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■第六七夜:汝、物語を装いて戯れなば

         ※


 その夜、彼らの頭上で大輪の花弁を広げたのは、火薬によって生み出された光の粒子の集合体──すなわち、花火であった。


 ビブロンズ帝国皇帝ルカティウス十二世の執務はこの日、多忙を極めていた。

 これから記されるのはその執務の内容である。

 ヘリアティウムに生きた人々がどう考え、どう生きたかという希少な記録でもある。

 ただ、ヒトによっては政治の話など退屈極まりないかもしれない。

 

 その向きには結論だけを読んでいただくことをお薦めして、話を進めよう。


 明け方、郊外で起きた竜巻に端を発した会議は、オズマドラ本国軍が依然進行中との報告を受け、それに関する対策と方針の検討にそのまま移行された。


 だが、事態はそれにとどまらない。


 オズマヒムからの使者と宣戦布告。

 さらに紛糾する議場。

 布陣を終えた二〇万の軍勢の陣容が伝えられたところで、会議は一時休憩を挟むことになった。


 議題は大きく分けてふたつ。


 ひとつはエクストラム法王庁新法王:ヴェルジネス一世によるイクス教の東西統一に関する提案と、それに付随する援軍・・としての十字軍クルセイドの派兵条件。

 もうひとつはオズマドラ大帝:オズマヒムの提示した降伏条件に関する事柄。

 いずれにしても、一筋縄ではいかない案件であった。


 まず、ヴェルジネス一世主導のイクス教東西統一の件だが……これにはヘリアティウム在住のアガナイヤ正教聖職者たちが難色を示していた。

 なにしろ、この緊迫した状況は、エクストラムの法王による十字軍クルセイド発布がそもそもの発端なのだ。

 オズマヒムという男に以前から、ヘリアティウムを狙う野心がなかったかと訊かれたら、それは断言できない。


 しかし、少女法王の先鋭化した発案さえなければ、すくなくとも十字軍クルセイドによる東方世界の蹂躙を防ぐために立つという大義名分を与えることだけはなかったはずだ。

 つまり火をつけたのは西側。

 それも宗教的指導者としての立場にあるはずの法王本人なのである。

 その尻拭いとも言える状況に追いやられ、窮地きゅうちに立たされているのはほかならぬヘリアティウムの住人、その信教であるアガナイヤ正教ではないか、というのが彼らの主張であった。


 もちろんエクストラム正教側も反論する。

 これは神のご意思であり、ふたつに分かたれたイクス教がふたたびひとつになるための試練であるというのが、彼らのもっぱらの論調であった。

 強弁きょうべんといえば強弁きょうべんだが、聖職者の物言いとしてしごく当然ともいえた。


 喧々囂々けんけんごうごう侃々諤々かんかんがくがくの大激論が交わされる議場の長たるべき席に座って、ルカティウスは静かに彼らを眺めていた。


 このときすでに彼だけは十字軍クルセイドの先行部隊約十万が三〇〇隻を超える船団に乗り込み東進を始めていることを知っていた。

 いや、それどころかわずか数日の距離にまで迫っていることさえ、だ。


 そして、ここでルカティウスが首を縦に振らずとも彼らが進駐してくる腹づもりであり、オズマドラ軍をヘリアティウムの内と外で挟撃する算段であること。

 またこれを撃退した暁には、エクストラム法王庁が掲げる大義の名のもとに一気呵成かせいにイクス教の統一を図るつもりでいることも。


 すべては、魔道書グリモア:ビブロ・ヴァレリの他者の過去を暴く《ちから》が可能にした正確な探知である。

 苦悩という意味では、互いをなじりあう聖職者たちのものとこのときルカティウスが感じていた痛みは、まさしく次元が違っていたはずだ。

 

 そこへきて今度はオズマヒムからの宣戦布告──いや、件の親書である。  

 読み上げるよう命じられた書記官は声を上ずらせ震えながら、これをなんとか成し遂げた。

 これまで見たこともない上等な紙に金箔で装飾された親書の内容を告げられた議場の一同からは、ぐうともぬうともいう声にならぬうめきがもれた。


 親愛の情をもって、義父と敬愛する皇帝陛下に申し上げる。

 苦難の時代にあって、双肩にのしかかる重責をともに担わんと欲す。

 我、御身の盾と矛とならん──。


 おそらくこれほど甘美な宣戦布告──いいやすでに降伏勧告か──は史上でもそう例があるまい。

 震える手で玉璽ぎょくじの突かれた文面を見せる書記官に、ルカティウスだけが苦笑いで応じた。


「これは、これは国同士の結んだ平和条約を一方的に破る侵略行為ではないか!」

 西側の聖職者たちが脊髄反射的にオズマヒムをなじる。

 だが、これはうわべばかりの形骸、虚しい遠吠えにすぎなかった。

 国家同士の条約を一方的に破棄し、要求を突きつけるだけの圧倒的な戦力がこのときすでに布陣を終えつつあったのだから。

 自らが大使として赴き大帝の眼前で吠えたのであれば、あるいはもうすこしは違ったかもしれないが、虚勢と断ずるほかあるまい。

 その上で大帝の親書はじつに理路整然としており、正論であり、情理に訴えかける説得力を有していたし、ある意味で唯一の平和的解決策だった。

 そのことは西側の聖職者たちも、頭ではわかっていたはずだ。

 認められなかったのは立場のせいである。


 この降伏勧告に対し具体的に対峙姿勢を明らかにしたのは、驚いたことに普段宗教的論争からは一線を引く商業都市国家同盟の面々、その残留組であった。

 大型帆船五隻を含む船団、約二〇〇〇名の男たちが抗戦に参加するとこの場で表明した。


 難しい立場と言えば彼らこそ、そうであったろう。

 なにしろ都市国家同盟は、此度の十字軍クルセイドには積極的には加担する姿勢を示していない。

 船を調達し、物資は揃えても極力正規兵は出さないというのが、彼らの決定である。

 国家の態度としてはオズマヒムの下にはすでに、これまでの友好的通商条約を堅持する旨、使者が遣わされている。

 しかし、商業都市国家同盟に属する商人たちそれぞれがどのように行動するかについては、各個人の自由意志に任せられていた。

 もちろん国家がその身の安全を保障するものではない。

 なにか問題が起れば「個々人の判断によるもので国家としては一切関知しない」と切り捨てられる立場だ。


 それでも彼らがオズマドラに対する対決姿勢を崩さなかったのは、第二の故郷としてヘリアティウムでこれまで築き上げてきた生家や販路や信頼関係に対する執着だけではなく、商業都市国家同盟各国が今後のイクス教圏でどのような立場に置かれるのかを計算していたからだ。

 オズマドラに対しては「個人のしでかしたこと」とシラを切り、エクストラム法王庁やエスペラルゴなどのイクス教原理主義派に対しては「同国人は最後まで戦った」と反論の余地を残す。

 そういう駆け引きがそこにはあったし、国家利益のために最後まで戦い命を賭した同国人とその家族には秘密裏に、しかし、充分な保証を与えるのが商業都市国家同盟、特にその雄たるディードヤームの国風であった。

 その意味で国のほうも国民の信頼がなにによって担保されているのかをよく知っていた。


 最後に、この降伏勧告に関してヘリアティウム在住のアガナイヤ正教聖職者たちは完全な沈黙を守った。

 彼らこそ内心、オズマヒムによる占領統治を望んでいたのではないか。

 神の思し召しだというのであれば、このまま自分たちの信仰に殉じることこそ教えにかなうことなのではないか……そう考えていた節さえある。

 自分たちの宗教を守るためであれば、国家の命脈が尽きようともそれはしかたのないことなのではないか。

 なぜならば我らは常に神とともにあるのだから。

 これがヘリアティウムにおける篤心な信徒たちの典型的な信仰のカタチであった。


 もっとも、その宗教国家に終焉をもたらしたのが十字軍クルセイドという思想に身を焦がした少女法王と、同じく原理的思想を掲げたエスペラルゴという国家であったというのは皮肉以外のなにものでもないのだが……それはもうすこし先の話だ。


 むなしく気炎を上げるエクストラム法王庁関係者と、立場を明快に示した商業都市国家同盟の残留者たち、そして沈黙するアガナイヤ正教の面々を前にしたルカティウスの頬には、ふたたびの微苦笑が浮かんでいた。


 なぜならこのときルカティウスだけが、やはり、大帝:オズマヒムの本当の《ねがい》を知っていたからだ。


 彼、オズマヒムが求めるのは寛容さではなく完全さである。

 あらゆる汚点から隔絶された完全無欠の英雄として。

 あるいはその上位存在、やがて英霊へと至る存在として。

 永劫に人類の頂点に君臨する規範となり、世界に完全なる正義と秩序をもたらすことを、このときオズマヒムは欲していた。

 それは真騎士の乙女たちが掲げる理想と人類圏とを繋げる──理想郷を地上へと降ろそうとする行為と等しくある。

 その実現のために、この都市まちを、ヘリアティウムを欲している。


 だが、アガナイヤの教えは彼と彼女たちの欲するものとは相容れまい。

 すくなくとも己の信仰のためには戦わずして国を明け渡してもよいのではないか、と思い至る思考とはオズマヒムの求める理想は無縁のものだ。

 ルカティウスだけが、やはり、それを確信している。


 その意味ではいまこの都市に迫る十字軍クルセイドの宗主:少女法王:ヴェルジネス一世も同じだ。

 彼女もまた己の信じる究極の正義の執行者として自分自身を、この世ならざる方法によって完成させようとしている。

 そして、いかにしてそれを知り得たのかはさだかではないが、オズマヒムと同じく己を理想の体現とするためには避けて通ることを許されぬものがここに眠っていることを知っている。

 知っているから仕掛けて来るのだ。


 すなわち、それぞれの人間としての痕跡──あえてそれをと呼ぼう──を記録した魔道書グリモア:ビブロ・ヴァレリを。

 それゆえにいまこの都市まちは、強大で独善的な理想と理想がぶつかり合う争点として、戦禍に呑まれようとしている。

 

 強烈な《ねがい》同士の衝突が産み出す時空の歪みにも似たうねりを、ルカティウスは感じている。

 そのなかで自分たちのような無能力者はいかにこれに抗えばよいのか。

 極限の《ちから》と《ちから》の激突が生み出す荒波に、木の葉のように翻弄され、引き裂かれていくことしかできない運命をただ悲嘆しながら受け入れるほかないのか。

 否、決してそんなことを許しはしない。


 ルカティウスが決断したのはこのときであった。


 オマエたちがオマエたちの理想の名のもとに究極の正義を持って、あらゆる汚濁を白く塗りつぶそうというのであれば。

 わたしはオマエたちを縛そう。

 その足に枷をはめ、縛鎖を繋いで、地に縫い止めよう。

 オマエたちの理想を制限し、その暴走を食い止めよう。

 究極の正義の不在を証明しよう。


 そのためにわたしはわたしであることを止めよう。

 絶対者の正義という物語にくびきをつけることができるものが、もしこの世にあるとするならば、それはたったひとつ──そう、同じく物語をおいてほかになにがあろうか。


 すっくとルカティウスは立った。

 一時の休場を皆に告げる。

 だが彼が席を立ったのは、休むためではない。


 二度と休むことのないものになるために男は議場をあとにした。




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