■第三十三夜:軍議開始(物語のこと)
「話の流れ上、どうしても死者の墓を暴くような話題になるからね」
両脇を姫巫女姉妹に抱えられ連行されていくスノウの気配が感じ取れなくなるまで待って、イズマは話を再開した。
卓上にはヘリアティウムの詳細な地図が広げられる。
これも衛兵に見咎められたら戦時でなくとも尋問レベルの品物だ。
「とりあえず、この一週間ばかりの間に調査できそうな場所は可能な限り調査した。ボクちんとエレとバートン爺ちゃんでね」
爺ちゃん、という部分にぴくり、とバートンの眉が持ち上がったがイズマはかまわず続けた。
言いながら滑らかな手つきで地図の上に駒を配していく。
街の北西側をぐるり守る長大にして西方世界最強の城壁、そこを貫く古代の水道橋、かつての皇帝の居城でありいまや廃虚である大宮殿、そして岬の突端に位置するアガンティリス期の遺跡群。
「でまあ、そこでもいくつかわかったことがあるだけれども。まずは一番大事な事実確認からいこう。結論から言うと、このヘリアティウムの地下には、なにかとんでもないものが眠っている。それが果たしてボクちんたちの求める魔導書:ビブロ・ヴァレリなのかそうでないのか、まではいまのところ断言はできないんだけれどね」
ただ、とアシュレに向けられた視線には射貫くような鋭さがあった。
「アシュレくんの報告にもあったけれども。アスカ姫のオヤジさんの言動から限りなくその線は濃厚だな、と思います」
「やっぱり、イズマもそう思いますか」
アシュレの問いに「そりゃあねえ」とイズマは腕組みする。
「状況証拠だけで真騎士の乙女たちは動かないでしょ。自分たちの行動に威信や誇りを懸ける女のコたちだもの。しかも、今回はそそのかした相手が桁外れにデカい。オズマドラ帝国の皇帝って、うっかり世界の覇者級の男だよ、ソレ」
地位だ、名誉だ、権威だなんてものに普段まったく頓着しないイズマにそう言われて、アシュレは改めていま自分たちが相対している存在と事件の大きさを思い知った。
「たぶん、アスカ姫はこの事実を腹に収めたままにするつもりで半分いたんだろうね。ずいぶんつらい心持ちだったはずだよ。だから……正直に言う。アシュレくん、よく彼女の本音を聞きだしてくれた。危なかったよ。ボクちんも報告聞いてる間に気がついて鳥肌立ったけれどもさ。これ、もしかしたら、アスカ姫との今生の別れになるかならないかの選択肢だったんだわ」
「今生の別れ?! どういうことですか?!」
ある程度のことは覚悟していたアシュレだが、それほどまでとはさすがに思わなかった。
うん、とまたまたイズマは頷く。
「この一連のお話、真騎士の乙女たちの種族的特性こそが、まずは大きく起因しているとボクちんは分析しているんだネ」
「真騎士の乙女たちの種族的特性?」
「うん。オディルファーナ・モルガナ──黒翼のオディールちゃんだっけか、アスカ姫の話に出てきた真騎士たちのリーダーは。そのコが言ってたんデショ? オヤジさん、つまり皇帝:オズマヒムどころか、アスカ姫までも変わらなければならない、って」
アシュレはアスカの心に迫ったあの夜の逢瀬を思い出す。
たしかに、アスカはそう言った。
「わたしは変わらなければならないのか」と。
それから怯えるように、まるでアシュレにいますぐさらってくださいと懇願するようにしがみついてきた。
「つまり?」
あの夜の記憶を甦らせつつ、アシュレは訊いた。
イズマの言葉の意味するところは感覚ではわかるのだが、まだ論理的には掴めない。
そういう視線を送れば、イズマはもうすこしだけ話を噛み砕いてくれた。
「おかしいじゃないか、って言ってんのサ。目的のブツの在処まで突き止めているなら、どうして自分たちが直接に乗り込んでこねえんだ? って言ってんのさ。勇猛果敢、武勇で鳴らした真騎士の乙女たちだぜ? 自らの掲げる信念の為ならまっすぐ突っ込んでいくような連中だよ?」
それが、人間の英雄王をそそのかして後から糸を引いてる。
「しかも、その男と自分たちの姉妹の間に生まれた……ええと、姪っ子でいいのかな? を脅すような真似までしてだ」
どーにも理屈があわないよねえ、と赤い瞳がアシュレを見る。
主義主張と行動との間に齟齬があるっつうか。
さきほど食した米の炒め焼きに入っていた貝柱の繊維を、奥歯の隙間から取るようなジェスチャーをイズマは見せた。
「すくなくとも、ボクちんの知ってる真騎士の乙女って種族はもっと一途でひたむきなコだったなあ。だれかに犠牲を強いるくらいなら、自分が名乗りをあげちゃうような」
なぜイズマがそれほど真騎士の乙女の性情に詳しいのか、アシュレは知らない。
かつて、暗殺教団:シビリ・シュメリの本拠地であるシダラ山に囚われたエレを助け出すため同道してくれた真騎士の乙女:ラッテガルトとの間に、イズマがどのような契りを結んだのか聞かされてはいない。
しかし、態度はおどけているようでも、いつになく真剣なイズマの言葉からは説得力しか感じ取れなかった。
たしかに、フラーマの漂流寺院で加勢に駆けつけてくれたアスカの母君:ブリュンフロイデの勇姿は、陰謀とか恫喝などといった姑息な手段からは、一番遠くにある気がした。
アシュレは同意を示す。
だとすれば、つまり。
そんな彼女たちをして、他者をそそのかさねばならぬほどの脅威がそこにはあるからなのだ、と。
「じゃあ、イズマはこう言うんですね。“もうひとつの永遠の都”:ヘリアティウムには確実に真騎士の乙女たちの言うところの『変わるためのなにか』が秘せられていると。けれども、それを手に入れたいのに真騎士の乙女たちは直接的にはヘリアティウムに手を出せない。もしくは、可能な限り自分たちでは手を出したくない状況下にあるんだ、と」
彼女たち自身の誇りや信念を前にしてすら、直接的行動に出ることをためらわさせるほどの強大な《ちから》が、ここには眠っている。
「うん。そう、そうなんだ。ボクちんの推論もまさにそこで、さ」
「たとえば……真騎士の乙女たちの物語の部分にそれは働き掛けてくる《ちから》だからだ、とか」
アシュレの口からこぼれた唐突な言葉に、イズマの長い耳の先がぴくり、と動いた。
「この話、アシュレくんには前にもしたっけ?」
イズマの残された右目がきろり、と動いてアシュレを映す。
「いいえ。ただ、アスカが言っていました。黒翼のオディールは告げた──オマエたちのなかにある不純を取り除き清める、って。」
アシュレもイズマの赤い瞳を見つめ返した。
不思議なものだ。
態度だけ見ているとふざけているようにしか見えないイズマの瞳の奥は、こういう話をするとき、いつも笑っていない。
「ふつうの人間にそんなこと出来るわけがない」
「けれども、真騎士の乙女たちはそのための道具を持っている」
「聖柩。人間の持つ不完全さを清め、英霊へと仕立て上げるための」
本を思え、とアスカは言っていた。
物語を内包した本こそは──英霊の存在にもっとも近しい、と。
なぜならそれは物理的現実に属しているが、そこに書かれている物語は虚構に属しているのだから、と。
現実と虚構、その両方の属性を物語の記された本は獲得しているではないか、と。
「だとしたら……イズマ、ボクは思うんです」
いつのまにか自らの考えを語り始めたアシュレに無言で土蜘蛛の王は頷く。
深く、強く。
「ヘリアティウムに眠るものというのは、真騎士の乙女たちが恐れている──不純の記述を行う存在、そのものなんじゃないのかって」
アシュレは己の頭の中身を開陳する。
そして、思考とは言葉という音を得て、他者へと伝播すべく表現されることで飛躍を見せるものだ。
「だから、真騎士の乙女たちは恐れているじゃないのかって。自分たちが、その《ちから》に相対してしまったとき記述されることを。自らの不正義を。あやまちを。彼女たち自身の半分を構成している物語に、不都合な事実を記されてしまうことを」
だって、彼女たちは英霊と転成を果たした英雄としか子を成すことができないのだから。
それはつまり、物語という情報としか交われない、ということだもの。
「つまり?」
イズマは念を押すように聞く。
それは疑念や疑問からの問いではない。
確信である。
その確信に応じるようにアシュレも頷いた。
「つまり、この地:ヘリアティウムに、あらゆる過去を暴く魔導書:ビブロ・ヴァレリはあるんだ。やはり。確実に」
そして、と続けた。
「ビブロ・ヴァレリは真騎士の乙女たちにとって天敵とも言える存在なんだ。自分たちの純粋さを穢される──地上に生きる他の種族とと同じように、やはり汚れも後ろ暗い感情をも有する存在に過ぎないのだと暴かれてしまうからだ」
ちがいますか、とアシュレは言った。
ちがうはずがない、という力強さで。
すばらしい、とイズマは答えた。
「ボクちんも、同じ結論だよ、アシュレ」
「やっぱり」
アシュレは、苦笑いする。
先に気がついていたなら、そう言ってくれたらいいのに、と。
だが、時間の流れのなかに忘れられていた塚の土蜘蛛王は、やはり笑って言うのだ。
「こんなこと考えるのも嫌だったはずだよ、アシュレ。だってそれはアスカ姫やそのオヤジさんの暗部に立ち入る話だもの。大事にしたいと願ったヒトたちの背後にある深刻な事実に立ち向かうということが、どれほどの勇気を必要として、どれほどの消耗をヒトに強いるのか。だけど、キミはその困難の海を泳ぎきった。自分の《意志》でもって、結論へ辿り着いた。思考することを手放さなかった」
キミはすごいやつだな、やっぱり。
不敵な笑みがそう言っていた。
アシュレはうれしく思う。
すこしだけイズマと同じ場所に立てたような、そんな気持ちになれたのだ。




