■第三十二夜:軍議開始(スノウの役目)
「これで、いちおうですが、こちらのからの報告は終わりです」
すっかり空になった鉄鍋のうえでカラス貝の殻が、カロリと音を立てる。
スノウの従者叙任式とその後の食事会を終えたアシュレは、話題にも区切りをつけた。
卓上で睨みを効かせていたシオンも、口をヘの字にしながらも納得を見せてくれた。
うん、とイズマが頷く。
「とりあえず、スノウちゃんは《スピンドル能力者》としてはまだ全然未熟な状態だ。《フォーカスの試練》すら潜り抜けてないし。……まあ、いま報告にあった状態ではどんなに下級の《フォーカス》でも主人としては認めてくれないだろうからね」
特殊な武具・工芸品である《フォーカス》は、その使用にあたり、まず物品そのものが使い手を試す。
これを《フォーカスの試練》と呼称するのだが、イズマは現在のスノウの状態を冷静に観察・分析した上で宣告した。
スノウは悔しげに下唇を噛みしめるが、こくり、と頷いた。
事実を認めたのだ。
「うん。まずいまの己の実力を認められなくちゃ、なんにしても上達はありえない」
すかさず、アシュレがスノウを褒める。
弾かれたようにスノウはアシュレを見る。
複雑な表情だが、まんざらではないようだ。
「そうだね。だから、今時作戦は……見学……してもらおうかとも思ったんだけど」
そう言い出しかけたイズマの方に、今度は光の早さでスノウは視線を振り向け直した。
イズマは、そんな様子を気にしたふうでもなくいつもの調子で告げた。
「それはやめにしました。というか、戦争が始まったら観客席なんかないからね。ついてきちゃいました、では済まされない。鏃も、砲弾も、槍の穂先も、戦闘要員と民衆を区別したりはしてくれない。で……ボクちんなりに考えたんだけど、スノウちゃんには消耗品類の運搬と管理をやってもらおうかと思いましてね」
アイテムの運搬と管理係、という単語の響きにスノウの瞳が半分になる。
これは要するに荷物運びのことだからだ。
父の従者としての修業時代を過ごしたアシュレには、その気持ちもわかる。
だがスノウの心の動きを察したのか、イズマは付け加えた。
「いや、運搬係って単なる運送係じゃねえからね。必要に応じて即座に戦線に消費型のアイテムを投入する役目だかんね。いっとくけど、《閉鎖回廊》の内外を問わず消費型アイテムの威力って加減されないし、限定的な状況下では下手な《フォーカス》よかよっぽどに強力なんだからね? というか……」
チミィ、飲んで体感したんじゃないの、土蜘蛛謹製のおクスリを?
不満を表情に出したスノウをイズマは見逃さず、言葉の針で一突きした。
とたんに、スノウは背筋を跳ね上げ、むむむ、と唸る。
「そうだね。ボクもはじめての《閉鎖回廊》での戦いで、イズマから貸してもらったアイテムにホントに助けられた。あれがなかったら……ナハトヴェルグの魔剣と魔鎧に勝てたかどうか……」
スノウの反応に、アシュレはもう半年以上前になるイグナーシュ王国での顛末をかいつまんで話した。
霊薬の効果、火柱を作り出す薬液、煙幕と罠の相乗効果がいかにして敵を打ち破る《ちから》となってくれたか。
後にシオンから聞いたアシュレの知らない前庭での戦闘でも、イズマは無数のアイテム群を投じて戦局を維持し続けてくれていたらしい。
そういう話だ。
最初は不満げな態度だったスノウの表情が驚愕に、それから徐々に使命感を帯びて輝き始める。
「連携して戦う局面では、戦隊の命綱といってもいいポジションになる」
やってくれるね、と真顔で諭せば「はい」という素直な返事が返ってくる。
アシュレは彼女の目を見て「頼んだよ」と頷き、イズマに視線を送る。
こちらは「ありがとうございます」の意味だ。
アシュレにはわかっていた。
イズマはいま、わざと損な役割を買って出てくれた。
騎士に憧れるスノウにアイテムの運搬係など正面から頼んだところで不平不満を抱くのは目に見えている。
だから、イズマはまず彼女のトラウマにワザとちょっかいをかけ、反感を起こさせた。
そこでアシュレがスノウのポジションの重要性を自らの体験談をもとに説く。
自らの仕える騎士から実体験を交えて「キミはボクらの命を救うかもしれないポジションなんだ」と諭されれば、スノウのなかの自尊心はくすぐられるに決まっている。
イズマがわざわざその在処を際立たせた直後であれば、なおのことだ。
さらにこの役回りだと、イズマは自身の株を下げながらアシュレのそれを上げてくれたわけだ。
だれが彼女の主人なのか、間違えないで済むように配慮までしてくれた。
初めて出会ったころにはまったくわからなかったイズマの気づかい、人心掌握の技術がアシュレにはいまはよくわかる。
「ほんじゃま、アイテム類の講釈と使用時の技術的指導は、ウチのエレさんとエルマさんが担当してくれまーす!」
しかし、指導係の人選にスノウの表情は凍りついた。
イズマの右隣に座るエレの凶手としての凄まじい戦闘能力はトラントリムでの戦いで垣間見たスノウだが、同時に彼女の土蜘蛛としての倫理観をも体験している。
いっぽう、イズマの左隣で自らの胸乳を鷲掴みにしている指をはにかみつつも甘受する姫巫女:エルマがその柔和な表情の下に隠している狂気もすでに充分に体験済みだ。
いずれにしてもそれでトンでもない目にあった。
「えっ、えっ、えっ」
と指導教官ふたりと主人であるアシュレの間を、少女の視線と指先が行ったり来たりする。
その様子にアシュレは理解を示し苦笑はしたが、決定を覆したりはしなかった。
「彼女たち以上に消費型のアイテムの効能と使用方法に長けた教官はいない。自ら製造まで行えるヒトたちだ。もしかすると、世界最高の師範かもしれない。みっちり叩き込んでもらおう」
というか、とアシュレは笑みを浮かべる。
「ボクの方が習いたいくらいだ」
積極的な意欲を示すアシュレの言葉は演技ではない。
うん、とイズマも同意する。
「それはアリかもね。いざ行動を起こすとなったら、いちいち効能や使用タイミングをレクチャしているヒマがないから、機を見てアシュレくんも講習に参加するといいよ」
「土蜘蛛の言語にもすごく興味があります。ぜひ!」
地下世界に暮す土蜘蛛たちは独自の言語・文字の文化を持ち、普段は人類圏における共通言語:エフタルではなく、そちらを使って意思疎通を行う。
スノウがあおった件の霊薬のラベルが良い例だ。
もし、スノウが土蜘蛛の言語を読むことができていたら、状況はだいぶ変わっていたことだろう。
そして、己が仕える騎士となったアシュレの前向きな態度に、スノウは気圧される。
「それは、ぜひ我らも参加させてもらいたものだな」
さらにそこにノーマンが、バートンまでもが加わってくる。
「じつは、わたくしはここ数日、エレ殿に手ほどきを受けておりまして。いや、なかなかに土蜘蛛の技術、すばらしいものですぞ。目から鱗、とはこのことですな」
珍しくバートンが絶賛すれば、カテル病院騎士団の男もさもありなんと力強く頷いた。
「トラントリムに上陸したとき、そのような備えと知識があれば……形勢はまったく違っていただろうにな」
死地を潜り抜けたきた男たちの技術や知識に対する習得欲を浴びせられ、スノウの瞳が本気になった。
「が、がんばります!」
「じゃあ、さっそく、食後の講習といこうか」
「えっ」
イズマが指を鳴らせば、エレとエルマは心得ましたとばかりにスノウを連れて別室にいってしまった。
「じゃあ、ボクらもさっそく」
と立ち上がりかえたアシュレたちをイズマが制す。
「いいや、ちょいまち。キミらには別の話があるんだ。というか、ここからが本番」
エレとエルマを見送ったイズマの瞳は笑ってはいなかった。
アシュレはその意図を察する。
これからする話は、できればスノウには聞かせたくない類いのものなのだ、と。




