■第九一夜:グランバザールでの戦い
「躱された。やっぱり高速機動しながらじゃ、うまく狙いがつけられない。近距離ならともかく、遠距離では本のちょっとした角度がトンでもない誤差になる。どこか相手の動きを制限できる場所か、あるいはもっと背景の抜けの良い狙撃点で待ち伏せしないと、ダメだ」
そうじゃないと──出力を絞って──翼だけを打ち抜けない。
言葉にしかけた幼稚な願いを、アシュレはかろうじて呑み込んだ。
死力を尽くした戦いの最中、技を交わす度に、そんな想いが胸の内で膨れ上がるのを止められなくなっていた。
レーヴは打ち倒すべき敵だ。
それは変わらない。
だが、彼女を死なせたくない。
一瞬でも気を抜いたら自分が死ぬのに、そんなことを考えてしまう自分はおかしいんじゃないのか。
思いながらもアシュレは愛馬を走らせる。
『そういうときは罠! わたしたちが設置した罠をご利用くださいですの! というかいままさに設置中ですのよ! 大市場!』
そして、そんなアシュレの心中を知ってか知らずか、思わず漏れたぼやきに例の蜘蛛を経由してエルマが返答する。
わかっていた。
エルマの提案はあまりに正論だ。
先ほどの交戦点=四つ子の塔にも、すでにいくつも対真騎士の乙女用の罠が設置済みだった。
アシュレはただ不慣れな足場に苦戦するフリをしてレーヴとの距離を適度に保ち、大技の使用を牽制しながら、そこに駆け込むだけで良かった。
あとは四方八方から襲いかかる土蜘蛛の罠、おそらくは呪術系の拘束異能がレーヴの肉体を大地に繋ぎ止めてくれただろうに。
それなのにアシュレは正々堂々の戦いにこだわってしまった。
正確にはまだ──いや、以前よりもさらにこだわろうとしている。
きっと、高慢ではあっても清廉なレーヴの戦い方が、アシュレをしてそう思わせるのだ。
もちろんこれは一騎打ちである以前に防衛戦だから、なにがなんでも勝たねばならない。
アシュレがこの戦いに賭けたものは自分自身だけではない。
そこにはアシュレを信じてくれたシオンやアスカ、アテルイ──イズマやノーマン、バートン、そしてスノウからの信頼も載っている。
もちろん、大局観的にはこの都市:ヘリアティウムの運命も、だ。
でも、とアシュレは思う。
ただ勝つだけではダメだ、と思う。
自分が黒騎士としてこの場に現れ、解決策として一騎打ちを申し込んだのは、周囲を二〇万の大軍勢に取り囲まれ明日をも知れぬ運命に怯える市民たちを、ただ助けるためではなかった。
アシュレは彼らに希望を与えたかった。
自分たちと同じ人間が、迫り来る理不尽に立ち向かう姿を見せなければならないと思った。
そんなとき、どれほど言葉を尽くしても意味はない。
ただ己の背中でもって、それを示さねばならない。
そう思ったのだ。
降りかかる困難に人間がどうやって抗うのかを見せねばならないと、強く。
だから、この戦いの決着は罠によるものであってはならなかった。
『ちょっと、聞いてらっしゃいますのッ?! アシュレさま?!』
「ああ、うん、聞いてるよエルマ。でも、お願いだ。罠は今回はナシで」
『なあに甘ったれたこと言ってらっしゃいますのッ?! すでにおぜん立ての終わっている勝ち筋を自ら捨てるだなんて、そんなの愚か者のすることですわ! イズマさまが見てらしたらなんて言われたか!』
「バカ、アホ、マヌケって評してくれただろうね。でも──案外と笑ってくれる気がするんだ、いまのボクには」
会話を中継する蜘蛛の向こう側でエルマが大きく息を呑むのが聞こえた。
呆れられたのだ。
その間にもヴィトライオンは駆け、ヘリアティウムのメインストリート、大市場へと続くヘリオス大路へ差しかかっていた。
ここまでくれば大市場へは目と鼻の先、疾風迅雷の加護によって風の疾さを得たヴィトライオンの脚であれば一瞬の距離だ。
そこに宙を舞うレーヴは追いすがってくる。
前方を直進するアシュレは彼女にとっては絶好の的のハズだが、相変わらず後方からの射撃攻撃はない。
一騎打ちに際しアシュレと交した約束……ヘリアティウム市民を傷つけないという約定を彼女が律義に守っている証拠だった。
ヒトの騎士と真騎士の乙女の戦いに街路に出ていた人々も、あるいは屋内に閉じこもっていた女子供も鎧戸を開け放ち、食い入るようにして見入る。
その瞳には怯えと──期待とがある。
応えなければならない、とアシュレは思いを新たにする。
ヒトの心を食い荒らす絶望に立ち向かうための火を、焔に育てるために。
おそらくはエレとエルマが開け放ってくれていたのだろう門を潜り抜け、アシュレは迷路の様相を呈した大市場へと突入した。
ヘリアティウムの大市場は統一王朝:アガンティリス時代からのものを補修・改修しながらも、そのまま利用している。
全高は通路の内側で十メテルはあり、部分的には二階、三階にも店が入っている。
道幅は広いところでやはり十メテル、奥まった場所だとヒトがすれ違うのが難しい場所もある。
もちろんこれも古代統一王朝期の遺産だ。
数千年もの昔にこれほどの建築技術を振るうことのできたアガンティリスの文明の凄まじさと財力に、アシュレは鳥肌が立つ思いがする。
いったいどれほどの人間がどれほどの年月をかけてこの施設を作り上げたのだろう。
アシュレは知らず畏怖にも似た感慨に打たれている。
いま交戦点となった大市場は、その構造の複雑さでアシュレを守ってくれていた。
さすがに市は閉ざされており、ひとっ子ひとり見かけないが、これこそ願っていた状況だ。
もちろんそれは空を行くレーヴにしてもそうであろう。
「どうした黒騎士、逃げ回ってばかりではわたしは倒せないぞッ!」
背後を追走するレーヴが声を張り上げる。
一瞬、後ろを見返れば彼女の構えた槍の穂先が発光するのが見えた。
「来るッ!」
アシュレはその瞬間にはヴィトライオンに回避行動を取らせている。
ジャッ、と空気と石畳が超高速の粒子に削られる音がして、すぐ側の街路が消し飛んだ。
出力を絞ったレーヴの射撃攻撃。
闘気撃や闘気衝の応用だが、技術的にはかなり難しい部類の技だ。
アシュレも使いこなせるようになったのはごく最近でしかない。
威力は異能攻撃としては最小の部類だが、人体を相手にするのであればたとえ重甲冑を身につけていても易々とこれを貫通するのだから充分すぎる。
一発、二発、と飛来する光弾を巧みに躱しながら、アシュレは背中に冷たい汗が噴きだすのを止められなくなっていた。
人気が絶えたことでレーヴは制約の内のひとつから解き放たれた。
街路や商業施設に被害が及ぶが、それは人々を傷つけないという誓いのなかには含まれないことだ。
だが、攻撃に意識を割くようになった相手には、必ず隙が生じる。
加えて天井のある両側を壁に区切られた空間では、いかに空を行く真騎士の乙女といえど回避に使えるスペースには限りがある。
アシュレはそこに賭けていた。




