■第五二夜:過去からの索引(インデックス)
「これが索引だ」
いきなり床から突き出した石柱を前にそう言われても、アスカは面食らうしかない。
「いや、これが索引と言われてもな」
石柱の天面は、両手を差し出したときちょうどヘソの位置くらいにある。
「もしかしてこれはなにかの……操作盤か?」
アスカはこれまでアガンティリスの歴史を調べる間に、古代アガンティリス人たちが輝ける石版や石柱に指先で触れるだけで遠く離れた事象を意のままに操ることができたという伝承記録を、いくども目にしてきた。
古代人たちは、その大半がまるで今日の《スピンドル能力者》であるかのように、超常の業を扱えたという。
「これがそうだというのか。しかし、表面の文字のような、絵のようなものはなんだ?」
天面に刻まれた紋様を指でなぞりながらつぶやく。
象形文字?
あるいは玉璽を逆さまにしたような。
たぶん、なにか大事な意味があるのだろう。
あまりに象徴化されすぎていて、アスカにはさっぱり理解できないのだが。
「あなたの“接続子”は健全か? 活性化されているか?」
「は?」
頭を捻っている最中に横合いから浴びせられた少女の問いは、さらに唐突だ。
返し方がぞんざいになるのも仕方ない。
そんなアスカの様子を見て少女は噛み砕くように、言い換えた。
「端末への接続は可能か?」
「言っている意味がよくわからない、のだが」
その努力も空振りに終わる。
もちろん会話は成立しない。
前提条件が違いすぎるのだ。
石柱に触れたままのアスカの指に一秒、視線を流した少女がすべてを悟ったように続けた。
「“接続子”に著しい変異痕。活性にも不備を認める……では、例外的・緊急的措置を講じよう。復活者の証明──《スピンドル》は励起可能か?」
「お、おう、それなら」
理解可能な単語のようやくの登場に、アスカの表情が輝いた。
少女の頷きも心なしか満足げだ。
「では、《スピンドル》を用いて強制的に介入する。操作はさらに直感的なものとなる。以上」
「お、おう、まかせろ。って、おい! 『操作はさらに直感的なものとなる。以上』って、それだけ?! それだけなのか?!」
「しかるのち、なにを調べるかはあなた次第だ」
あいかわらず要領を得ないが、とにかく時間がないということだけは間違いない。
さっそくにもアスカは試みる。
両手に《スピンドル》を励起し、石柱に触れる。
すると、どうだろう。
玉璽を思わせる石柱の上面に光が走り、それは蛇行する光の流れとなって床へと流れ込んだ。
「起動した」
「すばらしい」
相変わらず感情の起伏はないがそれでも成功を喜ぶような少女の声に、アスカも感想した。
「となると、なにから調べるかだが──」
こんな展開が待っているのだとわかっていたならメモくらい作ってきたのに、とアスカは心のうちで蛇の巫女の段取りに毒づいた。
だが、これほどのチャンスをもたらしてくれた相手であるのと、後ろに控える少女もまた蛇の一族であろうことも思えば口に出さぬのが正解というものだろう。
「では──まず黒翼のオディールについてはどうだ」
アスカは言われた通り直感的に腕を動かす。
記憶のなかの古代人たちの仕草をまねて指を動かしてみるが、石柱が読み取っているのはアスカ自身の研ぎ澄まされた思考=《スピンドル》のほうだ。
使用者の意図を汲み取り、望む情報資料へといち早く導くための道標なのである。
だが、反応はなにもない。
「どうした。なにも起らんぞ?」
「該当がない。恐らく書庫に記録がないのだ」
驚愕するアスカに、少女が答えた。
「なんだと?! ここにはなんでもあるんじゃなかったのか?!」
「ここに収蔵されているのは過去の叡知だ。それに我ら蛇の一族の資格者たちが補強したものしか記録されていない。所蔵されていない本を探すことはできない。大秘書庫の持っていた常時上書き機能は“庭園”との接続が切れたため失われた。我々の技術では再現できなかった」
「役立たず!」
常時上書きなるものがいったいどのような機能なのかアスカにはまったくわからないが、初動が空振りに終わったことだけはハッキリと理解できた。
「神の名にかけて呪われろ! くそっ、あの牝狐……いやカラス女の正体と思惑はわからずじまいか」
黒翼の、と名乗ったオディールの顔を思い浮かべてアスカは悪態を吐いた。
神官たちが耳にしたら跳び上がることうけあいだ。
「昨日・今日出会った相手の情報が図書館所蔵の書籍に記載されていることなど、ごく稀だ。ここにあるのは通常の書籍と同じ──記すに足る、そして残すに足るものだけが歴史の洗礼を潜り抜ける」
アスカの罵倒に対し、なんの痛痒もない声で答え少女は沈黙した。
さきほどの悪態は彼女に向けたものではないのだが、なんとなく居心地の悪さを感じるアスカだ。
「では後の世に歴史として記されることはありうる、ということだな」
「いかにも。そのオディールとやらが、歴史の表舞台に現れ、なにごとか成し遂げたか、あるいは成し遂げられず非業の死を遂げたりしたのであればな」
では、わたしについてもそうなのであろうなとアスカは思ったが、感傷に浸っているような余裕がないことも知っている。
「じゃあ、真騎士の乙女たちと魔道書:ビブロ・ヴァレリについてはどうだ」
気をとりなおすとアスカはまたも腕を振るった。
がごり、がごり、とこんどは反応があった。
さらに驚いたことに、空中には光る文字までが現れたではないか。
「こんどは反応があったぞ。だが、なんだ? 該……当? ふた、つ……はっぴゃくさんじゅうきゅうの、うち……だめだわからん。共通言語:エフタルに近いが、難しい。これが古エフタルか。くそう、もうすこし勉強しておくんだった」
眼前に展開した輝ける文字列をたどたどしくだが読んでアスカが唸った。
古エフタルは現在の共通言語:エフタルの元となったという古代言語である。
非常に象徴的な文字の連なりで、絵のような一文字のなかにたくさんの意味が込められているのだという。
そして、それが前後の文脈で大きく変化するところに特徴がある。
アスカも勉強しているのだが、なかなか習得できるものではない。
だが、それには少女からの応答があった。
「ほとんど正解だ。検索に該当するものが八三九件。そのうち二件があなたが望む解答の可能性が高い」
「なるほど、この並びはそういう意味なのだな。では、真騎士の乙女たちの方から」
言うが早いか、アスカの頭の中身を察知したように、こんどは床面から地響きとともに巨大な石版がせり上がってきた。
「うわっ」
「安心しろ。情報を物質に刻んだだけだ」
「本、本じゃだめなのか?! というかこの施設の石組み、もしかして全部、記録のための石版だったりするのか?!」
「この素材は経年劣化にも炎にも酸にも水にも強い。記録を残すものとして最適だと判断されたのだ。建材としても充分な強度を誇っている。なにごともなければこのまま一〇〇〇〇年後の世界にすら、この記録は残される……」
少女の説明にアスカは文字通り仰天した。
いまどき石版に記録を刻むという時代錯誤もそうだが、じゃあなにか、この空間は情報が刻まれたこの無数の石版によって成っているということなのか?!
「利便性というものをすこしは考えろ! でかすぎる! 重たすぎる! なにかあってもこれでは動かすこともできないではないか!」
飛び退って指摘するアスカに少女は物憂げな表情になり、答えた。
「その考えを極端に推し進めた結果、物質の書籍は瞬く間に数を減らしわずか数十年の間に事実上──絶滅した。そこに《ブルーム・タイド》が起きた。“接続子”と“庭園”を経由して上書き可能な情報は、瞬く間に影響を受け、そのたびに世界は改竄された」
同じ愚を我らは二度と犯してはならない。
少女のつぶやきの意味を、アスカは半分も理解できなかった。
だが、とてもそれは世界の重要な秘密の一部であるとも感じられた。
「その話──」
「よかったのか。いま費やされているのは『あなたが知るべきもののための時間』だが」
ふたたび諌言され、アスカはハッとなった。
「こんど、ゆっくり話してくれないか」
「もう一度、相まみえることがあれば語り明かそう」
この閉ざされた異空間で話し相手もいないままに死蔵された知識の司書……いや墓守のごとき仕事を続けてきた彼女にとって、もしかしたらアスカというのは、待ち望んでいた久方ぶりの来訪者であったのかもしれなかった。
あまり感情表現の豊かでない少女が浮かべたあのちいさな笑みをもう一度、見た気がした。
「ではまず、真騎士の乙女たちについて、だったな」
気を取り直し、アスカは眼前の石版に目を走らせた。
刻まれた情報は共通言語:エフタルで記されている。
「石版の文字はエフタルか。これならば読める。ありがたい」
「時代性を鑑みて、出力時にあらかじめその地方でもっとも生存確率の高い簡易言語に翻訳変換してある。混迷期に言語基体そのものが失われることはよくあることだからだ。複雑に入り組んだ言語ほどその影響を受けやすい。言語遺失だな」
少女の言っていることは相変わらず理解不能だったが、それにも慣れた。
アスカは眼前の石版に集中する。
レリーフと物語で構成された石版は、なるほど神殿の壁画そのものだ。
真騎士の乙女、地に満ちる嘆きを拭うため舞い降りたり。
その歌声、人心を魅了し勇気を掻き立てるものなりけり。
天翔るその姿、その勲、地の果てまで轟きたる。
天に遠く美しく、純粋にして、気高き志をこれに与えん。
それゆえに《夢》は《夢》としか交われず。
石版の内容は読めるとはいっても古風な物語調である。
だが、そこに記されていた情報は、これまでアスカが体験しつぶさに見てきた真騎士の乙女たちの性情とそこからの推察をハッキリと裏付けてくれた。
「《夢》は《夢》としか交われず。やはりそうか」
真騎士の乙女たちがヒトの英雄を、英霊として迎えたがるその理由。
「やはり、そのために父に近づいたのだな」
確信に頷くアスカが石版の隅に走り書きされたサインのようなものに気がついたのはそのときだ。
そこにはこう記されていた。
『破棄。《夢》は《夢》のままに留める』
「ん? なんだこれは。どういうことだ?」
破棄──《夢》は《夢》のままに留める。
なんのことだろう?
アスカにもさっぱり意味がわからない。
反射的に少女を振り返るが、こちらも石版を見つめたまま動きがない。
突き詰めたい気もしたが、時間がない。
アスカは可能なかぎり石版の内容を記憶に焼きつけ、次なる情報──魔道書:ビブロ・ヴァレリのそれを求めた。
また大きな音がして石版がせり上がってくる。
「毎度毎度、大げさな」
毒づいたアスカだったが、そこに記されていた情報は大げさどころではなかった。




