■第二十五夜:白い夜の回想
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スノウメルテは私生児である。
母はカラクル村の名士の娘。
父は夜魔の騎士だと聞かされて育った。
西方を統べるエクストラム正教、東方に支持層を持つアガナイヤ正教の別なく、姦淫はイクス教徒にとっての大罪である。
しかし、トラントリムにあって、夜魔の騎士との恋だけは例外と見なされてきた。
元来が夜魔の騎士たちとの密約=“血の貨幣”によって成り立ってきた土地柄だ。
この土地の夜魔たちは人類を見下したりしない。
むしろ、庇護対象として大切に扱う。
礼儀正しく、物腰やわらかく、それでいて、いざとなれば勇猛果敢にして高潔。
そんな永劫の騎士たちに、心を奪われない女はいない。
いや、男であってもそれは同じだ。
夜魔たちによる吸血は、その代価に他では代えることのできぬ快楽を与える。
少量の血を庇護の代価として支払う、というのが“血の貨幣共栄圏”における建前だが、男女を問わず騎士たちにすすんで喉を差し出す者は、後を断たなかった。
その果てに一夜の恋に落ちたとて、だれが彼・彼女を責められよう。
スノウメルテの母も、そういう娘のひとりだった。
じつは夜魔とヒトの子の婚姻も、トラントリムではありえないことではない。
なんとはなれば盟主であったユガディールこそが、三度のそれを経験しているのだから。
そして、夜魔の騎士たちに対しユガディールは、ヒトとの婚姻を禁じていたわけではない。
ただ、騎士たちは男女問わずヒトと交わりまではしても、婚姻に至ることはほとんどなかった。
戯れだった、というのではない。
夜魔の騎士たちは、三度、ヒトの娘を妻として娶り、三度ともに失ったユガディールに義理を立てていたのだ。
それが証拠に、スノウはおそらくは父であろう夜魔の騎士から、毎年、たくさんの素晴らしい贈り物をもらった。
初夏と聖誕祭の季節に決まって送り届けられる品々は、自分のまえに姿を現すことはなくとも、父に愛されているのだという確信をスノウメルテに与えてくれた。
なによりも、いつまでも父に恋する母の姿に憧れた。
村人たちも半夜魔の娘には寛大……むしろ、自らの子であるかのように接してくれた。
自分たちの守護者である夜魔の騎士の血を引く少女を無下にする理由が、カラクル村にはなかったのだ。
だからスノウはなに不自由なく、むしろのびのびと生きてきた。
受けた愛情を勉学や鍛練に振り向けた。
しかし、ある日、なぜ夜魔の騎士たちがヒトとの婚姻に踏み切らないかの理由を思い知らされる。
突然の母の死である。
夕餉の支度の進む、冬の薄暮のことだった。
村をインクルード・ビーストが襲った。
さいわいにも駆けつけた夜魔の騎士たちがこれを撃退したが、スノウの母は逃げ惑う村人たちを守ろうと農具を手に猛獣の前に立ちはだかった。
生まれは農民でも、騎士の妻としての努めを果たさなければならないという思いが彼女をそんな無謀に走らせた。
スノウはその一部始終を見た。
インクルード・ビーストの忌むべき性のそのすべてを。
ある意味で、スノウの母の挺身は時間を稼いだのだ。
けれども、母は還らぬヒトとなった。
いまでもスノウはそのときの夢を見る。
まるで現実だと勘違いするほど、鮮明な夢だ。
それが夜魔の血のせいであることを知ったのは、母の死からしばらくしてのことだった。
そうか、と唐突に理解した。
夜魔の騎士たちがヒトの娘と添い遂げようとしないのは、別離の苦しみを永劫に忘れられないからなのだ、とわかった。
だとしたら、父は、母の死を知った父はいまどんな想いでいるだろう。
顔も知らぬ父の胸中を思って、泣いた。
それから、三度も妻を失いながら、それでもヒトの子とともにあろうとしたユガディールの偉大さに改めて震えた。
かならず、彼らのような立派な騎士になると心に決めた。
そんな彼女に二度目の転機が訪れたのは、やはり春を前にした冬の夕暮れだった。
トラントリムの首都でなにかとてつもない事件が起きたらしい、との知らせがカラクル村に届いた。
「てえへんだ、てえへんだ。騎士さま同士が一騎打ちに及んだそうな。なんでも、姫君を賭けての決闘だそうだよ!」
近傍の市から帰ってきた男は、そう口火を切った。
年若い娘がそれに応じる。
「まあ、そんな──なんてロマンティックなのかしら。あたしも観に行きたかった」
「いや、ところがさ。決闘ってーのは、見せかけのものだったらしい。戦いを挑んだ異国の騎士ってーのはとんでもねえヤツでさ」
騎士同士の一騎打ち。
それも姫君を賭けての。
となれば騎士道物語の王道としか考えの及ばぬ娘は、男から返ってきた予期せぬ答えに目を丸くした。
「とんでもねえ、って……。決闘が見せかけってのは──どういうことなの」
「挑戦した騎士ってーのは……このトラントリムを転覆、つまりは乗っ取る腹積もりだったらしいぞ! 」
「え、ええっ。そんな、そんな!」
いったいどういう話の流れなのか。
見せかけの決闘に、国家の転覆に。
理解できない、とばかりに娘は首を振る。
騎士がそんな謀を巡らすなんて。
なんだなんだと築かれ始めていた人垣からも、驚愕と非難の声があがりはじめた。
それはそうだろう。
騎士といえば白魔騎士団に所属するあの高潔な夜魔の騎士たちしか知らぬ村民たちだ。
「一騎打ちじゃなかったんかいよ。騎士同士の決闘ってのは、神聖なるもんだろがよ!」
「そうさ。だが、そうじゃなかったんだよ! 騎士の風上にもおけねえ挑戦者の男は、なんとオズマドラと結んでいたって話でな」
オズマドラ!
トラントリムを始めとした小国家連合を脅かす異教徒=悪の代名詞の登場に、場にいた全員が息を呑んだ。
「じゃあ、まさか、挑戦を受けたトラントリムの騎士さまってのは」
「そのまさかさ」
「ああ、ユガディールさま!」
声をあげた聞き手の娘だけではない、周囲にいた妙齢から母親くらいの年齢までの数人の女たちが卒倒した。
未婚既婚の別なく、ユガディールは国家のシンボルとして女性たちの愛を受けていた。
男衆だって例外ではない。
自分たちの守護者としての彼を憧憬を持って敬っていた。
「おいっ、そんじゃあ、ユガディールさまは、わしらの盟主さまは?!」
そんな質問も口をつこうというものだ。
語り手の男は、心配ご無用と頷いた。
「うんむ、安心せい。ご無事だそうじゃ。不届き者どものことごとくを蹴散らし、返り討ちにされたそうじゃ!」
わあ、と歓声があがる。
「でも、どこのどいつだ、その不届き者の騎士ってやつぁ」
続いた声に、村人たちは顔を見合わせた。
言うまでもなく、夜魔の騎士たちはみなユガディールに絶対の忠誠を誓う者たちだ。
反乱など万にひとつもありえない。
まずもって、ユガディールに挑戦を叩きつけられる存在となると……。
「もしかして、その不届き者の騎士というのは人間……ヒトの子ではないのですか」
互いに思案顔で周囲を見回す村人たち垣根の外から、指摘は聞こえた。
固い口調に、全員がそちらを見やる。
そこには半夜魔の娘:スノウが立っていた。
春から登城を許された村の俊英だ。
訓練を終えたのだろう、革鎧にスモールソードを帯びたいでたちは、いっぱしの従者に見える。
その彼女が、瞳に暗い怒りを宿らせていた。
「お、おお、そう、そうよ。オズマドラなんてアラムの連中と手を結ぶようなヤツがトラントリムにいるはずがねえ! そいつだ、そいつに違いねえ。首都の闘技場をメチャクチャにして、姫を掻っ攫って逃げてったらしいぞ。オズマドラだけじゃねえ──孤立主義者どもと結託もしてたんじゃねえかって話だぜ」
「なんて……なんて卑怯な。卑劣な! 許せない!」
男の伝聞と推察が入り交じる語りを、スノウはもう聞いていなかった。
春から従者としての登城を許されたその日、スノウは首都にいた。
公開されている夜魔の騎士たちの訓練の見学に行った。
そこで、見たのだ。
夜魔の騎士たちに混じり、剣を握るヒトの子を。
遠目にもヒトの良いお坊ちゃんにしか、ソイツは見えなかった。
歴戦の夜魔の騎士さまたちにニンゲンごときが勝てるはずがない、と思っていた。
それなのに。
その騎士は巧みな防御と立ち回りで、種族の間にある圧倒的な差を埋めてしまった。
いずれも際どい勝負なのだが──危ういところで必ず勝ちを拾う。
手加減無しで、との申し出に本気になった夜魔の騎士の幾人かは、影渡りまで投じた。
だが、ヒトの騎士は瞬間移動で現われる夜魔の騎士たちの現われる先を知っているかのように、的確に剣を振るってはこれを撃墜し、観客を驚かせた。
そしてついに、大将であるユガディールを引きずり出してしまった。
詰めかけた観客たちが固唾を呑んで見守るなかで行われた一騎打ちは、想像を絶する名勝負であった。
凄まじい速度で左右にスイッチされる刃がまるで踊るかのように見えることから名付けられたユガディールの妙技・ダンシングソードまでも、なんとそのヒトの騎士は撃ち落としたのである。
勝負は引き分け。
しかし、ユガディールはそのヒトの騎士を抱き寄せると抱え上げ、彼こそ勝者だと褒め称えた。
まるで弟の成長の瞬間に立ち合った兄のように、全身から歓喜の感情を発しながらヒヨコのようなヒトの騎士を頭をかいぐった。
称賛とユガの掌を甘受するヒトの騎士のほうも、弾けるような笑顔でこれを迎えた。
ああ、いいなあ──人間と夜魔と、ふたつの種族の血を引くスノウは堪らなく誇らしい気分になれたものだ。
それから、自分とはちょうど対岸にあたる訓練場の隅から、屈託なく笑いあう人間と夜魔の騎士ふたりを胸に手を当て思い詰めたような表情で見つめる、この世のものとは思えぬ美しい姫君の姿にも気がついた。
たぶん、あの姫君は、いまふたりの騎士どちらにも恋をしてしまっているのだ。
と、勝手な妄想に胸を膨らました。
そんなステキな場所に、自分も仲間入りできるのだと期待した。
ヒトの騎士は名をアシュレダウということ。
姫君はなんと真性の夜魔で、シオンザフィルとおっしゃること。
周囲の歓声や、ユガディールの呼びかけからスノウは彼らの名を知り得た。
強く強く、その関係性に憧れてしまった。
帰ってきた晩は、胸が高鳴り、身体が熱くなって眠れなかった。
それなのに──。
ユガディールの信頼を裏切り、卑劣な策略を講じ、オズマドラどころか孤立主義者たちと通じていた男はアイツしかいない、とスノウは断定した。
騎士としての誇りはないのか!
ぐつぐつと煮えたぎる怒りの感情が押さえ切れなかった。
いつも訓練場に使っている村の外れの広場でスノウは怒りを発散しようと、訓練に打ち込んだ。
どれくらいそうしていただろう。
剣を振い、息が切れるまで研鑽にいそしんだ。
だが、心のなかから怒りは去らなかった。
自分自身が侮辱を受けた気持ちになった。
誇らしかったのに。
憧れたのに。
あなたたちみたいになりたかったのに。
スノウのなかで渦を巻いていたのは、単純な怒りではなく自分の信頼と憧れまでも裏切られたという思いだった。
しかし、いま、ここにその激情をぶつけるべき相手はいない。
肩で息をしながらしぶしぶ剣を鞘に収め、家に戻ろうとした。
そのとき、それは襲いかかってきたのだ。
どこに潜んでいたのか。
獰悪な魔獣:インクルード・ビーストは周囲が見えなくなって、孤立していた獲物=スノウを標的と定め、その隙をうかがっていたのである。
奇襲を受け抵抗と呼べる行動さえ起こすことさえできず、雪の積もった広場にスノウは押し倒された。
気がついたときにはのしかかられ、身体の自由を完全に奪われていた。
全体重にして二十倍以上も差があるのだ。
もはやスノウの力でなんとかできるような状態ではなかった。
圧死や骨折を免れたのは、足下が柔らかい雪であったことに加えて、インクルード・ビーストの目的が捕食ではなかったからに過ぎない。
恐怖に喉が引き攣り声をあげるさえできないスノウの視界に、男たちの足だけが見えた。
聞いたことがある。
孤立主義者たちは、若い娘をこうやって捕らえては自分たちの住み処に連れ帰り慰みものにするのだと。
いや、もっと酷い実例をスノウは知っている。
頭のなか一杯に、あの日の記憶が甦った。
「アアアアアアアア、ア、アアアアアアアア──ッ!!」
気がつけば狂ったように叫んでいた。
けれども、それさえもすぐに封じられる。
インクルード・ビーストがスノウに体重をかけた。
それだけで息が詰まる。
獲物が黙ったのを確認して、獣が鎧に手をかけた。
ロングソードを用いても易々とは切り捌くことのできない革の鎧を、インクルード・ビーストの爪牙は紙のように切り裂く。
あっという間に防具は剥ぎ取られた。
革鎧でこのありさまだ。
衣服など、なにほどの抵抗にもならない。
ぼたぼたぼたっ、と生臭い獣の唾液が身体に滴り落ちてくるに至り、スノウは自らを待ち受ける運命を自覚した。
いやだいやだいやだいやだいやだ、だれか、だれか助けて──騎士さま!
そんな祈りがだれに届くというのか。
もはや、自分はこの獣たちの慰みものにされるのだ。
ヒヒッ、と男たちの下卑た笑い声が聞こえた。
その瞬間だった。
ドンッ、という凄まじい衝撃音とともに、スノウにのしかかり、いままさにことに及ぼうとしていたインクルード・ビーストの巨大が吹き飛んだ。
まるで横合いから大砲の直撃を受けたかのように。
なにが起きたのか、スノウにはわからなかった。
横たわり、身を起こすこともできない彼女の頭上を、馬身が飛び越える。
そして、スノウは見たのだ。
窮地を救ってくれた男の姿を。
美しき姫君を抱きかかえ、金色に輝く騎兵槍を構えたその男こそ──裏切り者とスノウが断じた──ヒトの騎士:アシュレダウ・バラージェ。
スノウに訪れた三度目の転機とは、彼との再会だった。




