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■第七四夜:赴く理由


「ずいぶんと雑然としていることだ。これでは我らが真騎士の乙女の列に加わることなど、とてもできんぞ。常に整理整頓。己が身はいついかなるときも清く保たねばな、殿下・・


 入口に立つ歩哨を実力で押しのけ天幕を潜った黒翼のオディールは、開口一番そう言った。

 なるほど、その皮肉にも一理ある。

 わずかに酒精アルコールの香りすら漂う天幕のなかは、手のつけようがないほどの散らかりっぷりだ。

 ガリューシンの追撃とシドレラシカヤ・ダ・ズーが呼び出した巨大な嵐を躱し、蛇の神殿からなんとか自陣に辿りついたアスカは、荒れていた。

 魔道書グリモア:ビブロ・ヴァレリに関する重要な情報を入手することには成功した。

 真騎士の乙女たちの狙いについてもこれ以上ないほどの精度で確信を得た。

 さらにこの世界:ワールズエンデの謎に関する手がかりにさえ触れることまでできた。


 アスカは帰還してすぐ、それをハヤブサに託してアシュレたちに届けさせた。

 

 しかし、その代償はあまりに大きかった。

 幽体離脱と憑依の技を使い敵情偵察を試みたアテルイは、敵の陥穽かんせいにはまり囚われた。

 肉体だけはなんとか連れ帰ることができたものの、意識体がカラダを離れたままいったい何日の間、仮死状態でいられるものなのか。

 せいぜい数日がよいところ、とその技を用いてかつて幾度となく自分を助けてくれた副官の口から、アスカは直接に制限時間を聞いている。

 そして、蛇の神殿から持ち帰った己自身に関する真実が、さらにアスカの心を乱していた。


「訪いの予告もなく王族のねやを訪れるとは……この場で首を刎ねられても文句はいえんぞ、黒翼の」

 

 殺意のこもった低い声が、うずたかく積み上げられた調度品の峰々の向こうから聞こえてきた。

 いっぽう黒翼のオディールはふふん、と鼻を鳴らし肩をそびやかしただけだ。


「大帝からの勅使である、と言えばたとえ第一皇子だろうと平伏して拝聴せねばならん。それがオズマドラのしきたりであろう?」

「貴様──大帝をたぶらかす奸賊かんぞくめが!」

 がらくたの城壁を挟んでのやりとりは、どこか現在のオズマドラ帝国軍とヘリアティウムの状況を彷彿とさせた。

 アスカからの罵倒に、真騎士の乙女は瞳を細めた。

「帝都の中庭でなにを見て、なにを聞いたのか、キサマは。我らはオズマヒムの協力者だ。客将、となるのか? これまでの言動は第一皇子という立場に免じて聞かなかったことにしてやる。だが、我はいまや大帝の勅使としてここにいる。今後の態度次第では、その首をねることもやぶさかではないぞ、アスカリヤ!」


 言うが早いか、オディールは外套をひるがえし、調度品の残骸が作り上げた境界線を飛び越えた。

 敷布に据えられたクッションの山に座したアスカの眼前に立つ。

 オズマドラ第一皇子は、無言で真騎士の乙女を睨み返す。

 ラピスラズリの瞳の奥には、青い炎がチラチラと燃えている。

 それを見て、オディールはほう、と唸った。


「荒れてはいるようだが──腑抜けてはいないようだな」


 アスカの手元を見下ろし、そこにあるものを認めてオディールは笑った。

 敷布の上に反物めいて広げられていたのは、無聊を慰めるための酒や酒肴の数々ではない。

 精密に描かれたヘリアティウムとその近辺の地形図である。


 アシュレたちに自身が入手した情報を届けた後、アスカは感情を爆発させ暴れ回った。

 だが、それはヒトやモノに当たり散らすためではない。

 そうすることで己の感情をコントロールし、冷静さを取り戻し、アテルイ救出のための方策を練っていたのである。

 天幕に漂う酒精アルコールの香りは、鎮静の霊薬エリキシルのものである。

 

「天幕に篭り他者を排してなにをしているかと思えば……ヘリアティウム攻略のための方策を練っていたか。これは、ふむ。けっこうけっこう」

 わざとらしくオディールは感心して見せた。

 そしてこちらもそっけなく、アスカは言った。

「なんの用だ。わたしは忙しい」

「それは失礼したな。だが、この勅書を読めばその忙しさからも解放されるぞ」


 オディールの差し出した父:オズマヒムからの勅書を一秒、睨んだあと、アスカは引ったくるようにしてそれを捥ぎ取り、封を解くのももどかしいという様子で読んだ。

 それから、愕然とした表情になった。


「今回のヘリアティウム攻略戦は……観戦せよ……だと」


 アスカが目を剥いたのも当然だ。

 観戦とはつまり、黙って見ていろという意味だからだ。

 その様子を見たオディールがなぜか丁寧に解説した。


「よく読むがいい。勅書の内容はこうだ──状況によっては翌朝、ヘリアティウムへの攻撃を砲撃によって開始する予定がある。“砂獅子旅団”とその司令官たる第一皇子:アスカリヤは自陣に留まり、戦いの趨勢を見極めよ。今朝の不意の竜巻のこともある。また眼前で行われる海戦において、我が海軍の支援と有事の際の援護に努めよ。どうだ、相違ないな?」

「別命あるまで防衛戦等を除いた戦闘は極力避けること……これではなんのために戦支度して出向いてきたのか、わからんではないか!」

「後詰めのための予備戦力を確保しておくことは王者の戦の常道だ。それに、大帝はアスカリヤの本当の出番は、この戦いの後だと考えているのではないか?」

「知ったような口を!」


 立ち上がり襟首を掴みにきたアスカの指を、オディールは払った。

 大帝:オズマヒムからアスカに与えられた命令は、じつに消極的なものであった。


「戦場では不慮の事故が起るもの。城塞が砕けるときに散った小石ひとつでヒトは簡単に死ぬ。父として子を想うオズマヒムの心であろう」

「貴様ごときがッ、父上の、とうさまの心を代弁するなッ!!」


 激昂の兆しを見せたアスカに、オディールは笑みを広げた。

 それは我が意を得たりとも取れるような、自分の読み通りに物事が進行しているときにヒトが見せる、あの麗しくも狡い笑みだ。


「左様左様。たしかにこのめいには父が子を想う心が現れてはいる。しかし、子が父にどのように・・・・・見られたいか・・・・・についてはまったく配慮されておらぬ。そう言いたいのだろう?」

「なにぃ!」


 すでにアスカは数発、拳を繰り出してオディールの傲慢な語りを止めようと試みていた。

 理性ではなく反射的な行動。

 素早いステップと体裁きから繰り出される実戦的なコンビネーションは、見た目以上に剣呑な本気の攻撃である。

 それを苦もなくいなしながら、オディールは続けた。


「父との関係を揶揄やゆされたくらいで、たやすく激昂するんじゃあない、アスカリヤ」

「なんだと!」

「そこにキサマのコンプレックスが透けて見える、と我は言っているのだ」

 

 それに、とアスカの拳を受け止め、続くボディーブローを肘で巧みにガードしてオディールは応じた。


「勅書の内容はそれはそれとして、だ。我にはキサマの気持ちがわかるぞ」

「気持ちが……わかるだと」


 すべてを見透かしたようなオディールの態度に、全身の血が一瞬で沸騰するのをアスカは感じた。

 怒りに瞳が赤く染まる。

 グゥウン、と呼応するように両脚の告死の鋏:アズライールが振動した。


「ふざけるなッ!」

「ふざけてなどいない。キサマのその想いは、己が戦場に立ち殊勲を上げることでしか──父の役に立つことでしか満たすことはできないと、そう言っているのだ」

「わかったようなことを!」

「聞け、アスカリヤ。たしかに大帝の勅書は自重を促す文面になっている。それは父の想いからだが、結果としては父の息子・・・・として武勲を上げたいキサマの願いを踏みにじっている」

「なにが言いたいッ!」


 牙を剥き威嚇する猛獣のように詰め寄るアスカに、オディールは微笑む。


「勅書をよく読め、と言っている。今夜、オズマヒムはヘリアティウム全市民と皇帝:ルカティウスに対して全面的な降伏勧告を行う。そして、それに応じぬ場合に限り、砲兵隊を中心とした攻撃を城壁に対して行う。これは自軍の戦力を見せつけるためだ。それに呼応するようにゴールジュ湾の入口に海軍を進め、海と陸の両面で、ヘリアティウムを完全に孤立させる」

「そんなことは、勅書を読めば一目瞭然だッ!」

「だから、聞けと言っている! この都市は太古の昔から蛇の巫女に守護されてきた。雷と嵐と地震の化身・蛇の巫女たちにだ。そこにキサマの父:オズマヒムは船を寄せようとしている。無論、攻撃のためではない。まず楽の音と歌で人民に呼び掛けるつもりなのだ」

「悠長なことを」

「それが大帝のやり方なのだ。オズマヒムという男が真に願った統治者としての英雄のあり方なのだ。だが、問題はそれを件の蛇の巫女は許すまい、と我は言っているのだ」

「蛇の……巫女……シドレラシカヤ・ダ・ズー」

「ほお、すこしはものを知っているようだな」


 そのとき、アスカの喉から漏れたうめきにも似た言葉の意味を、たぶんオディールは正しくは理解できていなかっただろう。

 このとき、ひとことでは言い表せぬ複雑すぎる感情が、アスカの胸中を駆け巡った。

 激昂を止め、胸を押さえたアスカにオディールは息をついた。

 やれやれ、ようやく我が意を理解したか、という表情。

 もちろん本当はそれは勘違いなのだが、己の絶対正義と優位性を信じる真騎士の乙女は疑念を挟むことはなかった。


 高潔であること。

 有能であること。

 優雅であること。

 圧倒的正しさに生きること。


 自分たち自身こそがそれらを体現していると自負する真騎士の乙女たちは、その実力と自尊心に比例して慢心するのだ。

 己の正しさと弱さに迷い傷つきながらも歩む人類との、決定的な精神構造の違いである。

 オディールはその正しさのまま、己の信じる筋書きを語る。


「そう、はるか古の昔からこの都市を守護してきたシドレラシカヤ・ダ・ズーが、このまま黙ってオズマドラ帝国の海軍約七〇〇〇の接近を許すだろうか。それはありえまい。キサマもそう思うだろう? そこで、だ。勅書の話に戻るのだ、アスカリヤ」

 そこにはどう書かれていた?

 促すオディールに、アスカは思わず握りしめたままだった手紙を読み直した。

「今朝の不意の竜巻のこともある。また眼前で行われる海戦において、我が海軍の支援と有事の際の援護に努めよ……」

「防衛戦闘に限り、これを許可する、ともあるな」


 目を細めて笑うオディールの言葉の意味がアスカにもようやく理解できてきた。

 要するにオディールは焚きつけに来たのだ。

 アスカをシドレラシカヤ・ダ・ズーにぶつけてその戦力を削ごうというのである。

 一瞬、アスカはシドレとの密会を勘づかれたのかと危惧した。


「なぜ、わたしにそんな話を持ちかける」

「特に他意はない。ただ、あえて理由を言うのであれば件の蛇が厄介だから、というひとことに尽きる。今朝の竜巻、あれも間違いなくこの蛇の仕業だろう。であれば、彼奴きゃつめは《閉鎖回廊》外でも己の能力を存分に発揮できるわけだ。我らと違ってな」

 我やキサマと違って、とオディールは互いを順に指さす。

「そんな化け物が本陣に躍り込んできたら──面白くあるまい?」


 囁くオディールにアスカはあいまいな答えをした。

 アスカ自身は数度に渡る接触と観察から、そして蛇の神殿での体験から、蛇の巫女たちの異能の《ちから》がどこから供給されるのかについての考察をすでに終えていた。

 おそらくそれは土地や建築物に刻まれた儀式的装置と、それを使ってその地域の人々の信心から《ねがい》を汲み上げる仕組みに秘密があるのだ。

 たとえばあのジレルの水道橋だ。

 彼女たちは人々の心に畏怖すべき存在として巣くうことで《スピンドルエネルギー》に匹敵する《ちから》をその身に蓄えているのだ。

 それを信仰と呼ぶかどうかはアスカの決めることではないが、概略としてはそう間違ってはいまい。

 

 だが、そんなことをわざわざこの高慢ちきな真騎士の女に教えてやる義理はない。

 だからアスカは訊いた。


「それでわたしにヤツを討てと、そういうのか」

「そうは言っていない。キチンと勅書の通りにしろ、と言っているだけだ」

「我が船団を防衛せよ、と?」


 言い直したアスカに「いかにも」とオディールは頷いた。

 なるほど、とアスカは思う。

 コイツにとってはわたしが強大な蛇の巫女に立ち向かうことさえ、自分たちがいまから織りなそうとしている壮大な英雄譚・叙事詩の一部なのだ。

 象徴的で重要なイベントのひとつ。

 それが華々しく劇的であればあるほど、英雄譚の内包するエネルギーは高まる。

 蛇の巫女たちが様式化された建築群に己の印を残すのと同じで。

 

 アスカはこのとき、そう理解に及んだ。

 だから、船に乗った。


 船には乗ったが、それは真騎士の乙女たちの思惑のためではなく、ただ己の信じる道と助けを待つアテルイのために。




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