■第八〇夜:糖衣は剥ぎ取られよ
「さああああッ、征くぜッ、大将ォッ!」
怒号と砲声とが奏でる戦闘音楽を切り裂いて、狂信の白騎士:ガリューシンは単騎で駆ける。
すでにその姿は乗騎とともに走破性を極限まで高める異能:疾風迅雷の加護を受け、疾風と化している。
かなり訓練された軍馬であっても流れ込む《意志のちから》=《スピンドル》の匂いに、そのほとんどが拒絶反応を示すため、乗騎に異能を使用する戦術はこの時代にあっても確立されていない。
一部の騎士たちが個人的に用いる程度。
もちろん、愛馬との信頼関係という非常に個人的な条件を満たした上でだ。
それを、一〇〇年前に死んだはずの男は当たり前のように行使した。
秘密はまたしても、いま彼が握る聖剣:エストラディウスにある。
そう、聖剣とガリューシンの共振がもたらす狂信が、乗騎である白馬にも作用しているのだ。
しかし、真に驚くべきはこのとき相対する敵=オズマドラ大帝:オズマヒムもまた、彼と同じく自らが跨がる天馬のごとき騎馬に対し、まったく同じ加護を垂れていたのだ。
颶風の勢いを得た二者の相対距離はみるみるうちに詰まり──戦いは一気に緊迫する。
ドキンッ、と重金属同士をぶつけ合う音よりも速く強力な衝撃波が戦場を走り抜け、弾けたエネルギー飛沫が周囲の表土を抉り、剥ぎ飛ばした。
戦場に倒れた兵士たちの屍が千切れ飛び、四散して塵に帰る。
激突の瞬間、両者は互いの剣に、そして両手の槍に《スピンドル》を通し異能を行使したのだ。
ガリューシンのものを魔王穿つ聖尖衝。
オズマヒムのものを天墜とす輝槍撃。
突撃技の部分だけを抜き出してみればいずれのそれも、アシュレの得意とする屠龍十字衝に比肩、あるいは凌ぐ威力を持つ。
さらに今回は疾風迅雷の加護によって強化された乗騎の速力が加わる。
それはまさに想像を絶するエネルギー。
そして、当然、両者の激突はとてつもない大破壊を周囲にもたらした。
まず、オズマドラの新兵器=大砲と榴弾の破壊力など比べ物にならない。
大地は文字通り抉り取られ、石礫が数百メテル離れた場所に展開していたオズマドラ陣営にさえ届いた。
土煙で明らかではないが、爆心地となった地点はまちがいなくクレーターのごとき様相を呈しているだろう。
大帝の戦いをはるか後方で見守るオズマドラ帝国親衛隊と家臣団も、狂信に心を焼かれ身の危険も顧みず頽れたかけたヘリアティウムの城壁に登り成り行きを見守っていたヘリアティウム防衛軍も、その多くがこれまで《スピンドル能力者》たちの《ちから》が《閉鎖回廊》のような人外魔境や特別な聖地での行使に限定されてきたことの意味としあわせを、このとき初めて目の当たりにし、実体験として噛みしめた。
そして、それもつかの間。
ドキンッ、ドドドドキンッ──両陣営で見守る人々の鼓膜をさらなる撃音が震わせた。
示し合わせたように次々と土煙が巻き起こり、衝撃波が、亀裂が地面を走る。
打ちあっている──それも常人には目視が難しい領域で、超技・絶技を応酬しあいながら両雄は打ちあっている。
ときおり土煙の切れ間に、閃光と剣戟が瞬き、互いが死力を尽くす姿が見える。
いったいその戦いはどれほどの間、続いたのか。
正確に把握している者は、このときいなかった。
精神世界を大事にするあまり現実を見ないと揶揄されがちなヘリアティウムの民はともかく、ヘリアティウム解放後の統治を速やかに行うべく随伴したオズマドラ帝国の文官たちも、記録を残すことすら忘れて英雄同士の戦いに見入った。
地を埋め尽くし、あるいは城塞の影から固唾を呑んで見守る両軍は、このときすでに観衆であり、完全にふたりの戦いに魅入られていた。
気がついたときには陽は中点をとうに過ぎ、午後の日差しが周囲を照らしはじめていた。
足下を見ればいつのまにか降り出した雨が大地を濡らし、いまは──もうすでに乾いてしまった跡がある。
見上げれば遠く過ぎ去った黒雲の隙間から降りる光が、天上の世界へと続く階段のごとく世界に射している。
恐らくは巨大な嵐が両軍の頭上を通りすぎたのだ。
だが、だれもそのときの記憶を持ち得ない。
否、思い出せぬのだ。
まるで両雄の戦い以外を見ることはならじ、とそれぞれが信じる神が定めたもうたように。
神代に語られた叙事詩のごとき体験を、このとき居合わせたすべての人々が体験した。
そして、それは刃を交える両雄もそうであったのだろう。
「たのしいなあ。おい、そうだろう、アンタ。こんなに楽しいのはひさしぶりだぜ?」
「…………」
ガリューシンは甲冑のフェイスガードを押し上げ、穿たれた無数のクレーターで断崖のごときありさまとなった対岸に、たったひとりたたずむ超戦士に呼び掛けた。
いっぽう両頬と鼻筋を守るスタイルのオープンヘルムの下では、無言で大帝がちいさく笑みを広げた。
繰り広げられた戦いの激烈さ。
互いの技量の卓越と身体能力。
そして、無尽蔵とも言えるスタミナの見事さについて異論を挟む者は、だれひとりとしておるまい。
それは当のオズマヒム本人にしても、そうだったらしい。
凪いだ湖面のように静かだったその顔に、わずかにしても喜色が覗いて見えたのだから。
そんなオズマヒムの様子にガリューシンは言葉を投げ掛けた。
「しかし、オズマドラの大帝よ。どうにも解せぬことがひとつある。それはアンタの異能行使能力についてだ。オレはいいぜ、歩く大聖堂みたいなもんだからさ。オレが神の実在を信じ、そのオレを信じる人々がある限り、オレの意志は砕けない」
だが、と言葉を切って、ガリューシンは目をすがめた。
「だが──ふつうの人間は……おっと《スピンドル能力者》は普通じゃねえが。それでもあえて言うぜ? 普通の《スピンドル能力者》は《閉鎖回廊》の外で、これほど立て続けに大技を繰り出せねえはずなんだ。技を繰り出せねえってわけじゃねえが、代償が厳しすぎて音を上げるか、過負荷に耐え切れずに死んじまうかどっちかなのさ」
皮肉げにその唇が歪む。
「なぜなら《スピンドル》は《意志のちから》だから。世界が《意志》を否定している場ではうまく回らないのさ。この世界は人間の《意志》を否定している。思い通りにはならない。願いも祈りも、通じない。そして、だからこそ特殊な場──《閉鎖回廊》や聖地のように《ねがい》が《ちから》を持つ限定空間でのみ正常に働く」
だのに。
ガリューシンは左右に首を捻って見せながら言った。
「だのに、アンタ、オズマヒム。アンタは、これほどの応酬を経てなお平然としている。不思議じゃないか。オレはそんな人間をオレ以外には知らない。いや、裏技は色々あるんだぜ? たとえば、真騎士の乙女をたぶらかして、その加護を得てみたりだとか……なにしろ彼女たちはある意味で小さな《閉鎖回廊》を自分たちの内側に封じてるようなレディたちだからな?」
片眉をつり上げ、役者のごとき表情を作ってガリューシンは訊いた。
あるいは事前にオズマヒムの過去をガリューシンは己が忠誠を捧げた文人皇帝:ルカティウスと過去を暴く魔道書によって知らされていたのかもしれない。
だからこれはオズマヒムの心の傷にワザと触れる、あるいは国家レベルのスキャンダルに言及する舌戦でも、あるいはあったのかもしれぬ。
だが、問われたオズマヒムは微動だにしない。
わずかな微笑を浮かべたまま、悠然とガリューシンを見つめるだけ。
「世界に冠たるオズマドラの大帝に下世話な話題は失礼だっかな? いや、アンタほどの英傑ならば、あるいはそういうのもありなんじゃなねえかと思ってね? 真騎士の乙女のひとりやふたり……。いいや、チガウか、これはこの感じは……」
ガリューシンはオズマヒムの兜の上で燃え盛る瞳のごとき炎を睨みつけて、言を翻した。
「アンタ……もう半分人間じゃねえな……オレが言うのもなんだが」
半ば自嘲めいた白騎士の問いかけに、オズマヒムは答えなかった。
だが、ガリューシンは見逃さなかった。
オズマヒムの浮かべた笑みから、目に見えぬなにかがごっそりと抜け落ちるのを。
先ほどまであった戦いへの充足と喜悦が消え失せ、そのかわりに高邁かもしれないが、空疎ななにかが彼のなかに満たされていくのを。
今度は、ガリューシンが笑みを浮かべる番だった。
「どうやら図星か。オレの場合は肉体が、アンタの場合はまず心の側が、という感じだが」
まあ、どっちが良いとか悪いとか、そういう話じゃねえんだが。
笑みを広げながら馬上の白騎士は、表皮を抉り取られた大地を剣先で指した。
「見ろよ、アンタ、オズマヒム。オレたちの足下を。この世界の薄い表土の下に隠されたものを」
一〇〇年前の騎士が指し示す先には、先ほどからの激闘で抉られた大地があった。
そして、その下で、数千年の年月に耐えひっそりと息を潜めてきたものが。
それはいかなる材質でこしらえられたかわからぬ、真っ白い、生物の内臓のごとき印象さえ抱かせる、打ち捨てられた超古代の遺跡群であった。
ガリューシンはそのありさまを、なぜか懐かしそうに見やって囁いた。
それから訊いた。
同じく地下に眠っていた超古代の遺物──はるか数千年の昔に歴史の帳の向こうに去った統一王朝:アガンティリスの抜け殻を眺める男に。
「そうだろう、オズマヒム。だからアンタは来たんだな。ここへ。己が信じ闘ったものが、その理由が真であるかどうかを……つまり神の実在を確かめに。いいぞ、とてもいい、そこまで含めてオレと同じだ」
ガリューシンの問いかけに応えはない。
ただ、風が答えるのみ。
どこかで羽音が聞こえて。
そして……いつのまにか夕暮れになり勢いを増した海風が鳴いて──次の瞬間──天空から放たれた焦点温度一万度を超える光条が、白騎士の姿を大地ごと消し飛ばした。




