■第一〇二夜:本棚と長いお別れ
お困りですか、と死蔵知識の墓守は問うた。
お困りですかと言われてもねえ、とイズマは返した。
スノウはといえば突然抱きすくめてきたイズマを張り倒そうとしたことさえ忘れて、いまはその腰に齧りついている。
あまりの展開と、未知の恐怖に、だ。
「おふたりは先ほどから同じ場所を何度も通過されています。迷ってらっしゃるのですか。お困りですか」
突然の遭遇に身構えるふたりに、死蔵知識の墓守は先ほどよりもうすこし具体的な問いかけを発した。
最初に反応したのはスノウだった。
これを若さ、というのだろう。
「同じ場所をなんども通過してる……ってことはやっぱりループしているんだ! そ、そうです。わたしたち困っているんです!」
「了解しました。道案内をご希望ですか」
「道案内! やったイズマ、道案内してくれるって! はい、も」
もちろん、と威勢よく答えようとしたスノウの口をイズマの掌が塞いだ。
むぐっ、なにをするっ、とスノウが抗議を込めて暴れる。
「スノウちゃん、ちょいまちだ。あんまりバカ正直に答えちゃいけない。ここは敵地だよ」
「ば、バカっていうな! それにほかにどうしろって言うのよ! 親切に案内してくれるって言うんだからしてもらったらいいじゃない!」
「ねえちょっと、お姉さん、でいいのかな、真っ白けのヒト。道案内ってのは貴女ちゃんがしてくれるの?」
子供の抗議に反論するのは時間の無駄だとでも言わんばかりの態度でスノウを押さえ込み、イズマは眼前の死蔵知識の墓守へと問いかけた。
古代ビブロンズ帝国の皇族の衣装に身を包んだ死蔵知識の墓守は、イズマの問いかけに小首を傾げて見せた。
「いいえ、道案内は“庭園機構”が一括して行います。わたくしは、その仲介に立つだけ。“接続子”の植入はお済みですね?」
「なるほどお。そうかそうかあ。ごめんごめん、ボクちんたち初心者でさ、もうちょいわかりやすくそのあたりを説明してくれる?」
死蔵知識の墓守が発した「“庭園”」そして「“接続子”」という単語をスノウ自身は直に聞いたことはこれまでにない。
そして、これはスノウの知らぬことだが──イズマにはその知識はあっても語ることができない。
はるか昔、真の土蜘蛛王としての彼が、《偽神》=《御方》たちに立ち向かったときに受けた呪いが、イズマの口と舌とを縛っていたのだ。
だが、自身は語れずとも他者に語らせることはできる。
イズマはこの状況を誘導尋問の好機と捉えて、活用することにしたのだ。
無知を装い情報を引きだす手練手管である。
もちろん、警戒を解いたわけではない。
スノウを必死に押さえるように見せかけて、いつでも《スピンドル》を発動してこれを撃退できるように抜かりなく構えている。
「“接続子”の植入はこの大図書館利用の前提条件であり、身分証明として閲覧希望者の義務でもあります。“接続子”とは、いわば惑星規模通信知覚網──通称“庭園”への通行証です」
「えっと、なに、“庭園”に入るのに通行証がいるの? それが“接続子”ってこと?」
「おおむねスノウちゃんの理解のとおりかな? ところでお姉さん、その“接続子”が植入されているかどうかってのは、すぐにわかるのかな。ボクちんたちには憶えがないんだけれども」
「植入の有無、活性状況の確認・検査とその結果はこの場で、一瞬で得ることができます。方法は、触診による採血。痛みはありません。検査を希望なさいますか?」
「それは……血を取って検査するって意味であってるかな?」
イズマの確認にひっ、と声を上げたのはスノウだった。
この時代の治療法に瀉血がある。
悪い血を抜くことで病気からの回復を試みる、というものなのだが、もちろん効果はない。
それどころか血を抜くプロセスの最中に死に至ることもあり……つまり迷信かつ誤った治療法だ。
それを想像したのだろう。
腰にしがみついたままスノウはイズマを凝視する。
いっぽうのイズマは微動だにせず、死蔵知識の墓守を睨みつけている。
こころなしか口角が吊り上がっているのは、もしかしたら笑っていたのかもしれない。
「いやだ、つったらどうなんの?」
「検査を拒否、“接続子”植入状況不明。これより不確定存在二名を不法侵入者と見なし、対処します」
「うわっ、なにそのすげえ短気な反応わ! やっべ」
突如として態度を豹変させ、デスマスクさながらの表情となった死蔵知識の墓守が掴みかかってきた。
「うわっち!」
身を捩って逃れながら、イズマは両手で脇の下を持ち上げてスノウを退避させる。
「きゃ」
「だめだ、やっぱこいつら敵だ!」
「検査を拒んだのそんなにヤだったの?!」
「いいや、コイツは最初っから敵だったよ。“庭園”に接続だってえ?! そんなもん、敵の張り巡らした網のなかに自分から、飛び込んでくみたいなもんだ!」
特に未熟で歪んだままのスノウちゃんの《スピンドル》にとっては──そこまで言いかけて、イズマは膝をつき胸を押さえた。
あるいは“庭園”という単語がその身にかけられた禁忌の呪いに抵触したのか、いつも飄々とした態度を崩さない土蜘蛛王の顔に本物の苦悶が浮かぶ。
「イズマッ、どうしたの、しっかりして!」
なにをされたわけでもないのに不調を見せるイズマに取りすがり、スノウは腕を引っ張った。
イズマが苦笑で応じる、
「スノウちゃん、ちょっとちょっとね、ひっぱりすぎ、てかけっこう馬鹿力ある?」
「火事場のなんとかってやつ! あ、乙女に対して馬鹿って今日だけで二回言った! 失礼ねもうっ! って、きゃああああッ?!」
「くっそ、わんさか湧いて来やがった!」
死蔵知識の墓守のほうだが、こちらは超常的な共感能力を用いて警告を発したのだろう。
どこに潜んでいたのか、それまで影もカタチもなかった大量の同じ意匠を持つ亡霊のごとき一団が、一斉に姿を現したのだ。
「イズマ、これ、どうしたら。それにお化けみたいなアイツが言ってたこと、わたしには、ぜんぜんわかんないよ!」
「いろいろ説明したいけど、いまは無理! って、危ねえッ!」
「きゃあああ!」
群れ成して掴みかかってきた死蔵知識の墓守たちの手からスノウを守るため、イズマは半夜魔の娘をはじき飛ばした。
四肢を掴もうとする連中から彼女を護る守護結界の技を駆使しながら、だ。
「イズマッ?!」
膂力だけではなく《スピンドルエネルギー》の力によって数メテルもの距離をはじき飛ばされたスノウの肉体は、壁を成す蔵書の山に激突する。
もちろん、そこは事前に守護結界の加護が垂れられていて無事──に済むはずだった。
「えっ、ちょっ、なにこれッ?!」
突然、書棚の一部が泥土の如くにスノウを呑み込む。
巧妙に本棚に偽装された隠し扉……それもなかば魔術的なもの。
扉のように開くのではなく、本棚のなかに取り込まれると言った方がよいものだ。
ちょっとやそっと触った程度では見分けがつかない。
ここだと知っていて飛び込まなければならない仕掛けであった。
「まいったね、ループ構造はミスリードのための布石ってことかよ」
迫り来る死蔵知識の墓守を驚異的な体術と戦闘能力で捌きながら、イズマが舌打ちした。
「イズマ、これ、吸いこまれる! それに、このなか、おかしいんだよ。本棚がトンネルを作ってる! 回転してる!」
「スノウちゃん、まってろー、いまいくッ!」
イズマは請け負ったがそれが簡単ではないことは、スノウの目からも明らかだった。
死蔵知識の墓守たちの肉体は半物質的なもので、その動きも人間のそれとは大きく異なる。
まさに死霊。
両手両脚に《スピンドル》を通して戦って、ようやくまともな戦いになる。
死霊術系の異能にも精通したイズマだが、死蔵知識の墓守たちは正確には死に損ないではない。
そのことがさらに戦いを難しくした。
「イズマッ!」
「スノウちゃん、危ねえッ!」
魔法の隠し扉が発する強力な吸引力に抗ってイズマの窮地に駆けつけようとしたスノウに、こんどは死蔵知識の墓守の別動隊が群がった。
スノウの細い手首を死蔵知識の墓守の骨と皮だけの筋張った指が捉える。
かけられていた護りの結界が反発して敵の手を阻むが、そのうちひとつが強力な抵抗を退け、スノウに達したのだ。
その瞬間、スノウは血管に氷水を流し込まれたような感触を味わった。
凍てつくような痛み。
これが“庭園”に繋げられてしまうということ?
一瞬で気が遠くなる。
「逃げろ、スノウちゃんッ! 行くんだ、先にッ! すぐに追いつくッ!!」
おそらくなんらかの異能であろう。
イズマから飛んだ激には劇的な効果があった。
遠のきかけた意識が戻る。
スノウは反射的に預けられていた数々のアイテムのなかから護り石を掴むと、ためらいなく敵の顔面に叩きつけた。
凄まじい閃光と熱が生まれ、死蔵知識の墓守が顔面を押さえて絶叫する。
身を半分に折るようにして逸らし、スノウの手を離す。
スノウはそのまま本棚の奥へと、倒れ込むようにして身を躍らせる。
イズマがどうなったのか、あとのことはわからない。




