■第三十四夜:魔導書(グリモア)と栞(しおり)
「しかし、だ。そうなると、ここに集結している我々の情報は件の魔導書を通じて筒抜けなのではないのか。皇帝:ルカティウス十二世には」
頃合いと感じたのだろう。
アシュレとイズマの話を横合いで聞いていたシオンが口を挟んできた。
「それはオレの懸念していたところでもある。なにしろ……オレたちカテル島出立組はそのおかげでひどい目にあったんだからな」
同じくノーマンが胸中を告白する。
バートンはイズマと視線を合わせ頷いている。
「うん、そこね。まず姫とノーマンくんの心配してることはよっくとわかります。というか、それもあって先発隊にはバートンおじいちゃんを加えさせてもらったんだからネ」
「そうなのか?」
「皆さんには黙っており申しわけありませんでしたな。しかし、敵を騙すにはまず味方から、と古来より申しますし、どうか御寛恕いただきたい」
イズマの言葉に、ノーマンが驚く。
「カテル島出立組のなかで戦隊に残っているのはふたり。どちらかに魔導書の過去を暴く異能が練りつけられているなら……なにか動きがあったはずさ。でも、むこうさんからはなんのアクションもない」
いまのところだけれどね。
イズマはジョッキの底のエールの残量を確かめるような仕草をした。
「しかし、我々のときは動きを完全に把握されていた。そうでなければ大海蛇:シドレラシカヤ・ダ・ズーのあのタイミングを見計らった襲撃は理屈が合わなくなるぞ」
「それね」
ノーマンからの当然の疑問に、イズマは視線を動かした。
「確証はないんだけれども動きを察知されていたというのは、たぶん、キミたちのなかのうちのひとりだけなんだと思うんだネ。ボクちんは」
「ひとりだけ。どういうことだ?」
「んーんと。そうだなあ、どこから説明しようか。ええと……」
イズマは地図の上に無造作に放りだしていた駒を摘み上げて、解説をはじめた。
まずは白い司教を選び出した。
「コイツをたとえばダシュカちゃん、としようか」
次にイズマが掴んだのは黒のキングだった。
「で、コイツをノーマンくんたちに正体を隠して近づいたエスペラルゴの皇帝:メルセナリオ……なんだっけ、偽名は」
「メナス。キャプテン・メナスだ。そう名乗っていた」
「じゃあ、コイツがメナスね。あー、名前は、そのまんまか。いい度胸してるなあ。まあ、いきなり皇帝が自分で船乗ってやってくるとか、だれも思わねーもんな。大胆な策士だネ、彼は」
「めんもくない」
イズマの評価に、ノーマンは頭を下げた。
初見でメナスの正体を見抜けていれば、たしかに結末は違っていたかもしれなかった。
すくなくともセラやトラーオのそれは変わっていただろう。
「ちがうって。ノーマンくんたちを責めたんじゃない。相手が上手だったんだヨ」
皮肉ったんじゃないよ、とイズマはひらひらと手を動かした。
話題がこれ以上脱線しないよう、素早く白黒ふたつの駒を配置する。
「たとえばこのふたりには件の魔導書の異能……栞がつけられていました、と」
言いながらイズマはふたつの駒の頭部に小さな金のリングを通した。
これが栞付きの印だということだろう。
魔導書の異能をして栞とは、なかなかのセンスだとアシュレは思う。
「で、これがノーマン君たちだ」
白の騎士に弓兵、斥候、歩兵、そして白の女王が人数分並べられる。
「キミたちは白の司教──つまりダシュカちゃんの命令で、アシュレくんたちを探し出すべく使命を帯びてお船に乗って、ここヘリアティウムに着いたんだよね?」
過去のいきさつを再現するようにイズマは駒を動かした。
ヘリアティウムの波止場にノーマンたち戦隊と黒のキング──つまりメルセナリオの駒が配される。
「その次の瞬間には、ルカティウス十二世からの使者が現われましたな」
とバートン。
「あれは我らの動きを察知していなければできない芸当のはず」
うん、そうだね、とイズマ。
「しかし、こうやって改めて駒を用いながら説明されれば、その謎は簡単に解けますな」
なるほど、と地図上に現われた盤面にバートンは頷いた。
イズマの図説とバートンの理解にあっ、と声をあげたのはノーマンを始めとしたそのほか全員だ。
「そうか、我々自身に栞が貼り付けられてはいなくても……同行者のなかに……栞を挟まれた存在がいれば……」
「ご名答」
イズマがノーマンを指さす。
「なるほど、出発地点と同行者に栞が挟んであるなら。それは行動も筒抜けになる、か」
だが、とノーマンはふたたび疑問を口にした。
「だが、どうやって貼り付けた。栞を。メルセナリオはともかく……ダシュカにまで……どうやって?」
その疑問にイズマは我が意を得たり、と笑みを広げて見せた。
答えるかわりにイズマは、ダシュカマリエの駒に乗せられていた小さな金のリングを、ノーマンを示す白の騎士に移し替えた。
「そうか!」
ノーマンがふたたび声を上げた。
「栞は移し替えることができるのか!」
「そして……その使い手はいまや斜陽の帝国とはいえ文人として、さらにはアガナイヤ派の教皇でもあるルカティウス十二世。であれば、各国の全権委任大使と接することも容易い。いやそれどころか、大司教や他国の皇帝との直接の謁見だって当然のように可能だろう」
ノーマンの発見をシオンが補強した。
「なるほど、こうやってルカティウスは世界各国の要人に栞を貼り付け、外交の切り札としての情報を得ていたのか」
だが、とノーマンはさらに食い下がった。
「もし、いまイズマがしたように栞がダシュカやメナスからオレたちに移されていたとしたら……やはり、オレたちの行動は筒抜けなのでは?!」
自分を示す騎士の駒を指さして、ノーマンがさらなる懸念を口にした。
イズマは「わかります」という様子で頷くが、口から出た言葉は否定文だった。
「たぶん……それはないけどネ」
「なぜ言い切れる?」
食い下がるノーマンに、栞を示す金のリングをダシュカの駒に戻しながら、イズマが説明し始めた。
「それはね、重要度が違うからだよ、ノーマンくん」
「重要度?!」
「うん。たとえばさ。ダシュカちゃんのリングをキミに移し替える必要がなかったのは、そのあとの行動をメナスの栞から得られるから省略していい、ってだけじゃなくてサ。未来を覗くことのできる世界最高の預言者に栞をくっつけておくのとキミにくっつけておくのと、どっちが役に立つかって話だよ」
「たしかにそれは……考えるまでもないな」
では、メルセナリオに貼り付けられていた分はどうなのだ。
ノーマンの目が言う。
「そっちは……もしかしたら移されたかもね」
「なんだと?! では、やはり」
腕を持上げ脇をのぞき込んだり、急に自らのあちこちを調べはじめたノーマンの動きはちょっとしたコメディに見えるが、話題はシリアスだ。
「いやいや、早合点はよしなさいな、ノーマンくん。メナスからだれに移すかは、非常に微妙な選択肢なんだ。というより、移すのか移さないのかの二択。そして、移すならだれに移すのかって話でいうとね、もう一択しかねえんですよ」
イズマの言葉にノーマンが動きを止めた。
一択? と問いかける。
決まってるでしょ、とイズマは返す。
「ボクちんがルカティウスであれば栞は、この世界で最高の情報に接触できる相手に移すよ」
言いながらイズマは黒のキングに嵌められていた金のリングを、白の女王に委譲させた。
「つまり“再誕の聖母”=イリスに、ということか」
間髪入れず呟いたのはアシュレだ。
「ナチュラルに“庭園”へ接触できる数すくない存在なんだよね、いまの彼女は。当然の選択だと思うよ」
務めて無感情・無表情を貫いてイズマが事実を確認した。
「復讐に燃える我らや、強大な帝国の皇帝よりもか。だが……たしかに、そのとおりだな」
駒としての価値を低いと見積もられたことに複雑な思いはあるだろうけれど、事実を認めてノーマンが呟く。
「でも、これ……栞を増やしたりすることはできないのかな」
アシュレはこれまでのやり取りのなかで生まれた疑問をぶつけてみた。
ひとりの感染者から、ふたりに移る病気みたいな使い方はできないんだろうか、と。
しかし、イズマは即答する。
「たぶん、出来ないだろうね」
なぜかっていうと、と続ける。
「なぜかっていうと、相手の過去を暴くってのはものすんげー強力な《ちから》なんですよ。うっかり時間遡航や未来予知に匹敵するほどの能力だからね。前も言ったかもだけど、後ろ暗いところのない人間とか、ましてや国家とかないから!」
その事実を押さえるってことは。
「やり方次第で強請り放題ってワケ。しかも相手に栞を貼り付ける動作は気付かれないわけでしょ、この魔導書の能力って」
そんな強力な異能がどんなにデカい代償を求めてくるか。
「よく考えなくても《スピンドル能力者》であるキミたちなら、わかるでしょ? つうか、ルカティウスくん、相当の代価をこれまでに支払ってるはずなんだよネ。たぶん、栞を移す際にもそれは求められているはずでさ。自動的に接触して乗り移るタイプじゃないなら、つどつど選択してるわけでしょ?」
その上で、
「ノーマンくんとバートン爺ちゃんについては今回の作戦を動かす前に、だいぶ調べたからね。検証もこれまでの過程で済ませたわけだし。栞が挟まれている可能性はないよ。断言する」
というか、と続ける。
「もしルカティウスくんがふたりの動向を把握していたとしたら。インクルード・ビーストなんかじゃなくって例の大海蛇:シドレラシカヤ・ダ・ズーがもう一回襲いかかって来る、くらいはあったはずだもの。でも、それはなかった。だから、ないんだよ栞は。すくなくともいまここで話されている情報をルカティウスくんは知らない」
言い切り、イズマが大きく見栄を切った。
ノーマンが怪訝な顔をしたのはそのときだ。
「バートンはともかく……オレも調べていた、のか?」
ぎごちないノーマンの問いにそーだよ、とイズマは答えた。
「そっちは主にエルマが、ね。つかノーマンの旦那、トラントリムの最終決戦に降下するとき背中に貼り付けてたでしょ、彼女を?」
「おお、あのときは随分と世話になった」
ふたりのやりとりに、あのときノーマンの剥き出しの背中を目撃していた全員が怪訝な表情になった。
オーバーロードと化したユガディールとの最終決戦に舞い降りたノーマンは、その身に土蜘蛛の姫巫女の……あのうそのう……なんというか(エヘンッ)、すごい刺青というか刺繍というかを背負って現われたのだ。
背景にハートマークくらいは飛んでいたような気がするのだが、錯覚かもしれない。
「あんとき《スピンドル》を旦那に貸した彼女が、その後もあれこれ調べてくれたんですよ。縁を結んだ、っていうのかなあ巫女的には? そのエルマに見つけられないんじゃあ、よっぽどだよ? 彼女は呪術系──つまり、祟り殺す系のプロフェッショナルなんだからサ」
たしかに、とノーマンは唸った。
エルマはちょっと頭がアレだが、その能力は実体験にて認めるところだ。
「そうか。この義手もエルマ殿からの提供だし……そういう意図もあったのか」
浄滅の焔爪:アーマーンと換装した両腕をさすりながら納得を表現する。
「では、いま我々はルカティウスにとって盲点、というわけだな」
「あたり。キミにカテル島に帰られるとまずかったのは、それもあんだよね」
ダシュカちゃんに接触されると、それだけで情報が筒抜けになるからね。
目だけを動かしてイズマが言う。
「なるほど、得心した。だが、イズマ。だとしたら……ここからどう仕掛ける?」
しきりにカテル島行きに反対を表明していたイズマの意図を完全に理解した上で、ノーマンは改めて質問を投げかけた。
そして、その問いに対する答えこそ、イズマをして暗殺と謀略に長けた土蜘蛛たちの王と名乗らせるにふさわしいものだったのである。
「うん、お手紙をね、置きに行こうと思うんですよ。ルカティウスさんのお宅に──ノーマンくんのお名前で」
一瞬、なにを言われたのか、だれにもわからなかった。
「なんだと?!」
「イズマ、それは!」
一拍の後、度肝を抜かれてノーマンが硬直する。
驚きに席を立ったのはアシュレだ。
「なに、そんなに驚くこと?!」
騎士ふたりの驚愕ぶりに、策略を言いだした当の本人:イズマが目を丸くする。
その様子にイズマのやり方をよく知るシオンは苦笑し、策略に通じたバートンは目を伏せて、こちらも口元を綻ばせるばかりだった。




