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■第三十六夜:サラマンダーふたたび

タイトルで気がつかれた方もいるかもしれませんが、今回の食材、アレです。

注意勧告!


「ちょっと早いけど、お風呂を使わせてもらおうかな。潮風にも当たったし、汗もかいちゃったし」


 ジレルの水道橋を巡ったあと、アシュレたちは火災で焼失し現在は廃虚になっているヘリアティウムの大宮殿グラン・パレスを軽く覗いてから帰ってきた。

 なお、アシュレたち一行が拠点としたのは、イズマの借り上げた邸宅とは別のアパルトメントである。

 姫とひとつ屋根の下にいるんだーい! とかイズマが主張し始めるかと思っていたのが、アシュレのプランはあっさりと承諾された。

 それどころかイズマはこんなことまで言いだしたのだ。

 

「つか、女のコたちはボクちんたちの家には、しばらく寄りつかないほうがいいよ。連絡役はエレかエルマにしてもらって。でも、それもごくごく控えめにしよう。あ、アシュレくんもね!」

 アシュレはともかく、肌色大好き・女のコ大好きが服を着て歩いているかのようなイズマの発言は、直後にちょっとした騒ぎを巻き起こした。

 まず、イスに腰かけ腕組みした姿勢で固まったままノーマンが後に倒れ込んだ。

 アシュレは立ち上がって呆然となり、シオンまでもがイズマの額に手を当てて様子をうかがうまでした。 

「いやいや、ナニ、このリアクションわ! だいじょーぶ、だいじょーぶですって姫ッ! 熱なんかねーんですよ! 正気! 正気だから、イズマさまわ!」


 これは天変地異の前触れではないのか、とアシュレなどは思ったのだが理由を訊けば事情は理解できた。

 

「ボクちんたちが魔導書グリモア:ビブロ・ヴァレリに接触しに行って、もしなにか手違いがあってしおりを挟まれちゃったときに、情報を引き出されるスピードや精度に保険をかけときたいンすよ」

 そのためには直近の接触はすくなければすくないほど良い。

 なるほど、これから正面切って敵陣営に乗り込み大将どころか皇帝相手に精神的揺さぶりをかけようかというのだ。

 それくらいの予防線は張っておいて然るべきだとは、説明されたらアシュレにもわかる。

「相手がいくら超強力な魔導書グリモアだっつっても、いきなりマルッとボクちんたちの過去が暴かれるわけじゃねえと思うんですよ。そんなことしたら数百年も生きてる土蜘蛛や夜魔のページ数、どうなるんだってのね」

 だから、

「だから、ビブロ・ヴァレリの能力っていうのは常に『現在』を起点にして過去へ遡航そこうする《ちから》なんだろうなって。なぜかっていうと、それは遣い手であるビブロンズの皇帝たちが興味を持ったスタート地点がそこだってことだからサ」


 強力な超常捜査系異能を駆使し合う諜報戦のプロフェッショナルであるイズマの言うことはアシュレには半分ほどしか理解できないのだが、懸念は充分伝わった。

 たしか、カテル島での戦いでも、そんな理由でイズマはあくまで遊撃手的なポジションを譲ろうとはしなかったのだ。

 

「でも……旦那さま」

 それまで打ち合せを聞いていたエレとエルマがイズマの両脇に跪いて手を取った。

「なあに、心配なの? ダイジョウブですって。このイズマさまだよ? 死んでもしなねーって」

「でも、でも……」


 イズマを心配をするとき、アシュレはエレやエルマという土蜘蛛の女性たちの本質を見る心持ちになる。

 揺れる瞳で主人と仰いだイズマを見つめ、その身を案じるふたりの姫巫女から感じ取れるのは打算や保身などからは一番遠い感情の動きだ。

 普段の立ち回りや言動から厳しく冷徹な性格と思われがちなエレも、胸に抱いている想いは恋する女性のそれだ。

 

「ダイジョブですよ。ノーマンの大将がついてきてくれるし、バートン爺ちゃんだってアイテム群でバックアップしてくれる。つか、ふたりの実力はキミらだってご承知のとおりの折り紙つきよ?」


 なるほど、その人選もいまになって考えれば、かつてビブロ・ヴァレリに接触ししおりを挟まれた可能性の高い順から選抜だったのだ。

 ルカティウスが魔導書グリモアによって現段階でしおりを挟んでいる人物を通して過去を探ったとき、復讐に燃える男たちが自分の庭でうろついていることを察知されてしまうのと、振り返ったらすぐ背後に迫っていたというのではずいぶんと打つ手が違うことになる。

 たとえ行動を見抜かれても、その瞬間には王手がかかっているという状況をイズマは演出しようというのだ。

 

「なにより、痛快でしょ──うしろを見ろ! って叫べるかもだしサ」 

 そう言ってソファーに深々と座したままけらけらとイズマは笑ったが、ふたりの美姫は己の頬にその手を導いてなごりを惜しむ仕草を見せた。

 そんなエレとエルマの頬や頭を撫でてやりながら、イズマはアシュレに水を向けてきた。

「と、いうわけで。明日からは別行動ということにしましょ。アシュレくん、姫をはじめとして、女のコたちのことくれぐれも頼んだよ」

「あ、はい!」


 そんな話の流れとして女性陣全員の安全を預かることになったアシュレだったのだが……このメンツには大いなる問題があった。

 戦闘力に関して、ではない。

 おわかりであろう。

 そう、生活維持能力である。

 具体的には炊事と洗濯だ。


「うわっ、なに、なんなの、このニオイッ!」

 邸宅の扉を開けるなり強烈なスパイスというか薬草系の香りが鼻腔を直撃した。

 スノウが思わず鼻を押さえる。

「あらあら、おかえりなさいませ! 今夜は山椒魚サラマンダーの良いのがおりましたので、山椒魚のお鍋でもどうかと」

 玄関で騒いでいると、髪をまとめ白い袖付き前掛けを着込んだエルマが帰宅したアシュレたちを出迎えに現われた。  

「さ、山椒魚サラマンダー?! その鍋?! え、ええっと、それは……食べられるヤツなの?! お、美味しいの?!」


 山椒魚サラマンダーとは言うまでもないが両生類である。

 イモリとかカエルとかの仲間だが、煮込むというからにはデカイのだろう。

 アシュレの問いかけに、エルマはえへんっと胸を張った。

 

「当然ですの。というか、そのへんの亀なんかよりずっとずっと素晴らしいお味なのですよ?! 今夜も美味しく頂けるのですが、二日目以降がまた絶品!」

「あ、そ、そうなんデスね」

「しかも滋養強壮に富み! イズマさまから、わたくしたちを任されたアシュレさまにはぜひとも召し上がっていただきたい効能ですの!」


 このメンバーのなかでなにげに家事能力が高いのは、実は意外にもエルマであった。

 次点がエレ、スノウの順。

 シオンに至っては、かつてかまどを爆破した前科がある。

 たぶんその後のスキルの推移についても言及しないほうが良いだろう。

 ただ、エルマの家事スキル……これはエレにも共通しているのだが、とくに食事に関してはかなりの問題があった。

 

 食材の選別と、その調理センスである。

 今日のメインであるという山椒魚サラマンダーなどまだかわいいほうで、いったいどこで入手してきたのか蛇やサソリ、コオロギ、はてはカメムシ、ミールワームなどの昆虫類が素揚げの状態で卓上に提供された。

 蟲に寄生するキノコとかは、あれはどうしたらよいのか。

 意を決して食べてみればなかなかにうまいのだが、これに馴れていいものなのかどうかアシュレにはまだよくわからない。

 案の定、今日もひきっ、とスノウの頬が痙攣けいれんするのをアシュレも見た。

 次の瞬間には半夜魔の少女は土蜘蛛の乙女に食ってかかっていた。

 アシュレが止めるヒマもない。

 というか、止めても無駄なことをアシュレは学習したのだ。

 もはや日常の光景である。 


「もうちょっと、もうちょっとまともなメニューはないんですかっ!」

「あらあら、それだったらスノウさんがこしらえたら良かったんですの。五人前のお食事を毎食用意して、お片づけする苦労をもうすこし味わってみたら良いんではないんですの?」

「いや、お料理のお仕事そのものにケチをつけているんじゃなくて! 食材! 食材の選定なんです、問題は! ヘリアティウムと言えば海産物で有名! そこに東西だけではなく南方・北方からも貿易品が集まって……ゾディアック大陸屈指の食材の宝庫なのに!」


 なんで、山椒魚サラマンダー?! なんで、蟲?!

 スノウが喚くのもわからないではない。

 

「だいたい、そんなの、どこにいたんですかっ?!」

「よくぞ訊いてくださいました! 今夜のメインディッシュはなんと、あの水道橋の内部にいたのです! たぶん、トランキア地方の深山のもの。一メテル超の大物! これは霊験あらたかですわよ! そこに土蜘蛛秘伝のスパイスを加えた特製鍋。効きますわ!」

 ひきひきっ、とスノウの頬がまた引き攣った。

 家事要員としてエルマに捕まりそうになったところを抜け出し、アシュレとシオンを追ったのはほかならぬスノウ自身である。

 それがまさかこのような結果を招くとは。

「お料理はもうしばらくかかりそうなんですけれど。あ、お風呂がよい具合ですわ。それとも……わたくしになさいます?」

 旦那さまから、アシュレさまにはサービスするようにきつく申し付けられておりまして。

 あまりの展開に痙攣けいれんするスノウを完全にスルーして、エルマが鍋用の匙を唇に寄せシナを作る。

 

「あ、じゃあ、お風呂で」

「はい、それではみなさん、お食事のまえにお風呂にどうぞ。わたくしもあとから、お背中を流しにまいりますー」


 エルマの言動は普段が普段だけに本気なのかそうでないのか、さっぱりわからない。

 ただとにかく、ツッこんだら負けだということだけはこれまでの経験からわかったアシュレだ。

 なにはともあれ潮気を流すべく、浴室のある棟へとアシュレが傾きながらも向うことにした。

 


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