■第一三五夜:悪魔は求める
「がはっ」
「ひとさまの獲物を横取りするからそうなるんだよ、お坊ちゃん」
のけぞってしまったアシュレの顔面を、今度はガリューシンの足が蹴り飛ばす。
なんとか頭を捻って芯だけは外したが、その衝撃にアシュレは吹き飛ばされてしまった。
「アシュレ、アシュレ──ッ!」
「おいおい、お姫さん、心配するのはこのあとのアンタのほうだぜ。あの坊ちゃんは殺しやしねえよ、しばらくはな。手足を斬り飛ばしてから止血してやる。どうするのかって? 決まってるぜ、証人になってもらうのさ。アンタがすっかりオレのものになった証拠のために」
「やめろ、やめてくれ!」
「そいつは無理な相談だ。茶番は終わりだぜ」
ガリューシンが光刃系の異能すら使ってこなかったわけを、このときアスカは完全に理解した。
まだアスカに執着している、というアシュレの言葉の意味。
あのたまらない悪寒と記憶が背筋を這い上ってくる。
「逃げろ……アスカッ!」
「おっと、逃げたら殺す、いますぐこのお坊ちゃんをな」
「やってみろ」
床面に叩きつけられたアシュレは、しかし無様に這いつくばっていたわけではない。
受け身を取ると即座に起き上がり、異能を行使する。
疾風迅雷、今日、三度目の発動だ。
疾風の如く駆け出す。
途上、転がり落ちた竜槍:シヴニールを引っ掴む。
「むッ?! ヲイヲイそいつはアラムの連中の技だぜ? オレがそれに精通しているのは、オレが連中を屠りまくってきたからだが……どうやって盗んだ? そして、そうか、その能力でこの迷宮を突破してきたってわけだ」
やってくれるじゃねえか。
自らの技を模倣されたことが気にくわないのか、あるいは好敵手とアシュレを認めてか、ガリューシンが言った。
「技の出自などどうでもいい。オマエだけは許しておいてはいけない。それに、わたしのこの技=疾風迅雷は、アスカリヤ直伝だ!」
ガチン、と頭のなかで歯車が噛みあうような音がするのを、アシュレは聞いた。
それは《魂》の駆動音。
肉体の内側から風が吹いてくる。
ボクという私人としての一人称が、わたしに変わる。
それはアシュレという男の意識が、少年のから大人へと、いや真の人間へと変じた証拠。
「おめえ……小僧、面白い技を使うな」
その発現に触れ、ガリューシンが笑みを広げた。
ある意味で極まった《スピンドル能力者》である悪魔の騎士には、その変化が鮮やかに感じ取れたのだろう。
なんと楽しげで、なんと獰猛な笑みだろうか。
「なんだよそりゃあ、もちっと、オレにもよおく見せてくれよ。すげえ、すげえぞ」
「嫌でも教えてやる」
これが《魂のちから》だ。
言葉とともに打ちかかってきたアシュレに、ガリューシンは応じた。
その瞳は竜槍:シヴニールではなく、アシュレの胸に宿る輝きに釘付けだ。
「《魂》。たましい、だと?!」
「そうだ、悪魔の騎士よ」
アシュレは勢いのまま竜槍を振るう。
一瞬で長大な光刃がそこには形成される。
そのあまりの威力に、聖剣:エストラディウスで受けたガリューシンは吹き飛ばされる。
悪魔の騎士は空中で回転し、音もなく着地するが、その胸には深い傷跡が走っている。
常人ならとっくに致命傷であるはずのそれが、みるみるうちに塞がっていく。
時間が逆巻きに戻されていくような、醜悪な光景。
アシュレはその傷の奥に、ガリューシンを為す核を見出した。
孤独の心臓。
白磁の地に金と銀で縁取られ、微細な血管の一本一本までが精緻に再現されたそれはしかし、ガリューシンという不死の騎士を何度でも再構築する悪夢の源泉だ。
あれを砕かぬ限り、この戦いに決着はありえない。
まさに倒すべき相手の核心を凝視するアシュレに対し、ガリューシンはますます口角を吊り上げて見せた。
「なんだい、コイツが気になるのかい。そうさ、これだよ、アシュレダウ。オレをこの世に縛りつける悪夢の源。なんでも本来は、特別な使命を帯びた……つまり聖務を帯びた探索者を損なわないためのものだったらしいぜ? 危険な地にひとり赴いていく人間のための。だから、そうオレは探索者。探し続けるよう定められた存在なんだ」
誇らしげに胸を張り、ガリューシンは言った。
自分の言葉がアシュレに届いているのかどうかは、きっと関係ない。
これは彼のなかに巣くう病理の話だ。
「たぶん最初は人類の──みんなのしあわせのためだったんだろうなあ。どうやったらみんなをしあわせにできるのか。その探求のための。永劫の刻を超え、あらゆる困難を踏破するための。だがよ」
奇妙な角度で首を反らし、かしげて、それでも視線は逸らさず、ガリューシンは言った。
「だがなんでよりにもよって神を探せ、なんて命じたんだ、アンタらは。神──そんなもんいるのか? いるなら、どこにいるんだ? 信じなけりゃよかったぜ、神さまのことなんて。そうすりゃとっくに諦めることができた。こんなに必死に探し回らずに済んだんだ」
孤独の心臓によって再生されるたび、ガリューシンの心は壊れていく。
だれかに説明されたわけでも、《フォーカス》の理屈を読み解いたわけでもないが、すでにアシュレは確信していた。
ガリューシンは続ける。
「それなのに感じるんだ、ときどき神を、すぐそばに。だから、必死になって掘り返してきた。感じた場所を。探し回ってみたんだよ──抉り出して! だが、アンタはどこにもいねえ! すべては幻影! すべては虚影! すべては徒労さ! これじゃあ、死んでいった奴らも報われねえ! オレに殺された奴らも報われねえじゃねえか! 我が神、我が神、アンタはいったい、いまどこにいるんだッ?!」
いつのまにか悪魔の騎士は涙を流している。
その悲嘆に対して、アシュレもアスカもまったく共感できはしない。
男の瞳はギラギラと輝き、いまや、ただ一点を見つめている。
「けどよお、いますごく感じるんだ、感じるんだぜ、神を。いままでこんなに、ビンビンに感じたことはねえよ。神は、いる。間違いなく、そこに、いる。そうだろおおおおおおおおおッ!」
びょうおう、という唸りとともに悪魔の騎士は斬りかかってきた。
その顔に、ついに探し求めたものに辿りついたという歓喜の表情を浮かべて。
もちろん、その探し物とは、まぎれもない。
アシュレの胸の奥に息づく《魂》──そのものだった。




