■第二十八夜:歪んだ回転
「スノウ!」
敵の絶命を確認するやアシュレは踵を返し、スノウを顧みた。
光のささぬ暗がりではあった。
だからこそアシュレの目には、その輝きが飛び込んできた。
倒れ込み、うめきもがくスノウの胸を光でできた回転体が侵食している。
一目で、その正体は知れた。
「まさか、《スピンドル》……なのか。でもこれは──」
スノウが《スピンドル能力者》であることは、じつは初対面の段階でシオンが見抜いていたことだ。
ただ、その後に続いたトラントリム中央侵攻作戦の間、中立の立場を取ったスノウに《ちから》を披露する場が与えられることはついになかった。
だから、だれもスノウの《ちから》がどのようなものか、知ることはなかった。
もちろん、アシュレたちだって《スピンドル能力者》である彼女のことを完全に失念していたわけではない。
《スピンドル能力者》の存在は国家レベルで無視を許されない最重要案件である。
常識的に考えるまでもなく、厳しく吟味せねばならぬ事案なのだ。
であるにもかかわらず、スノウがたいした追及にもさらされぬまま今日まで至ったのはそれなりの理由がある。
第一に、未成年者であり天涯孤独の身となったスノウを問い詰めるという発想が、そもそもアシュレたちにはなかったこと。
第二に、《閉鎖回廊》から解放されたトラントリムでは異能の行使そのものがまずをもって厳しいということ。
第三は……アシュレだけでなく戦隊の全員がスノウにはこの戦いにこれ以上、関わって欲しくないと考えていたことである。
将来ある少女をだれが好き好んで戦場に──それも世界そのものに弓を引こうかという戦いに連れ出そうと思うものか。
だが、たったいまアシュレはその考えこそが甘かったのだと思い知った。
すでにスノウは関わってしまっていた。
深く、もう二度と引き返せないほどに、深く。
なぜなら、スノウに発現した《スピンドル》はあきらかに歪みねじれた軌道で回転していたのだ。
「スノウ、スノウ! しっかりするんだ!」
アシュレは、インクルード・ビーストの噛みつきで破れ、異能の行使によって燃え尽きかけた上着もそのままに、スノウに駆け寄り抱き起こした。
スノウの《スピンドル》は正しい発現を経ているものだとばかり思っていた。
そもそも《意志のちから》である《スピンドル》は超常の側に属するものだ。
わずかな特例を除き、その発現は一時的にしても病のように肉体と心とを苛む。
日常を超常が侵食する、と言えばわかりやすいだろうか。
この世界:ワールズエンデにおける異能の定義が《スピンドル能力者》たちの振う超常現象であるというのであれば、起点となる《スピンドル》そのものもまた、やはりこの世の常識の外に根ざするものだと考えるのが無理のないところであろう。
多くの場合、その発現・覚醒時には先達としての《スピンドル能力者》が付き添い、これを導く。
逆説的に言えば、自然発生的な状態のままで無事でいられる《スピンドル能力者》は、あまりに希少ということでもある。
アシュレのときでさえ父:グレスナウが付き添ってくれたものだ。
だから、アシュレはスノウもそうやって覚醒を終えた《スピンドル能力者》なのだと、無意識のうちに信じてしまっていた。
トラントリムにおいては夜魔の騎士たちが、その任を負ってきたはずだ。
彼女が夜魔とヒトの混血種であることからも、それは至極自然な流れだと納得してしまっていた。
ところが、実際にはそうではなかったのだ。
スノウの《スピンドル覚醒》は、実はアシュレが引き起こしたトラントリムの《閉鎖回廊堕ち》に端を発していた。
そして、スノウ自身は己の胸中で渦を巻く《ちから》の正体をうまく把握できぬまま、《スピンドル》とここまでつき合ってきてしまったのだ。
つまり、まだ卵の殻から脱しきっていない。
非常に不安定で危険な状態であると言えた。
ただ、もしそれが完全な覚醒であったのだとしたら……と考えると、それはそれで恐ろしい。
苛烈過ぎる消耗に耐えきれず、もうすでにスノウはこの世にいなかった可能性もある。
スノウにとって不幸中のさいわいだったのは、奇しくも自身の《スピンドル》の覚醒が未熟で、歪んでいたことだ。
アシュレがトラントリムの幻想を打ち破り、ユガディールの裏面に潜んでいた《そうするちから》の思惑を暴いたこと。
なにより、その直後にスノウの窮地を救ってしまったことが、その原因だった。
アシュレを売国奴だと断ずればいいのか。
敵と憎めばいいのか。
あるいは命だけでなく尊厳までをも救ってくれた恩人と崇めればいいのか。
それとも──憧れてしまった──真の騎士なのか。
複雑に折れ曲がり鬱屈し出口を塞がれた心が、スノウの《スピンドル》に影響を与えた。
なるほどたしかに、《スピンドル》の覚醒そのものは、スノウ自身の才能と《閉鎖回廊》の起こしたものであろう。
だが、奇形の《スピンドル》が生み出す歪んだ回転は、ある意味でアシュレを想い過ぎたスノウの心のカタチそのものだったのだ。
倒れ伏すスノウの姿は、孵卵するときに翼を傷つけてしまった雛鳥を思わせた。
アシュレは改めて彼女の《スピンドル》のカタチを見る。
真球とはとても呼べない姿のそれが、火花をまき散らしながら金切り音にも似た軋みを上げ、跳ね飛びながらスノウの胸を抉るようにして回っている。
ゼッ、ゼッ、ゼッ、というスノウの呼吸と見開かれた瞳から止めどなくこぼれ落ちる涙。
未完成な《スピンドル》の回転が、彼女の生命と精神を脅かしていることは明白だった。
「くっ!」
アシュレは一瞬、ためらった。
眼前で進行中の状況──《スピンドル》の暴走、いわゆる《スピンアウト》についてのは二件の実例を知っている。
ひとつは、イリスのもの。
ひとつは、カテル病院騎士団の従騎士:トラーオのもの。
いずれにせよ、ふたつの実例には示してくれていた。
それは《スピンドル》の暴走を鎮圧し得るのは、《スピンドル》による導きだけという事実だ。
イリスの覚醒に付き添ったシオンは、アシュレとの逢瀬の間に教えてくれた。
「見た。あの娘の心を。過去の記憶を。そして、そなたがどれほど強く想われているのかを知ってしまった」
寝物語に語られたアシュレは己の不実を責められているように感じたのだが、シオンの真意はむしろ逆だった。
「そういう娘だから、だろうな。そなたとのあの娘との関係を、わたしは好ましいとしか思えないのだ。世間的にはこういうのは浮気とか、不倫とか、二股とかいうのか? たぶん、指弾を浴びるような関係なのだろう。それなのに、そういう不実を働かれている気持ちにはまるでならない」
ええと、とシオンの顔を覗き込んだアシュレを夜魔の姫も見つめ返していた。
「しょ、正直に言うとな、その、なんだ……圧倒された。こんなにも、こんなにも、あの娘は、イリスは、そなたを想っていたのか、と。あのときまでは、その、なんだ。嫉妬ぐらいはしていたらしいのだ。こう、胸が苦しくなって、吐き気がするような、そういう黒い気持ちが湧いて」
でも、とシオンはアシュレに向き直りカラダを寄せてささやいた。
「こんなに一途にそなたを想うイリスの心にわたしは負けたくない、と思ったのだ。恥ずべき負の感情などでそなたを想う心を貶めてはならん、と気がついたのだ。そしたらな、すとん、と落ち着いた」
どうだ、とまるでなにかの勝利宣言みたいに言うシオンを抱きしめること以外に、あのときアシュレにできたことはなんだろう。
ただ、あのときは面映ゆいとばかり感じた会話の流れのなかに、じつは大変な事実が含まれていたのだ。
気がついたのは、まさにこの瞬間だった。
それは《スピンドル》同士の接触は、互いの心に混淆をもたらす、ということだ。
顕現させトルクを加えかけた己の《スピンドル》を前にして、アシュレは固まった。
ボクはもしかして、いまスノウの心に触れようとしているんじゃないのか。
ぶるりっ、と知らず怯懦に震えた。
それは他者の人生に深く立ち入ることへの自然な怯えだ。
《スピンドル》を介して相手の心に触れるということは、つまり互いの裸の心を触れ合わせることでもある。
アシュレ自身の心の中身もまた、スノウのなかに流入するのを免れないだろう。
しかし、躊躇しているような時間はもうどこにもなかった。
アシュレ自身、造作もなく《スピンドル》を用いたことで勘違いしかけていたが、ここは《閉鎖回廊》ではない。
通常空間での《スピンドル》の使用は《閉鎖回廊》内とは比べ物にならぬ負担と代償を《スピンドル能力者》に強いる。
万全の状態でアシュレが《スピンドル》を振えるのは、アスカが垂れてくれた恩寵があるからに過ぎない。
けれども、いまのスノウは違う。
「あ、あ、あ、」
断続的に漏れる喘ぎは、言葉にすらなりきれない絶叫の残滓だ。
助けなければ。
そう思ったときには、すでに肉体が、なによりも《意志》が反応を起こしていた。




