブロ・ヴァレリに喚起させるのは、昂ぶりは昂ぶりでも、激昂である。


 GAaaaaaaRuuuuuuuuuuuuuu ────ッ!!

 人間の声帯では決して再現不可能なおぞましい雄叫びが、蛇の巫女たちの聖域だった場所に轟き渡った。


「貴様が、アシュレダウかァアアアアアアアアッ! スノウの記憶からもっと柔和で知的、古代への敬意に満ちた男だと思っていたがァアアアアアアアア! この狼藉、許されることではない、許されるものではないのだぞォオオオオオオオッ!! 呪われよ! 呪われよ! 呪われよ!」

「許す許さないなどという問題ではないッ!」


 次々と叩きつけられる呪詛の言葉を一蹴して、アシュレは叫び返した。

 その堂々たる態度にますます魔導書グリモアは憎悪をたぎらせる。


「キサマ、貴様ガァアアアアア、いま手をかけているのはこの世界の歴史そのもの、唯一にして正しい、それゆえにあらゆる書籍の頂点の立つ存在なのだぞオオオオオオオッ!」

「ヒトが秘してきた想いまで、まるで墓を荒らす盗掘者のごとく暴き立て、過ちだけを集めて綴られた書など──編纂者の恥ずべき行いの集大成でしかないッ! 歴史とは光と闇の編み物だッ! 闇を伝えるならば、同等に光も記せッ!」

「恥ずべき行いッ?! キイイイイイイイイイ、キサマ、キサマ、キサマ、いまわらわの《ちから》を、その行いを恥ずべき行いだと、そう申したか?! それは妾自身を辱めたのと同様ぞッ?! 許さぬッ、断じて許さぬッ!」

「許されるつもりなどないと前にも言ったッ! 忘れたか、自称:歴史の編纂者、真なる史書、頂点に君臨する書籍よッ!」


 アシュレの見事な突き返しに、ビブロ・ヴァレリは窮した。

 この愚か者は歴史に対する敬意を持たぬのか。

 自分自身も歴史の一部に過ぎないという認識を持たぬのか。

 なんじわらわが記す歴史のなかの文字の連なりに過ぎぬのだぞ。


 そういう憤怒が世界最古の魔導書グリモアをして、その唇から言葉を失わせたのだ。


「ならば実力で思い知らせてくれようぞ」


 だから、ビブロ・ヴァレリは実力行使に出る。

 具体的にはスノウを責めることにしたのだ。

 《魂のちから》に護られたアシュレを狙うより、こちらのほうがよほど効果的だと判断したのだ。

 強引に融合を進める。

 ああああああああああっ、とスノウの喉から追いつめられた叫びが迸った。




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