■第一〇九夜: なぜに男の子として
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「いやいやいやいや、殿下はお優しくていらっしゃる。そして、お美しい。オレは美人の怒り顔がなによりも好きでね。いやいや、これは絶景だ」
大仰に腕を広げ、ガリューシンは言った。
だが、そのどこにも死角はない。
口は下衆な煽り文句を垂れ流していても、その瞳はまったく笑ってなどいない。
隙あらばその顔面に告死の鋏:アズライールの一撃を叩き込んでやりたかったが、それは無理な相談のようだ。
完全な不意打ち、しかも再構築の途中で感覚器官が万全ではなかったときであればいざしらず、一〇〇年以上を生き、そのすくなくとも半分の時間、戦場を這いずり回ってきた男相手にもはや奇襲の通じる余地など、どこにもないように思えた。
アスカは屈辱的な交換条件を強いられている。
ヒト型の牢獄:アイアンメイデンに囚われたアテルイの意識体を解放するのに、ガリューシンが要求したのは、なんとアスカ自身であった。
無条件での投降。
そして、完全な武装解除。
「そんな要求が通ると思うのかッ?!」
「いかに事態が切迫しているかについては、事前に説明したはずだがね。それとも殿下におかれましてはこれ以上、このアテルイさんの状況を悪くなさりたいのかな?」
ぐう、と喉から唸りが漏れそうになるのを押し堪えて、アスカは言った。
「貴様がアテルイを無事解放するという保証がどこにある」
「ではこうしよう。殿下が一枚脱ぐごとに、オレはアテルイさんを戒めるこの縛鎖を、一本断ち切る。両手、両脚、そして首。全部で五本の鎖と衣服五枚とを交換だ」
こともなげにガリューシンは言った。
嘘か本当か、まったくわからない。
男の口調には深刻さがまるでなく、声の抑揚から感情や思考を読み取ることができない。
「どうした、殿下。ここは信じるしかありますまいよ、オレを」
「殿下、なりませんッ! どうかわたくしごと、告死の鋏:アズライールで撃ち抜いてください。殿下の告死の鋏:アズライールの《ちから》であれば、このおぞましき死に損ないも、あるいは……」
「おっと、だまってなさいよ。もうすぐ無事に帰れるんだ、余計な苦痛を味わうことはねえ」
言いながら、ガリューシンはアテルイを足蹴にした。
「貴様ァッ!」
「互いに必殺の《ちから》を秘める《フォーカス》を持っていながら、凄むことに意味なんかないでしょうが。やらなきゃならないときに言葉でどうにかしなくちゃならん、というのは、本当にできないってことを強調しているにすぎねえんだからさ」
アスカはガリューシンを殺意を込めて睨みつけた。
対するガリューシンは、剥き出しの己の肉体を恥じる様子もなく不敵に笑った。
「では、まず一枚」
「くっ」
アスカは男の真意を確かめるように、まず先祖伝来の陣羽織を脱ぎ捨てた。
んー、とその様子を満足げに眺めたあと、ガリューシンは手にした聖剣を振るった。
がぎん、と音がして聖なる刃は、まるで飴細工を砕くかのごとき容易さで、アテルイを拘束する縛鎖を断ち切った。
約定を守った男の行動に、アスカはすこしだけ驚いた。
ガリューシンは聖剣を玩ぶように構えて、言った。
「どうした。約束は守る男さ。たとえアンタが異教徒でも、今回ばかりは嘘はつかねえ。むしろ、本当のことを教えてやろうとしてるんだからな」
「なんだと……どういうことだッ?!」
「凄むなって。意味ねえからさ。さあ、二枚目だ」
そんな調子で屈辱的な交換条件は進められた。
ターバン、シャツ、ズボン、上半身を覆う肌着。
ここまでで五枚。
鎖を断つ音は、アスカが投げ捨てた肌着が床に落ちるのと同時に鳴り響いた。
下帯一枚になったアスカは燃えるような瞳でガリューシンを睨んだ。
ターバンを解いたことで流れ落ちた太い線質の黒髪が、アスカの裸身を包んでいる。
ヒュー、とガリューシンは口笛を鳴らした。
「信じられん美貌だな、アンタ、殿下」
「貴様のような下衆に褒められても嬉しくはない。おぞましいだけだ」
「言うねえ」
「これで、五枚。縛鎖はすべて断ち切った。アテルイを離せ」
「ああ、そうだったな。だがね、鎖を切っただけではこのアイアンメイデンは自由にはならない。《スピンドル》を与えて、動けるようにしてやらなきゃいけねえんだ」
「なにい」
「で、ちょうどよい具合に殿下はあと一枚を残してくれている」
「貴様ァアア!!」
アスカの顔が憤怒に歪んだ。
カタチよいハッキリとした眉が吊り上がり、瞳に宿る光が剣呑なものになる。
しかし、それだけの眼力を向けられてもなお、ガリューシンは楽しげに小首を傾げるだけだった。
「信じられないかい?」
「下衆めッ!」
「それは先ほども承りましたな、殿下」
「アスカ殿下、もう、もう充分です。どうか、わたくしとともにこの男を葬ってくださいませ!」
頭上で交されるやり取りに、たまらずアテルイが叫ぶ。
泣かせるねえ、と薄っぺらい同情を示したのは当のガリューシンだ。
「男装のお姫さまと忠臣の泣かせるシーンだ。さすがのオレさまも、ジーンと来ちまったよ」
スン、とわざとらしく鼻を啜り、濡れてもいない目元を拭ったガリューシンは、這いつくばったままのアテルイの側に片膝をついた。
縛鎖から解放されたことで屈辱的な姿勢からは解放されたものの、《スピンドル》を注入されていないアイアンメイデンの肉体でできることは、言葉を発することとまぶたをゆっくり動かすことぐらいしかない。
そんなアテルイに言い聞かせるようにガリューシンは言った。
視線はアスカ肉体、そのなかでも、ある一点に注がれている。
「まさに最後のイチジクの葉、というわけですな、殿下。アガンティリス期に描かれた裸身の女神像。その秘密を覆い隠すために、世の中の坊主どもが書き加えたあの葉っぱは滑稽すぎるが──連中は必死に秘そうとした。これまで世を偽り、皇子として生きてきた殿下にとって、その最後の一枚は決して知られてはならぬ秘密を覆い隠すものだ」
それを、と続ける。
「それを取り払い、自身がなにものであるのかを晒すことは筆舌に尽くしがたい屈辱でありましょう。なにしろ、これまでの殿下の人生を否定するようなものですからな」
理解を示すようでいて、ガリューシンの言葉にはハッキリと喜悦の色がある。
下帯はただの布きれだが、いまのアスカにとっては男装の麗人として生きてきた自分自身のアイデンティティーそのもの──自我を護る最後の防壁でもある。
ガリューシンはあえてそれを言葉にし、強調し、アスカが意識するように仕向けたのだ。
これは間違いなく玩弄、嘲弄、そして脅迫の手管である。
「躊躇がありましょう。ですから、このガリューシンめが、その心労をいくばくかでも軽くして差し上げる」
ガリューシンは跪いたまま身動き出来ないアテルイに手をかざした。
「なにをするッ!」
異変を察知し、駆け出そうとしたアスカの足下を、いつの間に繰り出されたのか衝撃波が襲った。
「動かれるな。危害を加えようというのではない」
片膝の姿勢のまま、いつの間に振り抜かれたのか翼のように聖剣を構えたガリューシンは、これまでになく丁寧な口調で言った。
かざした手で、アテルイに触れる。
ああっ、と小さな悲鳴が上がる。
そして──次の瞬間。
くっ、とアテルイの四肢が、ゆっくりとだが動いた。
「案ずるな。《スピンドル》を通しただけだ。わずかだが、これで這いずって歩くことくらいはできましょう」
「なにを、企んでいる」
予期せぬ進展に、アスカは動揺して訊く。
「言いませんでしかたな、殿下。わたしは感動したのだと」
突然の騎士ぶり。
真意の読めぬ顔、読めぬ口調でガリューシンは返した。
その間にもアテルイは生まれたての子鹿のように四肢を震わせ、休み休みではあるがアスカの方に向かって這いはじめていた。
ガリューシンはその背に向けて、聖剣を構える。
「まてッ!」
「勘違いなされるな、殿下。約束は守る。これは殿下がわたしの好意を無になされたときのためのもの」
つまり、ガリューシンは己が約束を先に果たすことでアスカに決断を促したのである。
遅々として、しかし確実にアスカの元を目指すアテルイの姿に、アスカは一瞬目を走らせる。
それから微塵も隙を感じさせぬ構えで刃を構える異教の騎士を。
唇を血が滲むほど噛みしめ、アスカは下帯に手をかけた。
これですべてがあきらかとなったのである。




