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■第八七夜:槍は交わされて


 さて、条件を取り決めたふたりは、決闘を前にして騎士の礼を送り合う。


 竜槍:シヴニールを掲げるアシュレには、その姿を階下から見守るヘリアティウム市民から歓呼の声が上がる。

 黒騎士! 黒騎士! との声さえそこには混じる。

 その様子にレーヴは塔の屋根の上で微笑んだ。


「早くも民衆の心を掴んだか、黒騎士。わたしの術を破ったな。まずは見事と褒めておこう。キミには間違いなく英雄としての資質がある。そうこなくては」


 催眠効果を持つ美声によって民衆を洗脳しようと試みたレーヴは満足げに言った。

 そこからも、民草を扇動するのは彼女の本意ではなかったと、うかがい知れる。


 アシュレはレーヴの高潔さに触れ、騎士としての昂ぶりを感じた。

 正々堂々の戦いに際していつも感じる、あの高揚感。

 ふん、とレーヴが鼻を鳴らす。

 こちらもまんざらでもない、という表情だ。

 

「だが、地を這うことしかできないキミがわたしに勝つ見込みなど、万にひとつもないがな!」


 己を澄んだ瞳で見上げるアシュレの視線をまっすぐ受け止め、レーヴは抜けるように白い手を天にかざした。

 そして、叫ぶ。

 呼ぶ。


「招来せよ! 天のいかずち! 我が腕にきたれ──雷槍:ガランティーンッ!」


 レーヴが天に向かって伸ばした腕を雷光が貫いたかと思うと、次の瞬間、轟音とともにその槍は彼女の手のなかにあった。


物品召喚アポート! 夜魔が得意とする影の包庫シャドウ・クロークとはまた別の次元間輸送手段か」

「ほう、我らが技を初見で見抜いたか。いかにもそうだ、黒騎士。我ら真騎士の乙女は、己と関係を結んだ《フォーカス》であればこのように瞬時に呼び出すことができる」

「雷槍:ガランティーン」

「そう、そうだ」


 アシュレはレーヴのかざす雷槍と己の持つ竜槍:シヴニールとを見比べる。

 よく似ている。

 おそらくはその性質も外見同様、似通っているのであろう。


「ふん、見ればキミの携える《フォーカス》……どうやら過去に我ら真騎士の手から遺失したもの。ヒトの手に渡っていたか」

「この槍こそは我が先祖が正式な一騎打ちで真騎士の乙女を打ち負かし、その証に捧げられたもの。名を告げるは我が家門を名乗るに等しいゆえ、容赦されたい」

「キミとその祖先を疑ってなどいないよ。《フォーカス》は持ち主を選ぶ。《フォーカス》の試練に打ち勝ち、槍に認められているというのであれば、キミが現在の正統な主であることは明白」


 あっさりと所有権を認めたレーヴに、む、と小さくアシュレは唸った。

 ただ、とレーヴが続けたからだ。


「ただ、わたしが知りたいのはその槍の元の所有者がその後どうなったか、ということだ」

「我が家に伝わる伝承では──聖イクスの教えに帰依し、修道女となって世のために尽くしたそうだ」

「それは……まことか」

「誇張はあるだろう。秘された事情も。しかし、我が先祖が嘘偽りを持って伝来の槍の履歴としたとはとても思えない」


 アシュレの答えに、レーヴはもう一度、鼻を鳴らした。

 この若者は自分の言葉が主観でしかないことを認め、その上でできる限り誠実に話そうと心がけている。

 誠実さは、その人間固有の特質ではない。

 ヒトの誠実さは、その人間がだれに、どのように、あるいはいかなる物語を持って編み上げられたかという……いわば彼個人に接続され集約された一族の歴史そのものだ。

 

 余談だが、竜槍:シヴニールを携えた真騎士の乙女は、アシュレの先祖つまりバラージェ家のその時代の当主に敗れた後も、シヴニールを振るうことを許されていた。

 修道女というのも世を欺くための身分のひとつに過ぎず、バラージェ家の当主とともに民草を護るため暗闘に身を投じた女性であったのだ。

 つまるところ捧げられたのは槍ではなく、槍の持ち主の心の方であり、彼女がこの世を去るとき彼への愛の証として槍は贈られた、というのが真実である。


 本人も知らぬことゆえ真相を知ることはできないが、真騎士の乙女の槍はそれを振るう乙女以上と呼ばれる高潔さを誇る。

 その気難しさは一角獣ユニコーンにもたとえられる気難しさ。

 簡単に主を認めるわけがない。

 仮に強奪などしようものなら後悔するヒマも与えぬほどに手酷い報復が待っている。

 であれば、黒騎士の語ることは真実に違いない。

 それが《フォーカス》を所持する、という意味だ。


「なるほど、キミの言葉に偽りはない。認めよう」

「ありがとう。あらゆる褒め言葉に勝る栄誉だ」

「だが、だからといって手加減はしない。槍それそのものを取り戻さずとも、槍の遣い手を我が物とできればそれは結果としては同じことなのだからな」

「それはこちらのセリフだ。その槍:ガランティーンは、わたしのそれと同等の武具と見受けた。であれば、このように家々が建ち並ぶ界隈での使用には大幅な制限がかかるはず。民草を傷つけぬというわたしとの約束がまことなら、上空から攻める貴女にとっても扱いづらい武器のはず」

「これは公平性フェアネスというものだ、黒騎士。不利な条件下で負けたあとで難癖をつけられてはたまらんからな」


 言いながら、レーヴは騎士の礼を取って見せた。

 そうしながらも己が高揚しているのを感じる。

 自分が望んだ戦いがここにある、と感じたからだ。

 

 応じるように黒騎士が盾を構えた。

 次の瞬間、ふたりは同時に動いていた。


 先手を取ったのはレーヴであった。

 神速の突きがアシュレに襲いかかる。

「くっ」

 すかさずアシュレはヴィトライオンにステップを切らせた。

 巧みに脚を組み替え、愛馬は騎士の指示に従う。

 ギイイイイン、と絶妙の角度で突撃を受け流した盾の表面で盛大に火花が散る。

 同時にヴィトライオンの馬体が、空中にありながら水のなかに沈み込むような動きを見せた。


「ん?」

 不思議な手応えに驚いたのはレーヴである。

 下方への跳躍からの刺突。

 屋根に激突するスレスレで軌道変更して急速上昇。

 上空に逃れる。

 このような一撃離脱戦法は真騎士の乙女たちの得意技ではあったが、そのなかでもレーヴは屈指の名手であった。

 それを凌いで見せただけでも黒騎士の技量は称賛に値するが──なんだいまの感触は、と思った瞬間だった。

 

 チカッ、と真下の屋根が光を放つ。

 いや違う、いまのは反射だ。

 放たれた光を反射して、屋根が光って見えたのだ。

 では、どこからだ。

 光はどこから放たれた?!


 危機を察した真騎士の乙女は肉体を回転させながら急激に持ち上げた。

 そして見た。

 黒騎士が自分の上を取っているのを。


「バカな!」


 思わず驚愕が口から漏れる。

 どうやった、いまのは。

 考える間もなく手にする雷槍:ガランティーンに《スピンドル》を通す。

 形成された光の穂先が上空から降下してくる黒騎士のそれに接触して、対消滅を起こす。

 プラズマが飛び散り世界が白光に包まれる。

 だが、黒騎士の攻撃はそれだけではなかった。


「くっ、うっ」

 ぐん、と自身が地面に向かって引かれるのをレーヴは感じた。

 腰から伸びる光の翼、その片方が言うことを聞かない。

「なんだこれは!」

 レーヴは黒騎士の盾から伸びる不可視の力場が、まるで投網のごとくに翼を捕らえて引きずり込もうとしているのを見た。

 自力で抜け出すことは不可能だと即座に判断し、技を切る。

 不可視の力場は捕らえるべき対象を失い、レーヴを手放す。

 真騎士の乙女は即座に異能を発動させ、翼の加護をかけ直す。


 この間、一秒もない。


 屋根の上になんとかレーヴが着地を決めたときには、黒騎士は愛馬を走らせ彼方に遠ざかりつつあった。





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