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■第一〇一夜:地下図書館にて

         ※



「こっちだ」

「こんどはそっち?! ちょっとこの図書館というか地下迷宮は、どこまで続いているの?!」

「もし、この都市の地下全部がこんなふうになっているのだとしたら……十万人が暮らす規模の市街区と同じか、いや、深さがある分そんなどころじゃない広大さだろうね」

「ちょっと、ホントなの?!」

「冗談冗談、といいたいところだけれど……あながち間違いじゃないかな。いまだって相当な距離を追跡してきましたよ、ボクちんたち」

 

 あの花火の夜以来、イズマとスノウのふたりは、ビブロンズ帝国最後の皇帝とそれに付き従う蛇の巫女の姿を追い続けている。

 皇帝の居室に隠されていた扉、その先に続いていた秘密の通路は、巨大な図書館へと通じていた。

 イズマとスノウは、ここまでいくつもの隠し扉や複雑に分岐した立体的な回廊を突破し、眼前に広がる巨大な書庫を駆けてきた。

 こちらの存在を相手に悟られないよう細心の注意を払って、しかし、標的ターゲットを見失わぬように最大戦速で。


 だが、その途上で、イズマが突然足を止めたのだ。

 おかげでその後ろをまっすぐ追っていたスノウは、鼻をぶつけそうになった。


「ちょ、急に止まらないでくれる?!」

 スノウの小声だが遠慮のない抗議に、イズマは反応しなかった。

 真剣に前方を見据えたまま、握り拳を当てるような格好でアゴに手をやる。

 考え事をするときのイズマのクセだった。

「さて、と。ある程度以上は覚悟はしてきたつもりだけど……これはちょっと、ややこしいことになったなあ」

「え、ちょっと、それどういうこと?!」


 立ち止まったイズマのぼやきに、スノウは思わず聞き返した。

 ひとつきりになってしまった赤い瞳が、半夜魔の少女を見る。

 どういうこと、とスノウは無言のうちに態度で繰り返した。

 土蜘蛛の王は溜め息まじりに答えた。


「ここまでルカティウスとシドレを追跡してきたわけなんだけど……どうもあのふたり、途中で二手に分かれたみたいなんだよね」

「えっ? え、それってどういうこと?」


 通常の炎ではありえない青白い揺らめきが、古代のランプシェードの奥で永劫に揺らめき、膨大な量の蔵書を照らし出している。

 その四つ辻の真ん中で立ち止まったまま、自称土蜘蛛の王はスノウの問いかけに対して首を傾げた。

 イズマを信じてついてきたスノウの顔色が変わるのも、これでは無理もない。


「二手に分かれたって……どうするの? どっちを追跡するの?!」

「んー、そうだなあ。別れ去っていく足音のどちらが文人皇帝くんなのか、あるいは蛇の巫女ちゃんなのかを見分けるのはわけないんだけども……」

「わけないけども? けども、なに? その沈黙は」

「それがですねえ」


 失った目を覆う眼帯をぽりぽりと掻いて、イズマは歯切れの悪い返事をした。


「このへんの構造、前も見た気がしない? いや、絶対あるよね。あのランプシェードに刻まれてる勿忘草の装飾は、すごく特徴的なものだし、細かな傷にも見覚えがある。間違いなく以前にも、そのまた以前にも見た」


 よね、とイズマはスノウに念を押しするように訊いた。

 えと、とスノウは固まる。


 追跡に一生懸命で、さらに歩幅の長いイズマの滑るような動きについていくのが精いっぱいで、図書館の内部構造を観察するヒマなどなかったのだ。

 だいたい、ほとんど走るような速度で移動している最中に、ランプシェードの装飾とか細かな傷なんかに目を走らせる余裕がどこにあったというのだ。


 というか土蜘蛛の連中の観察力、目端の利かせ方はおかしい、とスノウは思う。

 そんな半夜魔の少女の沈黙をどう捉えたのか、イズマは続けた。


「だとしたら、そこから導き出される結論としては……だ。ここループしてない? 空間そのものが?」

「ループ?! ループってなに?!」


 イズマの口から飛びだした聞きなれない単語に、スノウは反射的に噛みついた。

 状況がこんがらがってわけがわからなくなっているのに、難しい単語でさらに混乱させるな、という憤りが口調にある。

 この男の話は、確認を取らずに聞いていると頭がおかしくなりそうだ。


「いやですからあ、こうね、空間とがねじれて繋がってて……」


 言いながらイズマは両手をねじって、空間の異常な繋がりを表現した。

 スノウは今度は、その人間離れした関節の柔らかさに度肝を抜かれた。

 だが、そのおかげでなんとなくだがループという現象の異常性が理解できた気がする。


「まあ要するに、いま来た側の通路と、向かおうとする通路がムリクリ繋げられてて、ボクちんたちはそのなかをぐるぐると走り回ってるだけなんじゃねえかな、と」

「あ、あー、わかった! 理解できた。輪っかみたいになってるんだ!」

「おっ、賢い! アシュレくんより賢いかも、スノウちゃん!」


 イズマは直截ちょくせつにスノウを褒めた。

 女のコ相手にはなんだって褒める男なのだが、そのへんがまだスノウには掴み切れていない。

 褒められて悪い気はしないお年頃である。


「えへへ。ってどーすんのよ、これからッ! ループしてるのまずいじゃない。しかも、どこにいったのよ、アイツら! ルカティウスと蛇の巫女はッ?! この回廊を通過したなら、奴らだってループしてなきゃおかしいはずなのに!」

「いやだからー、いまそれを考えてるんですよ。こんなのむやみに走り回っても絶対に出られないヤツなんだから」

「そうだ、足音! 足音を追えばいいんだよ。イズマ得意でしょ、振動感知! 一番最初の隠し扉も、そのまた次のヤツも、それで見抜いたじゃん!」


 いいことを思いついた、というスノウの表情にイズマはつい、と目を逸らした。


「え、なにいまの顔」

「いやあ、それがですねえ。名案とは思うんですけどねえ」

「なに、ちょっと、どういうこと、まさか。だって、さっき、ふたりの足音のどちらがどちらかを判別するの簡単だって言ってたよね。よね?!」


 襟元を掴む勢いで迫ってくるスノウを上体を逸らして躱しつつ、イズマは面倒臭そうな顔をした。

 掴みかかるのを諦めたスノウは、イズマの態度から察したのだろう。

 まさか、と両手を口に当てて息を呑む。


「そのまさか、なんだよなー。ここ振動もループするみたいでね。あっちこっちからふたりの足音が感じられる。しかも着実に遠ざかっていってるし」

「ちょっ。それどうするの?!」


 あきらかに動転した様子のスノウに迫られ、イズマはさらによくわからない角度まで首を捻った。

 常人だと首がねじ切れてしまうようなレベルである。


「うーん。ループする対象が選択式ってのもあるかもだけど。たとえば皇帝の血筋じゃねえとダメとか……でもこの国の歴史を考えると、その可能性は限りなく薄いんだよね。現にルカティウスには直系の子供は、ひとりもいない。というかルカティウス自身も養子だからなー」

「あれっ、そうなの? 皇帝って世襲じゃないの? ってそんなことが関係あんのいま?!」


 唐突なイズマの語りに、スノウがツッコミを入れる。


「いや、これは意外にも重要なお話でサ。ヘリアティウムの歴史をちょっとひっくり返してみたんだけども、おもしろいことがわかってね。ここの皇帝さんたち、良い確率で養子を取ってるんだよ。もちろんそのほとんどは王族・貴族からなんで血が薄まっているか、って話ではないかもなんだけど」

「それが……どうしたの?」


 怪訝な顔で問うスノウに、イズマはなんとも形容しがたい薄気味悪い笑みを浮かべて言った。


「端的に言うと、この国の皇帝は跡継ぎに恵まれない──まるでそのためのなにかを代償に捧げてしまったかのようにね」

「ちょっ、恐いこと言わないでよ。まさか、魔道書グリモア:ビブロ・ヴァレリに?」

「うん、それどころか……まあこれはボクちんの推測でしかないんだけれども。この国の皇帝を任命しているのはもしかすると件の魔道書グリモア──ビブロ・ヴァレリ本体なんじゃないかってすら思えてきてね」


 イズマが口の端に上らせた恐るべき推論に、スノウは絶句した。


「え、なに、魔道書グリモアが皇帝を任命するって、どういうこと」

「過去を暴く強力な魔性の品:ビブロ・ヴァレリは持ち主を選ぶ。《フォーカス》なら当然だけれど……それ自体が皇帝の証として何千年も受け継がれてきたのだとしたら」

魔道書グリモア:ビブロ・ヴァレリの遣い手が、皇帝」


 スノウはまたも言葉を失って立ち尽くした。

 他者の過去を暴き立てる魔道書グリモアの存在にスノウは激しい嫌悪を感じてきた。

 しかし、イズマの語るこの都市:ヘリアティウムの、いいや、ビブロンズ帝国が隠し続けてきたであろう事実はそのはるか上を行った。


「そんなの、だめだよ。皇帝って、その国の代表でしょう?! 人間の代表を選ぶのは……神さまか、そうでないなら人間でなきゃ!」

「スノウちゃん!」


 どうしようもない生理的嫌悪感に身を震わせながら叫んだスノウを、イズマは抱き寄せた。

 次の瞬間、なにが起きたのかわからないスノウはイズマの腕のなかから逃げだそうともがいた。

 年ごろの娘として男性に抱きすくめられることには抵抗があるのが当然だが、イズマのほうはイズマのほうでなにか必死らしかった。


「ちょいまちちょいまち! タンマタンマ、みて、後ろ! みろみろみみろおおおッ!」


 イズマの叫びに、アゴを狙って繰り出しかけた肘打ちを止め、スノウは背後を振り返った。

 そして、三度、言葉を失う。


 純白のヴェールを被った幽鬼のごとき存在が、いつのまに這いよったのか、立っていたのだ。 


 これこそ死蔵知識の墓守ノウレッジ・レイスと真騎士の乙女たちが呼んだ存在、そのものであった。





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