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■第二十九夜:姫巫女の上ネタ



 さて、場面は同じく船倉ではあっても、ふたりの美姫の側に移る。

 

「なかなか際どいところであったな……」

「まったく、てこずらせやがって、ですわ」


 互いに背を預けて座り込み、夜魔の姫と土蜘蛛の姫巫女は荒い息をついていた。

 シオンの上気した肌は汗ばみ薄物が、同じくアルマのそれにははだけた襦袢が張り付き、うっすらと色が透けている。

 すこし離れた場所ではシオンの守り刀:シュテルネンリヒトによって喉を刺し貫かれたインクルード・ビーストが、長い舌を垂らし絶命していた。

 その四肢は異常な生命力を証立てるかのように、いまだ痙攣けいれんを繰り返している。

 

 襲撃を受けた瞬間、種族を違えるふたりの美姫は連携した。

 インクルード・ビーストとの交戦経験はエルマにはなかったが、姉:エレからのレクチャがその特性を充分に伝えてくれていた。

 

「いかにもケダモノって顔をしてますけど、こいつらには精神操作系の呪術が通じるみたいですの」

「ああ、だろうな。自分たちの因子を打ち込むことで人類を隷下に置く連中だ。その頭のなかには、人類の心を理解する器官が収まっていて当然だろう」

「ならば!」


 強力な幻術を持ってこれを封じるのみ。

 積載された貨物の上へと素早く逃れながら結印した姫巫女にシオンが合わせた。

 

「心に作用する幻術であれば、わたしも《ちから》を貸そう」

「助かりますわ!」


 目にも留まらぬ速度で印を切るエルマを守るようにして敵の攻撃をいなしながら、シオンが《スピンドル》を励起させる。

 左手は、腰の得物=シュテルネンリヒトを掴んでいる。

 なるほど、シオン自身が《ちから》の使用を固く戒めているため普段は用いることがないが、他者を魅了しこれを隷下に置く技は夜魔が得手なのである。

 さらにはいまシオンが手にする守り刀は、抜けば幻術を切り裂き、鞘に収まってはこれを操ると言われた星の剣である。

 

 そして、幻術でもってまず敵の心を縛るというエルマの提案は強力な広範囲攻撃型異能を用いるわけにはいかない現状において、おそらく最善手に限りなく近い選択肢だった。

 

「かつて、わたしを縛り上げ、アシュレを陥落させかけた土蜘蛛の姫巫女の《ちから》、見せてもらおうか」

「がってん承知、ですわ!」


 いかにもふざけた口調ではあったが、その手際を見ればエルマに差し出口を挟むような愚か者はいないはずだ。

 

淫堕夢幻牢獄ルードナイトメア・ジェイルッ!」


 呪術の行使に必要な複雑な結印と触媒を用いた手続をあっという間に終え、エルマは技を放った。

 そこに夜魔の姫が《スピンドル》を貸し与える。

 羽虫か、いや、女性の裸身を思わせる肉体を持つ影たちがいまにも襲いかかろうとしていたインクルード・ビーストを直撃し、包み込んだ。

 抵抗を見たのは一瞬だった。

 

 みるみるうちにインクルード・ビーストの挙動がおかしくなり始めた。

 あっというまに棒立ちになり、視線を宙に彷徨わせはじめる。

 恐るべきタフネスと戦闘能力を持つ獣を無力化するのに、これほどおあつらえ向けの技はなかったということであろう。

 

「ふー、さすがはわたくしの呪術ですわ。そこにシオンさまの助力があったのですから当然と言えば当然なのですが」

「エルマ……その、なんというか、さきほど《スピンドル》を貸し与えた際のことだが。技の……というか幻術の内容がチラと流れ込んできたのだがな。淫堕夢幻牢獄ルードナイトメア・ジェイルというのは、どういう技なのだ?」

「えっ、ああっ、ええとそのう、ちょっとなんというかセクシャルなファンタジー、というか、ですね?」

「それはなんとなく技名から推察できるが……。そなた、いま行使した技の中身にわたしを用いなかったか? そのセクシャルなファンタジーに?」

「えひっ、いやー、そのーう。なんというかネタはこう上物であるほうが効きも良いですし、さいわいにも、ほら、わたくしはかつて、そういう夢をですね? シオンさまに投影したこともございまして、ことかかないというか。スッと。こちらにすでに調理済みのオカズが、というか?」

「エルマ! ちょっとまて、やはり、そういうことか!」


 《閉鎖回廊》外での緊急的な異能の行使にか。

 あるいは夜魔の姫からの予期せぬツッコミのせいか。

 エルマは額にかいた汗を拭った。

 

 その瞬間だった。

 ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!

 油断して間合いを見誤ったエルマに、獣がのしかかった。

 

「し、まっ」


 術の効きが甘かったのか。

 いいやそうではない。

 エルマの放った淫堕夢幻牢獄ルードナイトメア・ジェイルは通常であれば敵の精神を淫夢のうちに捉え、閉じこめ、行動を封じる呪術系の異能である。

 インクルード・ビーストの本能とでも言うべき征服欲を見抜き、効果的な異能をチョイスしたエルマの判断は大正解だったのだ。


 だが、だからこそ、油断した。

 これは獣の本能的な、あるいは不随意な行動だった。

 寝返りのようなもの、と言えばわかりやすいのか。

 意識ではなく無意識のレベルで、他者に己の因子を打ち込むことを焼きつけられている存在の行動原理が獣を動かした。

 まさに受肉した悪夢そのもの。

 それがインクルード・ビーストであった。

 

「ちょっ、まっ、いきなりそんな、心の準備というものが!」


 そして、そんな状況に追い込まれながらも、エルマのセリフにはどこか現実感がなかった。

 なぜなら、このときすでにエルマはインクルード・ビーストの腕からの脱出を果たしていたのだ。

 次の瞬間──土蜘蛛の姫巫女の姿はまるで霞のごとくに雲散霧消した。

 

「たすかりましたわ!」

「そなた、重い! それに、負担がひどい!」

 

 エルマに迫る危険を察知するや、シオンは守り刀の《ちから》を解放した。

 精巧な残像を作り出し攻撃地点をずらすとともに、影渡り(シャドウステップ)で姫巫女を掻っ攫った。

 

「アシュレに降りたアスカ殿下の加護がなければ──《閉鎖回廊》の外で──こんな連続技、ありえんぞ!」

「シオン殿下の器の大きさ、さまさまですわね」


 エルマの指摘通り、シオンが立て続けにこれほどの異能を扱えた理由はまさにそれであった。

 通常は対象となった男にだけ垂れられる戦乙女の恩寵が、共有する心臓を介して部分的にだがシオンにも流入していたのである。

 シオンがアスカとの関係を許容できていなければ、ありえない奇蹟。

 それがこの戦いを可能にしてくれていた。

 

「しかし、なんだこのバケモノは。ふしだらな夢──幻術に惑わされているというのに……」

 そのふしだらな夢に使用されたネタがどうやら自分らしいと知ったシオンが言い換える。

 そのあたりの機微を察したのかそうでないのか。

 エルマの返答は、インクルード・ビーストを操る行動原理そのものへの言及だった。

「もともとが《ねがい》の道具そのものなのですわ。それがコントロールを失って……このように無軌道な欲望にストレートに反応して」


 なるほどな。

 エルマの解説に、シオンはトラントリムの塔の上での最終局面を思い出していた。

 たしかにあのとき、ユガディールとそれに付き従う自動騎士たちは《意志》ではなく《ねがい》の道具として働いた。


「だが、だとしたら──どうする」

「どうするって……そりゃあ決まっていますわ。もっとスンゴイやつで足腰立たなくしてやるのみ! 興奮で心臓マヒ起こすレベルの淫夢で行きますわよ!」

 

 術者としてのプライドに障るところがあったのだろう。

 エルマがシオンには理解しがたい意欲を見せた。

 獲物を見失い高鼻を使い始めたインクルード・ビーストに挑むように再結印し始める。

 興奮で心臓マヒを起こすレベルの淫夢。

 技の内容を聞かなければよかった、とシオンは思う。


 いや、早々に決着をつけようというエルマの言うことは至極もっともなのだ。

 シオンの懸念はそこではなかった。


「まさか、だが。またわたしを素材に使うつもりか」

「ハッキリ申し上げますけれど、シオンさま以上の上ネタをエルマは寡聞にして知りませんッ!」


 自身のなかでシオンに対するありったけの妄想をつぎ込み、逞しくしていっているであろうエルマは絶好調で答えた。

 いっぽうで、眼前ではインクルード・ビーストが己の獣性を逞しくしている。

 そこにさらなるファンタジーが投入される。

 上ネタと言われて、これほど微妙な気持ちになったのは初めてなシオンである。

 直視を避けたい展開が、この後、起るであろうことが容易に想像できた。


「別のプランはないのか」

「いいえ、これはすでにわたくしの沽券の問題です! しかも、せっかくの計画まで……このままでは危うくなってしまう!」

「ん? 計画? 計画ってなんだ?!」

 

 問うたシオンに、エルマの顏が一瞬だけ向けられ、すぐに敵へと戻された。

 技の行使を理由に、はぐらかされたのだ。

 むう、とシオンは唸る。

 なんだかよくはわからないが、とにかく眼前の問題を早急に解決しなければならない。

 土蜘蛛の、特にエルマの行動というのは「よくわからない」というのが基本だからだ。


「では、そなたの幻術で敵が動きを止めたその後は?」

 自由にしていいのか、と訊けば、

「それはもう──煮るなり焼くなり、シオンさまの御随に!」

 との答えが勢いよく返ってきた。


 こうなってしまってはエルマを翻意させるのは不可能に近い。

 シオンは鼻息ひとつ、それでも倍力アンプに《ちから》を貸すしかない。 

 仕留めるとしたら──これはわたしがシュテルネンリヒトでやるしかないのだろうな、と観念しながら。

 

 結局、その観念は現実のものとなる。



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