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■第三十一夜:心の騎士(下)



「ええと、そのう、なんというか。色々試してわかったことなんですが。現状、スノウの《スピンドル》にトルクを与えたり、停止させたりすることができるのはボクだけ……みたいなんです」


 シオンになかば脅されるような調子で促され、アシュレはことの次第を説明した。

 予想外の告白に「は?」とイズマでさえもが固まる。


「なにそれ、どゆこと?!」

「なんというか……ボクだってこういうのは初めてで、よくわかないんですけど。《スピンドル》の噛み合わせというかなんというか」

「え、なに。ソレってアレ? 雛鳥が最初に見た動くものを親だと思うみたいな。そういうやつ?」

刷り込みインプリンティング……凶手を教育するときにも使う洗脳技術みたいなものでしょうか、旦那さま?」


 戸惑うイズマにエレが答える。


「どっちかというと強引にされすぎて手形がついちゃった、って感じです? 鍵穴とその鍵、みたいな感じ? アシュレさま専用なっちゃった、というか」

 横合いから楽しくてしょうがない、という感じでエルマが言った。

 イズマがエレを見て、エルマを見て、それからスノウに訊いた。

「えっ、そうなの?」

 

 ウワアアアアアアアアアアアア、と耳たぶまで真っ赤になったスノウが突如としてテーブルに突っ伏したのはそのときだ。

 

「だって、だって、あんなに強引にするから! 奥まで! 覗かれた、ぜんぶ、ぜんぶ覗かれたあああああああ!!」

「ちょっ、ちょっと、ものすごい誤解のある言い方だよ、それっ!」

 突然の展開に、アシュレが慌てて食い下がる。

「誤解っ?! 誤解だったっていうの?! 見たんでしょ、ぜんぶ、ぜんぶ、見たんでしょ?! じっくり、隅々まで、わた、わた、わたしの心を!」

「いや、それを言うならボクの心のなかだって見ただろ! アレはどちらかが一方的に行った強引な……そう、覗き見みたいなのとは違う。お互いが、お互いの、裸の心を……」


 反論しかけたアシュレの言葉尻がだんだんと萎んでいく。


「見たんだ、やっぱり、見たんだ」


 がばっ、と身を起こしたスノウがまたがばり、とテーブルに伏せた。

 どうすればいいんだ。

 アシュレはそんなスノウの肩を掴むこともできず、かといって論破することもできずに困り顏になるしかない。

 おそるおそるシオンを見れば、凍りつくような冷たい視線を送られた。


「ほんとにカタつけちゃったの、アシュレくん、女のコの《スピンドル》に」

 そして、やっぱり致命傷はイズマの言葉だった。

 思わずアシュレまでテーブルに突っ伏しそうになる。

「いや、だって、ボクだって初めてだったんですよ! 《スピンアウト》を止めるのに必死で……力加減まで考えが及ばなかった」

「こういう事例ってほかにあるのかなあ。治るの?」

「さあー。でも、別に直さなくてもいいんじゃありませんの? これ要するに、アシュレさまが管理している間は、スノウさんの《スピンドル》は安定しているってことでしょう? むしろ安全なのでは?」

「あー、なるほどなあ。しかし、これ、精神的な分析をするとどうなるのかねえ。やっぱり……こ」


 訊いたイズマにエルマが答え、それを受けた土蜘蛛の王は首を捻りつつ推論を口にしようとした。


「わーわーわー!!」

 とその頭の上に湧いた仮想の雲を散らすようにスノウが立ち上がり、小さな両手を力いっぱい振った。

 必死の抵抗。

 乙女的な決死の妨害である。

「ま、いいや。ともかく、状況は理解したよ。ほんで、実際のところはどうするの?」 

 スノウちゃんの処遇、というか、社会的な立ち位置は。

 突然に物分かりの良さを発揮して、真顔になりイズマが問うた。

 言いにくいことを、とアシュレは思う。

 いつものことだが、ふざけているのか本気なのかわからないのが余計にやっかいだ。


「とりあえず、アシュレの義妹としてはどうかというのが提案だ。暫定だがな。ヘリアティウムにいる間は設定上の妻の妹……つまり、わたしの妹ということにしておこうということでまとまった。いや、まとめておこう」


 ふん、と鼻息をつき、腕組みをしてシオンが告げた。

 設定上の、というのはヘリアティウムへ潜入する際の脚本カバーストーリーである。

 若き実業家の妻がシオン、妻公認の妾がエルマ……というようななかなか激し目の設定が成されていたのだが、そこに妹までもが飛び込んできた。

 たしかに髪の色も似ているし、美貌びぼうという意味ではスノウはなかなかのものだ。

 だが、並べられ姉妹として通りそうだとの評価を受けたシオンは、エルマの愛人設定のときなど比べ物にならにほどに不機嫌な顔をして見せた。

 とまあ、そんなすったもんだを経て、船中でなんとか辿り着いた妥協案である。

 

「あ、義妹にするの。幼妻ではなく」

「ちょっ、イズマ! そんなの、ダメでしょ!」

 しれっと呟いたイズマに、アシュレは超反応した。

 びくりっ、とスノウの肩が震え、ぴくりっ、とシオンの眉が動いた。

「まーそりゃそうかー。いかに内縁とはいえ立て続けに嫁さんもらって、アスカ殿下との宮中ロマンスも進行中……いくらアテルイさんが亭主関白だっつっても、こりゃあアウトだもんね」

 指折り女性関係の数を数えるイズマの袖を、さすがのアシュレも掴んだ。

「いや、あの、そういうんじゃないから、ボクとスノウは!」

「あらあら。いたいけな少女の心に消えない傷をつけておいてー、義妹ポジションくらいで、いいんですのー?」

「エルマさんまでっ!」


 びくびくっ、とスノウ。

 ぴくぴくっ、とはシオン。

 その間で叫ぶアシュレは生きた心地がしなかった。


「と、とにかく、そ、そういうのはダメです! 事故で、彼女の将来をメチャクチャにするとか、ありえないから!」

「あら、結局モノにはなさらなかったんですの?」

「彼女は未成年です! っていうかナニいってるんだ、貴女!」

「あー、なるほどなー。どおりで。それで心の方に傷がついちゃったんだ」


 ほーんはーん、となにか理解に及んだ様子でエルマがしきりに頷いた。


「ときにアシュレさまは、初体験、いつでしたの? 成年後?」

「なんでいまそんなことが関係あるんですかっ!」

「いいえー。貴種・貴族の家柄では、十代前半の婚姻なんて珍しくもありませんし、いいんじゃないのかなあ、って個人的に思っただけですの」

「ナニがいいんだー!」


 倫理観のおかしな連中に囲まれだんだん壊れかけてきたアシュレだが、実は彼自身、母親のソフィアが十五歳のときの子供である。

 ということは懐胎はそれを十月十日は遡るわけで、まあ、そういうことである。

 別段、この時代に珍しいことでもない。

 が、改めて問われれば、たしかにすこしばかり頭に血が上る話ではあった。


「と、ともかく! スノウの件は、ボクが責任を持ちます! 《スピンドル》の使い方だけじゃない。騎士としての心得も教育します! 義妹である、というだけでは問題なんだっていうのなら! 必要であれば……戦場も体験させる。そういうことにしましたから!」


 激昂した様子で立ち上がり、ついにアシュレは宣言してしまった。

 自らの処遇を告げられ、スノウが上体を起こす。

 微妙な表情だが……。

 はて、これまでのように不機嫌なだけなのとは、すこし違うようだ。


「なるほど、アシュレさまも従者を教育する歳になられましたか」

 食卓を調えながら感慨深げに言ったのはバートンだ。

「成り行きだし、ボク自身まだまだ未熟だけれど、しかたない。彼女が独り立ちできるようになるまではボクが後見人を勤める。って、バラージェ家は、もしかしたらもうないかもしれないけれど」

「心の騎士として、というわけだな」


 こちらも、大皿に盛られた料理を運びながらノーマンが言った。

 今日のメインはアラム風の鉄板で焦がすようにして焼いた米と魚介類の料理だ。

 大振りなレモンが添えられ、いかにもうまそうだ。


「ヒトを教え導くというのは自分自身が問われるという意味でとても大変なことだが、その過程で互いが磨かれるからな」

「心の騎士……はい、そうです」


 スノウも、それでいいね。

 自分を騎士に育ててくれたバートンと騎士の先達であるノーマンの言葉に力添えされたアシュレが、決然として言った。


「は、はい」


 そして、なぜかうつむいて顔を真っ赤にしたスノウが突然に殊勝な表情になって頷いた。

 もしかして、スノウは自分の立場をボクが決めてくれなかった、と腹を立てていたのかもしれない。

 アシュレはそう感じた。

 ボクにもそういう経験がある、と過去を思い出す。

 父さんに《スピンドル能力者》としての才能を認めてもらえなかったときのことだ。

 アシュレはひとり合点して頷く。

 もちろん、間違っていた。

 しかし、現実は良いように解釈され、進行して行く。

 

「あらあら」とはエルマ。

「ほーう」とはエレ。

「じゃあ、ほら、騎士殿、叙任の儀をしてあげなくちゃ」

 とイズマまでもが、暖炉の上に飾られていたロングソードを持ってくる始末。


 しゃちほこばった態度で叙任を儀を授けるアシュレと、従順な態度でそれを受け入れるスノウを前にして、シオンは面白くなさそうにワインをあおって呟いた。


「なんだこれわ、別の式ではないか」と。

 


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