■第九六夜:死蔵知識の墓守(ノウレッジ・レイス)
「なんだと──これはッ」
レーヴは思わず叫んでいる。
死霊のごとき者どもは、大宮殿の廃虚、その床面に穿たれた貫通孔からまるで間欠泉のように突然に現れ、明らかな意図を感じさせる動きでもって、その場にいた生あるものすべてに襲いかかってきたのだ。
強烈な加速粒子による上空からの攻撃と続いた爆発、それらが巻き起こした火災、さらに巻き上げられた塵埃によって、レーヴの位置からはもとより黒騎士=アシュレの姿は目視が難しかった。
そこに白きヴェールを被った亡霊たちの噴出と氾濫が加わり、視界は完全に遮られてしまう。
真騎士の乙女が持つ鋭い目をもってしても、もう黒騎士の姿を捉えることは困難だ。
「くっ」
レーヴは思わず飛び出そうとした。
新たに作り直した白き翔翼をはためかせ、焦熱と亡霊たちの叫びとが渦を巻く戦場へと、黒騎士を助けるために。
だが、それは叶わなかった。
飛び込んでいくだけなら、できたであろう。
その覚悟と動機が、このときのレーヴにはすでに充分にあったのだ。
だとしたら、それを阻んだのは心の問題ではなく、物理的な要因であった。
すなわち、矢のような勢いで天空から舞い降りた真騎士の乙女の首魁:オディールの手が、飛び出しかけたレーヴの二の腕を掴んだのである。
「オディール大姉ッ?! いまさらなにをッ! 離せッ!」
「ならん、レーヴ。現実を見よ! 私情に動かされるなッ!」
抵抗するレーヴを、オディールは真騎士の乙女たちのなかでもひときわ大きな翼をはためかせ、強引に空へと導いた。
一瞬、たとえ暴力に訴えてでも振り払おうと身構えたレーヴであったが、結局はオディールに従う。
もちろん、心から服従したわけではない。
ただ、オディールの言うように無視することの許されぬ現実の脅威が、すぐそこまで迫っていたのだ。
ふたりが上空へと跳躍した直後、さきほどまでレーヴが陣取っていた場所にも、真白き死霊の腕が殺到したのだ。
「あれは……なになのだ」
「レーヴ、詮索はあとだ──来るぞッ!」
言うが早いか、オディールは光の翼を大きく羽ばたかせた。
獲物を捕らえ損ねた死霊たちが、まるで忌まわしき蟲どもが触手を伸ばすように、ふたりの乙女を狙って追いすがってくる。
「触るな、コイツらッ!」
「やめよ、レーヴ! 奴らに我らの攻撃は効かん! いや、効かんとはいわんが──あまりに分が悪い!」
思わず迎撃しようとしたレーヴをオディールが嗜める。
レーヴはこれもまた怪訝な顔を、しながらにしても従った。
「我らの槍が効かぬ?! ではやはり奴らは死霊。死に損ないどもだと、そう言うのですか。それもこんなにたくさん。これがこの都市:ヘリアティウムに隠された秘密。地下墳墓の死霊ども……」
上空へと引っぱり上げられながら、レーヴは矢継ぎ早に訊いた。
跳ねっ返りのじゃじゃ馬娘=末の妹の理解に、黒翼のオディールは苦笑を浮かべた。
「なるほど、ある意味でそれは正しい。当たらずとも遠からずといったところだ。地下墳墓な、うむ。そして、そこに封ぜられた死霊どもか。うん、近いぞ、レーヴ。オマエの推測はとても近い」
しかし、正確には違う、と正す。
「あれはな、レーヴ、墓守よ。この都市:ヘリアティウムが抱え込んだ膨大な死蔵知識のな。旧世界から受け継がれし禁断の知識の。そして、奴らはその禁断の知識を用い、犠牲者たちを変貌させる一種の装置でもある」
「墓……守? 旧世界の……死蔵知識……」
唐突なオディールの言葉にレーヴは戸惑いの声を上げた。
さもありなん、とオディールは頷く。
説く。
「わからぬか、妹よ。我ら真騎士の乙女が、どうしてあの都市を征服しなければならないか。オズマヒムを焚きつけたのは、なんのためか。あの都市の地下に蓄えられているものは……叡知などではない。あれは人類の穢れ、汚点そのものなのだ。それを消し去らねばならぬ。なぜなら穢れは、汚れは伝播する。糞尿や血泥に汚れた衣装が、飛沫を跳ばして他者の衣をも汚染するように──見よ」
確信めいて伸ばされたオディールの指先を、思わずレーヴは追っている。
そこには四方を死蔵知識の墓守どもに取り囲まれた黒騎士と彼の背中を守る女騎士の姿があった。
「黒騎士ッ!」
思わず叫び、レーヴはいま一度、腕を伸ばした。
その手をオディールが押し止める。
「無駄だ、レーヴ、我が妹よ。もう手遅れだ」
「そんなっ。ぐうう、貴様、オディールッ!」
その瞬間、パンッ、と音がして激昂して暴れようとするレーヴの頬に激が飛んだ。
オディールが聞き分けのない妹を一喝したのだ。
「心乱されるな、と言っているッ! 汚れこそは人間の本質。死霊のごときあのおぞましき者が生まれ出でたのも、そもそもが奴ら、ヒトの責任なのだ。人間たちのせいなのだよ! この世界の業苦はそこから始まった。だから、汚れは汚れた者が引き受けるべきなのだ。連中は汚れのなかに生を受けた者どもだ。変貌を遂げたとて、死にはしまい。だが、我ら気高き真騎士が奴らの接触を受ければ──それは致命的な傷となる。生命という意味だけではない……存在そのものを汚されるのだ」
よく見よ。
「あれこそが汚れに生を受けた者どもの末路よ」
オディールは狭まる包囲網に追いつめられていく男女一組の騎士たちの姿を、目を見開いて追う。
光り輝く聖剣でレーヴをも助けてくれた女騎士、いや姫君が奮戦するのが見えたが、結局は多勢に無勢だ。
迫り来る数の暴力に呑み込まれ──ふたりの姿はすぐに見えなくなってしまった。
ああ、と苦渋に満ちた呻きが喉から漏れるのをレーヴはこらえることができなかった。
力なくうなだれる妹にオディールは肩を貸し、羽ばたき続ける。
そこに真騎士の乙女三人が合流し、ふたりをエスコートする。
計五対の翼がはためき、乙女たちは一気に加速した。




