■第四八夜:朽ちたる神の社
「やったぞッ!」
アスカとアテルイのふたりにおいてけぼりにするべきかどうか悩まれていた対象であるところのダリエリが、突如として叫んだ。
「静かにと言った! うるさいです、ダリエリ!」
「なんだ、なにごとだ?!」
アテルイが叱りつけ、アスカが驚愕の声を上げた。
「来なさい、殿下、御覧なさい。さあアテルイ殿も、さあ」
だが、ダリエリはそんな美女たちのリアクションを気に留めた様子もない。
興奮した口調でふたりを呼びつける。
身分をわきまえない巨匠の振舞いに。アテルイのまなじりがキリキリと持ち上がった。
「貴様! 食客の分際で、殿下を呼びつけるとはなにごとかッ!」
「はやく、来なさい、そして、見なさい! これは発見だ!」
腰に佩いた曲刀に手をかけ怒るアテルイを無視して、ダリエリは手招きする。
天才の天才たる由縁か。
あまりの肝の据わりっぷりにアスカは負けた。
肩をすくめた次の瞬間には馬上からひらりと身を躍らせ、ダリエリに駆け寄る。
手元をのぞき込めば、ダリエリは己の発見を注視したまま場所を譲った。
「これは?」
そして、たしかに、その発見はアスカをして眼を瞠目させるものだった。
「この青いタイル……いや、これはタイルではない」
ダリエリのかたわらにしゃがみ込んだオズマドラの第一皇子に、天才は無言で頷いた。
アスカは件の青い鱗を取り出す。
苔むした石柱の基部に、わずかながら残されていた化粧石替わりのタイルがある。
そこに鱗をあてがう。
「まさか」
うめいたのはアテルイだ。
その間にもアスカは女剣士:コルカールが見せた黄金を真っ二つにする技ではないが──大海蛇:シドレラシカヤ・ダ・ズーの鱗をタイルに押し当てた。
スッと力を込めた様子もなく手前に引く。
するとどうだろうか。
周囲に残された大理石には深く切り込みが入ったのに対し、残されていたタイル部分は傷つきさえもしなかった。
アテルイはもちろんダリエリも、これにはさすがに息を呑んだ。
「鱗と同じ硬度……。つまりこのタイルに見えるものは蛇の巫女の鱗、そのものだというのか」
「とすればここはかつて暗黒時代、蛇の巫女たちのための神殿であったのではないかという仮説が成り立つというわけですな」
アスカの実験を瞬きひとつせずに見守っていたダリエリが自論を述べた。
「忘れ去られた神としての蛇の巫女たちと──その神殿だと?」
立ち上がりアスカは周囲を見渡した。
するとどうだろうか。
いままで苔むした遺跡だとばかり思えていた周囲の石柱群の並びにさえ、特別な意味があるように思えてきたではないか。
「この柱の並びから考えるに、いま我々がいるのは神殿のちょうど入口に当たるのでは」
その考えを察したように建築家でもあるダリエリが見解を述べた。
「神殿ということは祭壇のようなものもあるだろうか」
「あるでしょうし、もしかしたらそれ以上のものも眠っているかもしれんですな」
ダリエリの言葉にアスカとアテルイは顔を見合わせた。
シドレラシカヤ・ダ・ズーがふたりをこの地に招いた意味。
もしかしたらそこに突き当たったのかも知れないと思えたのだ。
※
「なんだこれは」
どれくらいの時間、苔むした遺跡と深き森とを進んだだろうか。
突如として現れた深い縦坑にアスカは思わずつぶやいた。
短辺でも一〇〇メテルはあろうかという長方形の坑が、深い森の奥にぽっかりと口を開けていたのである。
のぞき込めば下方に陽の光を反射する水面が見えた。
長い時の流れに巨木の根が穴の縁から水を求めるように深みへと伸びているが、この坑そのものは自然物では断じてない。
その証拠にそれぞれの辺の縁からは、下層へと続く折り返し階段が神殿の壁面を飾る彫刻のように整然と列をなしていた。
「おそらくはこれこそが蛇の巫女たちの神殿の中枢。つまり、祭壇とでも呼ぶべき場なのでは」
背後から発せられたダリエリの言葉に、アスカとアテルイのふたりは振り返った。
「これが祭壇だと?!」
「どう見ても井戸です!」
「それは見解の相違というもの。蛇の巫女たちにとって水辺は聖なる領域。深き坑は帰るべき胎内。とすればいま見ている景色は彼女らの内宇宙の外観そのものと考えるのが無理のない発想だ」
なるほど天才の考えることはよくわからないが、たしかに化身としてヒトの姿を取るからといって蛇の巫女たちが人類と同じ価値観・宗教観、ひいては同じ宇宙観で世界を捉えているだろうと思うほうが間違っている、というのはわかる話だ。
ともかく三人はいきなり中枢に足を踏み入れることは避け、周囲を調べつつ旅装を解き食事を摂った。
食事と言っても煮炊きを始めたわけではない。
薄く焼いたパンに切り分けた野菜や山羊のチーズ、ヒツジの肉でこしらえたハムを挟んで食べる庶民の食い物だが、アテルイの手にかかればたちまちご馳走に早変わりする。
それと葡萄をすこし。
火は極力使わない
かつてはどうだったかしらないが、いまや訪れる者の絶えた森の奥から煮炊きの煙が上がっていれば、不法な侵入者の居場所を教えるようなものだ。
国境を侵している者として、目立つことはとにかく避けなければならない。
「だが外から眺めているだけでは、やはりなにもわからんな」
「ともかくここがかつて蛇の巫女たちの聖域であったことだけはわかりましたが」
即席のサンドイッチとでも言うべき食料を頬張りながらアスカが言う。
アテルイは坑へと視線を投げ掛けながら答えた。
そう、この巨大な坑の壁面にも、要所要所に青き蛇の巫女の鱗が装飾品として用いられていたのである。
「しかし、どうしてここだけはこんなに整然としているんでしょう。ここまでの神殿の道のりはあちこちに略奪というか、化粧石としての蛇の鱗が奪われていたのに。この大坑には経年による劣化破損はあっても、そういう盗掘の痕跡はない」
「ここに辿りついたのが我々がはじめてだからなのでは」
アテルイの当然の疑問に、これまた当然でしょうと言わんばかりにダリエリが答えた。
「土地に不慣れな私たちでさえ辿りつけたのに、この地方に長年暮らしてきた人々がここを見つけられないなんてことがあるわけないではないか!」
主君であるアスカと会話していたつもりのアテルイは、ダリエリの横槍に噛みついた。
「呪いがかかっているとか、そういうのではないか」
いっぽう、アスカといえばアゴに手を当て思案顔だ。
溌剌とした言動と皇子としての外見からは想像できないが、アスカ自身は相当な本の虫で遺跡や伝承といった分野は大好物なのだ。
「呪いというかまじない、という意味ではその仮説はおおいにアリでしょうな」
「なにい」
ダリエリの言葉に、アテルイは鼻白む。
「どういうことだ!」
「あくまで仮説ですよ、アテルイ殿。だがそれでもいいならお話ししましょう」
「貴様ごときの仮説など……呪術が関わっているというのならば、このアテルイが」
一方的に火の出るような視線を送るアテルイと、これまで同様、まったく意に介した様子もない巨匠。
間に挟まれたカタチになったアスカだったが「話してみよ」とダリエリに促した。
「殿下」とアテルイが小さく諌めたが、オズマドラの第一皇子は手を振っただけで一蹴した。
「では、お言葉に甘えまして。わたくしめが思いますに、これは建造物を使った一種の結界ではないか、と」
結界という言葉にアスカはほう、と唸って続きを促した。
黙らされたカタチになったアテルイの鼻息は荒い。
「たとえば、かつて表の神殿を蛇の鱗が覆っていた時代には、その鱗そのものが呪的回路として神殿の深部への道を示していた──つまりこの縦坑への経路が確保されていたと考えてみてはどうでしょうか」
「ははあ」
開陳されたダリエリの仮説になるほどなあ、とアスカはつぶやいた。
「つまり、この地を訪れる者たちが信心を忘れず、神殿を自らの手で保っている限りは道は開かれているが、ひとたびそれを失って神の社を荒らすものが現れたとき、この地への道は断たれる。とそういうわけか」
しかり、とアスカの推理に巨匠は同意を示した。
「なぜわかった。なぜそう思う」
ダリエリの自信に、アスカが問う。
巨匠は遠い眼になり、過去を回想するように答えた。
「かつてわたしの友であった夜魔の騎士はその邸宅に隠し部屋を持っていた。本当に親しい者しか招かれることのない彼の内宇宙観が再現された部屋だ。そしてそこに至る錠前は、鍵ではなく己の血だった。己の肉体の一部だけが己自身を証立てるという考え……もはや信仰と読んでもそれはよいだろう。秘密を教えられたときは驚嘆したものだが、あるいは長い時を生きる強大な種族にとっては、己や同族、そこへの信頼や信心を証立てる手段というものは似通ってくるのではないかと発想したのだ」
アスカへの敬語を忘れて話すダリエリに、こんどはアテルイも噛みつかなかった。
そう、ダリエリはかつてトラントリムの夜魔の騎士:ユガディールと深い親交を結んだ仲だった。
しかし、トラントリム瓦解後、オズマドラの軍門に降りアスカの元へと自分自身を売り込んできたのである。
「同じイクス教徒であるビブロンズ帝国に亡命することは考えなかったのか」
と問えば、
「わざわざ敗者の側に売り込みに行くこともありますまい」
と答え、
「友であったユガディールを弑したのは我々だぞ」
と問えば、
「友の死には涙を流しましょう。しかし、それはわたしの夢の死を意味しているわけではない」
と平然と答えた男だ。
その男が、今度もやはり平然と己の頭の中身を記したメモを見せながら言った。
「見事に蛇のごとく蛇行を繰り返すこの参道もその証左。きっと我らが歩んできた道は、順路を示すように蛇の鱗で埋め尽くされていたことでしょう」
いつのまにこんなものを描いていたのか。
これまで行き当たりばったりで進んできたかに思えたダリエリの記した正確無比な神殿内部の地図の登場に、アテルイは完全に沈黙した。
認めざるを得ない、という顔だ。
「なるほど巨匠、言いたいことはわかった。しかし、その仮説が真だとするならば、だ。すでにしてこの地への道しるべは失われてしまっていたはず。だのになぜ、我らはここまで辿りつけたのだ?」
アスカの問いに、ダリエリはわが意を得たり、と頷く。
そして指さす。
第一皇子の乗騎の鞍に結わえつけられた布製のバッグ。
それはまるで内部に小振りな西瓜でも入れられているかのようにふくらんでいる。
「殿下が、蛇の一族の証をお持ちであるがゆえに」
希代の天才は、そう断言した。




