■第六六夜:ファイア・ワークス
「なあに? なんでいままでこういうやり方で、ビブロンズ帝国皇帝の暗殺が起らなかったかって?」
「いえ、暗殺じゃなくって。どうしてこんなに簡単に潜入して、潜伏して……監視までできちゃうのかってことをわたしは聞いているんです!」
地面に仰向けに寝そべって皇帝の私室を監視するイズマの真横で、スノウが言った。
スノウのほうは敷布を引いてはいるが、同じく地面に身を横たえている。
こちらはうつ伏せだ。
「んー、それはねえ。いくつか要因があるだろうねえ。まずはボクちんが凄腕すぎるってこと」
「それは聞いてない」
さりげなくかつダイレクトに自分を持ち上げたイズマの言葉をスノウが一蹴する。
もちろんこの程度でへこたれるイズマではない。
気にした様子もなく話を続けた。
「ありゃま、冷たいのね。ま、いっか。第二にはここの警備、特に《スピンドル能力者》に関する能動的な対策はかなりゆるい。人類圏の一都市国家としてはたぶん平均値なんだろうけども」
「でも、ここヘリアティウムって……すごく重要な東西貿易の中心地なんじゃないんですか」
「お、勉強してるねえ、スノウちゃん。熱心だねえ。やっぱアレ? アシュレくんに気に入られたくて?」
「それはいまの質問となんの関係もない!」
あまりの剣幕にイズマは顔面を覆うアイマスクを剥ぎ取って、スノウを見る。
対するスノウのほうは、イズマとおそろいのアイマスクをつけたまま憤慨している。
両目をふさぐこの布きれもまた土蜘蛛謹製のアイテムだ。
ヒャクメグモやミミナガグモという特別に飼育されたクモの糸でできていて、それらクモたちの視覚や振動関知能力を伸ばされた糸を通じて共有できる偵察兵垂涎の品であった。
イズマはそれらを数匹、ルカティウスの私室やその周辺に放ってきたのだ。
目隠しされたまま怒りをあらわにするスノウの様子を面白げに眺めたあと、イズマはアイマスクをつけ直した。
「そうだなあ。たしかに世界の歴史において重要な場所であることは間違いないんだよ、ここヘリアティウムってサ」
油断なく邸内の動きを探りながらイズマは続けた。
「そのうえ、とびきり奇妙で特別な都市でもある」
「奇妙で特別?」
うん、とスノウの問いかけに頷いてイズマは解説した。
ヘリアティウムがいかに奇妙かつ特別な都市であるのかについて。
「まずさ、ヘリアティウムというかビブロンズ帝国って国は、数千年をかけてどんどん衰退してきた国なんだよね」
「それ、アシュレさまも言ってた。世界に冠たる大帝国から都市国家になってしまった国なんだって」
「そう。なにしろ最盛期は現在の数百倍の国土面積に総人口二〇〇〇万人もいたらしいってんだから。それがいまじゃあ十万人そこそこ。没落も没落、大没落ですよ。金の大屋根の大都会がカエルしか鳴かないド田舎になっちゃうレベルだ。でも、そうであるにも関わらず、世界史レベルという観点から見たとき、首都であるヘリアティウムの重要度はちっとも下がっちゃいないわけさ」
「さっきも言ったけど東西貿易の中心地として?」
「うん、それだけでも間違いじゃない。でも、そこから見えてくることはこのヘリアティウムを介して、たくさんの異文化が混交を果たしてきた──互いを知りあってきたってことなんだ」
あー、とスノウが声を上げた。
「それも、アシュレさまが言ってた」
「そうだね。これもアシュレが言ってた。じゃあ、なぜこの地がそういう文化の混交の場、文明と文明の接点たる役目を果たしてこれたんだろうか」
「えっ、それは……立地が大事なんじゃないかな」
「いい線つくねえ。さすがはアシュレくんの従者だ。そう、まずなにをおいても立地は譲れない。ファルーシュ海と黒曜海、このふたつを結ぶ唯一の海峡にヘリアティウムは位置している。そして、黒曜海はそこに流れ込む河によってさらに北部とも繋がっている。もひとつ言うと黒曜海沿岸は、はるか極東との交易路の終着点でもある。ヘリアティウムはそこと海路で繋がっている」
ボクちんが歴史の先生なら及第点をあげてもいいねえ、とイズマがつぶやく。
えへ、とまたスノウが照れる。
「けれどもそれだけじゃあ、ここまでの発展をしなかっただろうね、ヘリアティウムは」
つまり、解答としては満点ではないとイズマは言ったのだ。
む、とスノウが唇をひん曲げる。
「じゃあ、なにがその理由だってイズマは言うの?」
ちょっと不機嫌げに、負けん気の強い口調でスノウが問う。
「うん、それはね。歴代のヘリアティウム皇帝が取り続けてきた弱腰で曖昧な態度に寄るんだと思うんだ」
「弱腰で、曖昧な態度?!」
まったく予期しなかった答えにスノウの口からすっとんきょうな声が出た。
イズマの手がその唇を塞ぐ。
いくら人払いの結界内だといってもものには限度がある。
「言い方が悪かったかな。ヘリアティウムという心臓部さえ残せればいいって……そういう態度というか。世界史の焦点ではあっても争点にはならないための立ち振る舞いっていうのかな。結果としてそれがこの都市の最大の魅力になった」
わからない、というメッセージをスノウは沈黙に込める。
例をあげよう、とスノウの口元から指を外しながらイズマが言った。
「たとえば輸出入や入出国に関するチェックの甘さ。《スピンドル能力者》に対する警戒レベルの低さ……そのへんかな、例としてわかりやすいのは」
「え、つまり、国家としては脇が甘いってこと?」
「うん。それもなかば自覚的にね」
「それが……国家の……ヘリアティウムを発展に導いたってこと?」
「正解」
どういうこと? と今度は口に出してスノウが聞いた。
イズマの話はまったく理解できない。
「うーん、ちょっとまだスノウちゃんには早かったかなあ、この話題」
「説明して。早かったかどうかは、そのあとで決めて」
スノウの剣幕に押されたのかどうかはわからないが、イズマは解説を始めた。
「簡単に言うと、この都市はいろんな事情がある人々に寛容なんだよ。もちろんそれは後ろ暗かったり素性の知れない連中にとってさえ非常に居心地のいい場所だったってことでもあるんだけど……。東西の品が集まり、交易が盛ん。各国の情報も自然と集まる。耳目もね。しかも入出国に関するチェックが甘い。交易品に関してもだ。これは立場を明確にしなくても受けいれてもらえるってことでもある。出所がよくわかんない品物もだ。情報収集・交換の場として、あるいは難しい交渉の場として、これほど優れた物件はほかにないんじゃない?」
そういう場所をさ。
「そういう場所を提供してくれてる──弱腰だけれど温和な主人を殺してなにか得がある? 金の卵を産む雌鶏どころか、金の卵を産む雌鶏を何匹も産み育ててくれる場所なのかもなんだぜ、ここは? 世界情勢の最先端の情報が自然と集まり、それらが交換される。自由な交易によって文化が往き来し、衝突する各国がそれぞれの思惑を緩衝しつつ代理人を介して立ち回れるサロン。その主人を暗殺するってことは、重要な交渉のテーブルが世界からひとつ失われるってことだ」
つまりね、とイズマは締めくくった。
「そこで得られていた利益も、表ざたにはあんまりしたくない甘い汁も、あともしかしたら──カギカッコつきで歯切れは悪いかもしれないけれど──つかの間の平和もぜーんぶ手放すってことなんだよ」
「わたしには悪の巣窟だって、聞こえるけど」
スノウのセリフに、うーん、とイズマは唸っただけだった。
「まあ、たしかに純然たる善行ではないわな。でも悪ってのはちょっと過激すぎるから不善としときますか」
この世界に必要な不善=ヒトの弱さを許容する場としての意味でイズマは言った。
けれどもまだ年若いスノウにはそのあたりの機微は、まったく理解できないらしい。
「そういうやつらでこの都市は成り立ってきたってことなんだ? で、その不善にお目こぼしをしてくれる国の王様だから、皇帝を暗殺したりはだれもしなかったんだ」
「んー、まあそうだなあ。結論が極端な気もするけど、大筋としては正しいのかなあ」
「わたし、やっぱりこの国、あんまりスキじゃないわ」
「スキじゃない、と来たか。主観だね、そりゃ。まあ、たしかにこの国というか都市にはもうちょいイケ好かない秘密がありそうだけれども……一手の指し違いが大戦を招いてしまうかもしれないという緊張の続く世界のなかで『あいまいであることを許される場所』の重要性ってヤツをだね……」
「感想はわたしの自由でしょ! それよりもなにそのイケ好かない秘密って──」
なんだか釈然としない様子のスノウが、あっ、と声を上げたのはそのときだった。
「きた! 帰ってきた。イズマ、ルカティウス!」
「おっとう、いけね、ぼんやりしてた。ホントだ。んー、やつれてるねえ。まあこんだけ問題が山積みなんだ。やつれもしますか」
アイマスクを通じてまぶたに投影される光景を眺めつつ、イズマはつぶやいた。
私室に帰り着いたルカティウスは女を伴っていた。
青い巫女服をまとった彼女は、どうみてもビブロンズ帝国人には見えない。
深々と沈み込むように長椅子に腰を降ろしたルカに、女は跪いてすがりついた。
『お願いだ、ルカ。もうやめよう。やめてくれ。このままではオマエが死んでしまう』
アイマスクに糸で繋がれたクモたちの足や体毛が空気の振動を捕らえ、それが耳のなかで音声として再現される。
イズマがアイマスクの片側を開けてノーマンを見た。
ふたりの緊張を察知した巨漢の騎士は音もなくかたわらに控えていたのだ。
ビンゴだよ、とイズマの瞳が言う。
ビブロンズ帝国皇帝:ルカティウス十二世と黒曜海の大海蛇:シドレラシカヤ・ダ・ズーの密会の現場だ、というそれは意味だ。
こくり、と頷くノーマンの瞳にも強い意志の《ちから》が宿っていた。
雪辱を晴らすべき相手をついに捉えた男の顔である。
「隻眼の姫巫女。あれがアスカちゃんの手紙に出てきたシドレラシカヤ・ダ・ズーか。なにあの震えのくるような美女」
すぐにアイマスクを戻したイズマは涎を垂らしそうな勢いでコメントした。
「しかもスタイル抜群。わー、あれは男を骨抜きにしちゃうタイプだ。傾国の美女」
「それいま関係ある?!」
イズマの人物評にスノウが噛みつく。
それに構わず尋ねたのはノーマンだ。
「なにを話している、ルカティウスとシドレラシカヤ・ダ・ズーは」
「んー、どうもねー、なんか愁嘆場ですよこれは……あ、気がついた。手紙に。手に取った。封を開ける。読んだ、読んでる」
蜘蛛たちが中継し、イズマとスノウが見守る世界のなかで文面に目を通したルカティウスは微笑んだ。
天を仰ぐと、手紙を蛇の巫女に手渡した。
それから言った。
『彼らは来るでしょう。もうすぐここに。いやすでに来ているのかもしれない。シドレ、これは友人としての最後の頼みです。この都市を護ってください。わたしではなく』
ああ、という女の嗚咽にも似た声は、道具を経由していないノーマンとバートンの耳にも聞こえた。
そして、次の瞬間。
彼らの頭上、はるか高くで火球が炸裂し、世界を虹色に照らし出した。




