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■第八三夜:我、道化を装いて



 真騎士の乙女たちは己の伴侶に人類の英雄を求める。

 であるからには……当然、恋人であり妻である自分自身にも英雄的振舞いを強いる。


 だから、その攻撃は正々堂々とした一騎打ちか、敵軍を正面から相手取った戦いに限られるであろうと予測されていた。

 それがまさか、このような手段に訴えかけてこようとは。 

 エルマに呼び掛ける自分の声にも焦りがあることを、アシュレは自覚している。


「そっちからなんとか出来るかい?」

『呪術ではないので同じく呪術でもって解呪することは難しいんですの。高い塔と塔の間には何箇所か、真騎士の乙女どもが侵入してきた場合を想定して罠が仕掛けてありますけれど、速度が違いすぎて……うまく追い込めるかどうか』


 こちらも珍しく自信なさげな答えが帰ってきた。

 今世紀最強レベルの土蜘蛛の凶手姉妹をして追いつけないと言わしめるとは、なかなかあることではない。


 むう、とアシュレは無意識にしても唸っている。

 たしかにいま、ヘリアティウム上空を擦過していく真騎士の乙女の姿は優雅で優美に見えるけれど、地を這い駆ける人類など相手にならぬほどに速い。

 ましてやここは市街地。

 それも戦時であるから、それぞれの街区の扉は閉じられ、壁で完全に仕切られている状態だ。

 空を見上げて姿を追おうにも、壁が視界を遮る。


 こうなってしまっては、土蜘蛛たちが得意とする雲猿風脚クラウドモンキー・ストライドの超人的体術を持ってしても、追撃は容易なことではない。

 

『これはまずい。まずい感じですの。黒曜こくよう海の守護者=大海蛇:シドレラシカヤ・ダ・ズーが嵐とともに姿を消し、白騎士まで失った。そのショックが人々の心を蝕んでいますの。洗脳の感染拡大が……止まらない』

『アシュレ、こちらはエレだ。全速で追っているが……姿を隠したままでの追跡には限度がある。どうする?!』


 土蜘蛛姉妹からのほとんど悲鳴のような連絡を同時に受け、アシュレは下唇を噛んだ。

 そう、エレが言うように、自分たちはこの都市としには本来存在しないはずの人間なのだ。


 今日の戦いを傍観したのもそれが理由だ。

 たしかにヘリアティウムを防衛するとは決めたが、それはあくまで暗闘であって歴史の表舞台に立ってのものではない。

 そうであってはならない理由がアシュレたちにはある。

 だが、事態はすでに抜き差しならぬレベルで逼迫ひっぱくしていた。


 上空を舞う真騎士の乙女による洗脳を止めぬ限り、ときをおかずして、この都市まちは大混乱に陥る。

 降伏を呼び掛ける声が市民全員に効果を及ぼすかどうかはわからない。

 だが、民衆とは大勢になっただけで簡単にヒステリーに陥る存在であることも、認めざるを得ない事実だ。


 アシュレは街区の屋根の上を擦過しながらうたう乙女の姿に、人々がまとう理性という名の衣服に火を着けて回る魔女の姿を見ていた。

 

『どうするアシュレ?! すでに市民のなかにはパニックの兆候が現れはじめている!』


 エレの報告を聞くまでもなかった。

 いまアシュレが見下ろす街区でも、真っ黒な衣装を着た修道士たちが天を見上げ、黙示録の一節を唱えながら喚きはじめたところだ。

 信仰は人々の規範であり精神的支柱でもあるが、ときにそれは過剰となり、行き過ぎればパニックの引き金=盲信ともなる。

 特にこのヘリアティウムに暮らす民は、精神的スピリチュアルな世界観を重要視する国民性で西方諸国では知られていた。


 だとしたら──迷っている時間など、もうない。

 このままでは民衆はあっという間に恐慌に呑み込まれ、総崩れになってしまう。

 そうなったら、日没を待たず、ヘリアティウムはオズマドラのものとなり……その地下に眠るという魔道書グリモア:ビブロ・ヴァレリの探索は困難を極めるものとなるだろう。


 事態の進行を阻止するには、すぐにも決断しなければならなかった。

 それもボクがだ、とアシュレは思う。

 イズマ不在・残留組の司令官は自分であるとアシュレは宣言していたし、それは他のメンバーも認めるところである。

 戦隊の意思決定はいまやアシュレの判断ひとつにかかっている。

 わかっていた。

 戦うか否か、決めるだけならばたやすいことだ。


 本当の問題は事前の予想を上回るこの展開をどうやって凌ぐか、だ。


 恐ろしい速度で着火されていく狂気の炎をひとつひとつ鎮静化していくことなど──どう考えたって間に合わない。

 かといって空中を高速で飛び回る真騎士の乙女を、竜槍:シヴニールで狙撃するのも得策ではない。


 なぜってこんな人口密集地で狙いが外れたら──いや、よしんば直撃したところで真騎士の乙女のような小さな標的では、破壊力の大半が貫通して背景の都市に甚大な被害が生じてしまう。

 街区の扉が閉じられた状態で大規模火災や爆発など起きたら、被害がどこまで拡大するのか予想もつかない。


 ならば、どうすればいいのか。

 どうやって狂気の感染を防ぎ、なおかつ敵がこれ以上の洗脳を進行させるのを阻めばよいのか。


「アシュレ……」

 数秒考え込んだアシュレに、シオンが声をかけた。

 じっくり考える時間が欲しいが、猶予はない。

 しかし、アシュレから返ってきたのは想像の斜め上を行く問いかけだった。


「決めた。ごめん、シオン、なにか手頃な布はないかな。顔を、正体を隠せるような」

 アシュレの返答にシオンは息を呑んだ。


 顔を隠す、といまこの男は言ったのか。

 頭部全体を覆うヘルムではなく。

 板金装甲ではなく、ただ人相だけをごまかすための覆面のごときものが欲しい、とこの男は言ったのか。

 正体を隠すものが必要であるとは、それはつまり、人前に己をさらすと決意したということではないのか。


 シオンが己の想像に言葉を詰まらせるいっぽうで、アシュレの左手は壁に預けてあった盾を引き寄せていた。

 聖なる盾:ブランヴェルが主の《スピンドル》の高まりを感じてヴンと唸りを上げる。


「まさか……まさか、そなた」


 このときにはもう以心伝心──シオンにはアシュレのしようとしていることが、完全にわかってしまった。

 戦うつもりなのだ、あの真騎士の乙女と、しかも姿をさらには可能な限り素顔をも、さらして。


「バカな、危険すぎる!」

 シオンの指摘は端的だった。

 その正しさに唇の端を歪めて、アシュレはわらう。

「バカなことだってわかっている。けれどもこのまま彼女たちの思惑通りにさせておいても、結果的には同じことになるんだ。打つ手がなくなるって意味でね。それなら、賭けてみよう。ボクに、あの白騎士のマネが出来るかどうかわからないけれど」


 このまま敵の思うように煽られて狂気の炎に呑まれてしまうくらいなら、とアシュレは続けた。


「敵に火を着けられてしまう前にボクが火を着けたらいいんだろ、みんなの心に? どうせなにに・・・煽られても燃えてしまうなら、ボクが燃やせばいいんだ。火は最初につけた者のものだ。だったらボクが──みんなの心に燃焼を与えてやる」


 言いながらアシュレはシオンに例の布を催促した。

 やれやれ、と観念したように溜め息をつきシオンは影の包庫シャドウ・クロークを呼び出す。

 そこから数秒後、特徴的な紋様の編み込まれた黒い長ストールが姿を現した。

 バカをしようという自覚だけはあるみたいだな、と夜魔の姫は詰め寄った。

 それから言った、


「さしあたっては、これを使え。急に言われても顔を覆うだけの布など簡単には用意できぬわ。それにいまからそなたがやろうとしていることは……それなりに目立たねばならぬのだろ?」

「さすがシオンだね」 


 自分の意図が伝わっていることにアシュレは微笑んで、自分の背丈くらいはあるだろう長いストールを受け取ると、普段よりもしっかりと、特に首から口元が隠れるように巻き付けた。

 人相は分かりにくく、しかし、自分という存在を誇示できるように、あえて特徴的な巻き方をする。


「これ、シオンの匂いがする」

「もとはイズマの持ち物だ。脚長羊の胸の毛だけで編まれている。あまりに具合が良いのでな、奪ってやった」

「胸毛……その……由来は聞きたくなかったなあ」


 緊張をほぐそうとしてくれているのか、そっぽを向いて答えるシオン。

 アシュレは微妙な笑みで返した。

 

「なんだ、わたしの下着のほうがよかったか」

 アシュレを横目で見て、あきれたようにシオンが言った。

 もちろんわざとだ。

 アシュレはもうそれがわかる。

「そんなので顔を覆って現れたら、みんな仰天するよ」

「目立つことだけは請け合いだぞ」


 言うまでもないことだが、戦列を組む者同士の軽口は、圧倒的な信頼の証でもある。

 これはいつか、はじめて出逢ったあの日に交わした会話と同じなのだ。


 さて、差し出されたストールを巻き終え、武装を引っつかむと、アシュレは階下を見た。

 するとアパルトメントの中庭の真ん中あたりを、出番はまだか、という様子でヴィトライオンがこちらを見上げてはウロウロしているのが見えた。

 出番はまだか、と催促する目だ。


「どうやら馬もやる気だな」

「よし、いこう!」


 叫ぶが早いか、アシュレは塔から身を躍らせた。

 同時に自らに疾風迅雷ライトニング・ストリームの加護を垂れる。


 シオンが言うように、バカなことをしようとしている、という自覚だけはある。


 なぜって、そう、いまからボクは挑むのだ。

 なにを? 

 だれに?

 決まっているじゃあないか、と笑う。


 彼女に──一騎打ちを、だ。




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