■第四一夜:裸心の理由
王の入城なる異能を、スノウは一度だけだが見たことがある。
それは奇しくも祖国:トラントリムへに対してアシュレたちが行った侵攻作戦の最中でのことだ。
あの夜、スノウはアテルイとアスカというふたりの女性が、光の粒子に還元され交換されるのを目の当たりにした。
それがいかなる理屈によって可能とされたのかまでは、さすがにスノウにはわからない。
しかし、王の入城という名の異能が、実際の効果としてなにをもたらすのかは目撃した。
そして、その直後に起った出来事──つまり愛する者との別離に必死で抗おうとするアシュレの姿も。
王の入城の引き起こす現象に必死になって抵抗を試み、狂おしくアテルイの名を呼ぶ彼の姿に、なぜだか胸の奥が締め上げられるように痛んだのを憶えている。
エルマから王の入城の名を聞かされた途端、背筋が電流に打たれたように伸びたのはそのせいだった。
「そうだったな、スノウ。おまえは見たのだったな。アテルイとアスカリヤ殿下の交換の瞬間を」
エレの言葉にスノウは動揺を隠せないまでも、視線を向けて応じた。
見た、と。
知っている、と。
だから、エレにもエルマにもわかった。
いまスノウが見せる狼狽は人間と人間を入れ替えるあの強力な異能──王の入城と自分のどこに接点があるのか理解できないことに由来しているのだと。
土蜘蛛姉妹は理解に顔を見合わせて頷いた。
「なるほど。スノウさんの動揺はもっともです。ですから、説明しますの」
指を振り立て切り出したのは、この手の呪術の専門家:エルマだった。
「結論から参りましょう。イズマさまはあなたを釣りエサにして件の魔道書:ビブロ・ヴァレリをその座する書架から、一気に引き抜く心算でいらしゃるのです」
「魔道書を……ビブロ・ヴァレリを引き抜く?」
先ほどの提案に輪をかけて突飛もない結論を聞かされ、さらに混迷の度合いを深めた様子のスノウに、こんどはエレが言葉をかけた。
論理的な解説は姉であるエレのほうが得意だ。
「まず作戦の前提条件の確認からいこう。いいかスノウ? イズマさまは他者の過去を暴く魔道書の正体は、実は《フォーカス》ではないと睨んでいらっしゃるのだ」
「えっ?」
次々と提供される驚愕の話題に、またもスノウが目を泳がせる。
「魔道書は《フォーカス》ではないとは、どういうことか、という顔をしているな」
エレの指摘に、スノウは両手で事態を把握しようとしているというジェスチャーをする。
「ちょっとまってちょっとまって。ビブロ・ヴァレリは強力な魔道書で。他者の過去を暴く《ちから》を持っている。ここまではあってる? そうなんだよね? でも、そんなに強力なのに《フォーカス》じゃないって……?」
それはいったいどういうことだろう、とスノウ。
うん、と頷いてエレが続けた。
それこそいまからおまえに告げることなのだ、と。
「イズマさまの見立てによれば魔道書:ビブロ・ヴァレリの名で知られた存在こそは、実はオーバーロードであろうというのだ」
オーバーロードという単語の登場は、先ほどの電流とはまた別種の震えをスノウの背筋に走らせた。
それはスノウにとって特別な因縁を持つ言葉だ。
かつてスノウが心酔し信奉したユガディールは、オーバーロードに堕ちた。
それが彼女の運命を大きく変えた。
たとえばもし、ユガディールが夜魔の騎士のままであったなら、彼とアシュレが激突することはなかったはずだ。
結果としてアシュレとスノウの出逢いもなかったであろう。
スノウはその後に続いたふたりの闘争の一部始終を目撃した。
絶対的な理想の走狗となり自分自身を失ってもなお志に殉じた騎士と、不完全で未熟だがヒトであり続けること──迷い悩みながらも未来を信じて闘おうとするもうひとりの騎士との決戦を。
あのとき圧倒的な恐怖に打ち震えながらスノウが泣いたのは、しかし、怖かったからではない。
オーバーロードと化したユガディールと“再誕の聖母”としてのイリスが見せた理想郷の姿はあまりに美しく、あまりに清浄であった。
だが、だからこそ、理想郷が完璧に美しく非の打ち所のない統制された世界であったからこそ、スノウにはそこに自分の居場所がないように感じられたのだ。
半分人間、半分夜魔。
どちらにも完全にはなることのできぬ“出来損ない”であるという事実は、スノウにとっても隠されてきたコンプレックスであった。
人間より優れた容姿。
身体的能力。
そして、ずば抜けた記憶力。
それらがすべてがもたらしてくれるはずの優越感は、しかし、重荷でもあった。
トラントリムにはさらに格上の比較対象がいたからだ。
夜魔の騎士たち、そして、その頂点に立つユガディール。
スノウにとって純血の夜魔の騎士たちは、単に憧れの対象であっただけではない。
どう足掻いても本物にはなれないのだという事実を、否応なく突きつけてくる存在でもそれはあった。
しかし、半夜魔であるスノウはヒトの側にも混ざることもできなかった。
カラクル村の村民たちはスノウに優しかったが、だからこそスノウはそこに混じってただの民草として生きることを選べなかった。
夜魔の騎士たちに庇護されるべき存在として暮らすことは、スノウの誇りが許さなかったのだ。
どうしても騎士にならなければならない。
父と母から与えられたものだけではなく、自らを高めることによって自分自身の存在を証明しなければならない。
スノウの考え方と振るまいには、己でも自覚できぬその深いコンプレックスが根底にあった。
そして、あの運命の夜。
理想郷に接続された塔の上で、これまで人生の究極的な目標として生きてきたユガディールの見せた“完全なる世界”の姿に、スノウは絶対的な疎外を言い渡されたように感じた。
どれほど研鑽を積もうと、誇り高く生きようと心に決めて歩もうと、正解はつねにどこか高みにいるだれかのものなのだと突きつけられたように思えたのだ。
それはスノウにとって「不完全に生まれた者はどこまでいっても不完全なままなのだ」とそう宣告されたに等しかった。
だが、その完全さにヒトの騎士──アシュレは抗った。
不完全であること、未熟であること、出来損ないであること。
それらすべてを認め受けいれて、それでもなお仲間たちとともに戦った。
そして、打ち勝った。
完全であるはずの者たちに“間違い”と断罪されたはずのヒトや土蜘蛛や夜魔の姫たちの《ちから》が勝ったのだ。
たぶん、あの瞬間スノウは無自覚にも決めていたのだと思う。
わたしはこちら側、つまりアシュレたちの側の人間だと。
オーバーロードやそれに類する“理想郷の光景”と敵対する者だと。
そして、その決意と歩みをあのヒトに──アシュレダウに認めて欲しいのだと。
もちろん、これもまた無自覚なままになのが微笑ましくも、面倒くさいのだが。
だが、とにかくにもいま土蜘蛛の姉妹から告げられた話は、半夜魔の少女のなかの自尊心に火をつけた。
「魔道書:ビブロ・ヴァレリはオーバーロード。《フォーカス》ではない……」
情報量と話の急展開に翻弄されていたスノウの瞳が徐々に焦点を結び、強い《意志》の光を帯びてくるのをエレとエルマは見た。
「どうした、急に。目の色が変わったな」
スノウの態度の急変に、今度はエレが戸惑う番だった。
なにしろこの娘さんときたら、これまでもとにかくいろんなものが急角度だったのである。
密航とか、一国の首都攻略戦に突如として参加表明とか普通はしない。
そして、エレの予想通りのことをスノウはする。
がばり、と跳ね起きるとベッド上に四つんばいになり、ふたりに詰め寄った。
「やります!」
いきなり食いつかれ、今度は土蜘蛛姉妹がのけぞった。
「どういうことだ、なんのはなしだ?!」
「びっくりした、びっくりしましたの!」
あまりのことに驚くふたりに、スノウはさらに食いついた。
「わかりました! わたしがこの作戦には必要なんでしょ? そういうことなら、やります!」
いえ、ですからね、と今度は話を持ちかけたエルマのほうが留意を促すことになる。
「決意はよくわかりましたけれど、そのまえにちょっといろいろ、作戦の概要をお話したいのですの」
「大丈夫大丈夫! だいたいの察しはつきましたから。要するにイズマさんは王の入城を使ってビブロ・ヴァレリをこの街の地下から一気に取り出そうとしてるんでしょ?」
「それはさっきエルマが言ったな」
そんなツッコミに対してさえ、目をキラキラと輝かせた美少女は動じなかった。
「それはわたしにしかできないことなんだよね? だからいまこうしてふたりが、特別にわたしにだけ打ち明けてくれたんだよね? そうなんだよね?」
どうもこの娘さんは注目されると俄然元気になるタイプらしい。
トラブルメーカーの特徴だなとエレは内心、思う。
「ほんとうはこんな危険な役を、あなたのような年若い娘さんに割り振るのはわたくしたちだって本意じゃあないんですのよ?」
エルマが珍しくまともなことを言っているように感じられるのは、彼女よりテンションがおかしくなっている存在が目の前にいるからだ。
「危険で、重要な……大役だわ」
ふーふー、というスノウの鼻息が荒いように思えるのは錯覚ではない。
「心配ですわ、お姉さま。やっぱりこの配役、わたくしとお姉さまにしていただくようイズマさまに上奏申しあげましょう」
らんらんと瞳を輝かせ鼻息荒く先をうながすスノウの様子に、普段であれば混乱を楽しむ気質のエルマでさえ真顔だ。
同じく感じたのか、釘を刺したのはエレだった。
「スノウ、いいかよく聞け。さっきも念押ししたが、いまから話すことは決してアシュレには悟られてはならん。口の端に上らせるのも厳禁なら、顔にも態度にも、もちろん鼻息にも出してはならん。それから、期日までにキチンと下準備が整えられなければわたしとエルマが代役を勤める旨、このあとイズマさまに上申する」
真剣な口調でエレに諭されたスノウは、光の速さで神妙な顔つきになった。
こくり、とまた没入するように深く頷く。
あの異常に光り輝く意欲満々の瞳のまま。
エレは言葉にならない胸騒ぎを覚えた。
「スノウ、おまえはあれが──王の入城が、どういう異能か知っているか?」
「えーと、ふたりの人間の位置を入れ替える?」
「それを可能にする対象の条件は?」
「対象の条件? え、なんだろう。似ていること?」
「状況からの憶測だけだがわりと真をついているな、その答えは」
エレからの微妙な称賛に、えへへ、とスノウは笑った。
しかし“白檀の巫女”は指を振った。
「真実はすこし違う」
「真実」
おうむ返しにスノウは訊いた。
エレが応じる。
「王の入城は対象となった二者を入れ替える。そこまでは正しい。しかしそれを可能にする条件は、とても厳しいものなのだ。似ていること、という答えは間違いではないが、それでは不完全なのだ。あの異能は両者の間の深い関係性を利用するのだよ」
「深い関係性」
ふむん、とスノウは唸った。
興味深い、とつぶやく。
その様子にエレは深い溜め息をついた。
「おまえ、ぜんぜんわかってないだろう」
「いや、わかってますよ! つまり、ふたりが強く想いあっていたりとか、目標を同じくしているとか、そういう関係性のことでしょ? だから、アテルイさんとアスカリヤ殿下は交換できたんだ。だって恋人同士だったんだから……当然ですよね?」
はー、と今度はエルマが深い溜め息をつく番だった。
あれっ、なにかいまわたし変なこと言いました? と小首をかしげるスノウに、エレとエルマの土蜘蛛姉妹はまたもや顔を見合わせた。
お互いが「コイツ、ぜんぜんわかってないぞ」という顔をして。
「えっ、なに?! 違うんですか?!」
「いや違わない。合っているが……言ってて自分で気がつかないのか?」
「えっ、なにがですか? 王の入城を成功させるための条件になにか間違いがありましたか?」
言い切るスノウの態度にふたりの姫巫女はもう一度、顔を見合わせた。
おまえから言ってやれ、とエレがかぶりを振るのと、エルマが噛みつくような態度でスノウの両肩を掴むのは同時だった。
「あー、この朴念仁めッ! ホントにわかんないみたいだからハッキリ申しあげますわ! アナタにはもっと素直になって頂くって申しあげてるんですの! わ・か・り・ま・す?」
「素直?」
なんのこと? と目を泳がせかけたスノウが己のなかにある想いを見つけ出してきたのは、ようやくこのときになってからだった。
「えっ、うそっ。うそでしょっ?!」と声が出る。
それだ、とエレが指さす。
エルマは鬼女の形相で迫る。
「うそじゃありませんの。ええ、ホントに。こんどはキッチリ、最後まで白状してもらいますからね!」
「えっ、ちょっ、イヤ! イヤだよ! 絶対、イヤッ!」
なにに思い当たってイヤなのかわからないが、瞬間的に熟れた林檎のようになってしまった頬を両手で押さえてスノウがかぶりを振った。
「イヤもへったくれもあるか、ですの! 作戦の要諦が関わってるんですからね! さー白状おし! そして、そのあとは行動あるのみ! 押し倒せ! 蹂躙せよ! 酒池肉林だ、ですのッ!!」
ヒートアップしたエルマが叫び始めたあたりから、スノウには記憶がない。
そして今日、土蜘蛛姉妹に最終期限を切られたスノウは、気がつけば肌着姿でアシュレの浴室にいたというわけである。




